みなさま、こんにちは、座右の銘は、「大雑把な人は国語力が高まる」!

ぎふたけです。

 

 国語という茫洋とした教科は、科学的な人には向きません。

 明日できることは明日にしようという大雑把な人が文学者に多い気がします。

 (自分に対する言い訳です。失礼。)

 

さて、『少年の日の思い出』(ヘルマン・ヘッセ作、高橋健二訳)の授業で

第1クライマックスと呼ぶべき場面の黒板です。

生徒がノートを書いているときの黒板と、

発表交流、話し合いの後の黒板の2枚です。

ポイントを残して、がらりと変わっているのが特徴です。

 

 

 

近所に住むエーミールのクジャクヤママユ(大変な希少種)を

見せてもらいに行ったが、不在だった。

結果として、そのちょうを部屋から持ち出してしまうのだが、

そのとき、主人公の「僕」は、「大きな満足感しか感じていなかった」という

普通ではない状態にあることについて、考えを形成する授業の黒板です。

50分間でこれほどの変化が起きる黒板は、感動モノです。

 

未習の生徒にとって、ネタバレになってはいけないので、ほんの一部分

切り取ってあります。(塗りつぶし部)

 

この読み取りは、25年前からやっています。

 

平成24年版光村図書の指導書からこの読み取りが一般に流布しました。

その読み取りは、昔は「ユニーク、きわもの、深読み、誤読」と非難されてきましたが、

私は、正しい方法として、ずっとやってきました。

 

本文中に根拠があるのだから、確かです。

私もあと数年なので、どなたか引き継いでもらえないかと思い始めました。

 

『少年の日の思い出』の国語の先生方対象の講演依頼受け付けます。

(1件目はノーギャラで参ります。)

 

こんなページを最後まで読めた方は、みんな、いい人ですね。

よい日々をお過ごしください。