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1982年のアルバム(その21 StevieWonderOriginalMusiquarium)
1982年のアルバム・シリーズ
今回も全米アルバム・チャートの最高位に準じているので、次は最高位No.4
・・・で登場するのは・・・
Stevie Wonder
ちょうど新曲 That Girlがチャートを急上昇
その曲とともに、日本では、TDKカセット・テープのCMに出演
とはいえ、実は、Stevie自身、それ以前から、米国ではCMに出演していて・・・
「僕がTDKを選んだ・・・」がコピー文句でした。
もう1つ、この時期のStevie Wonderの大きな話題
それは、何と言っても、Paul McCartneyとの共演
Paul McCartneyのアルバム Tug Of War
の2曲
のレコーディングに参加
うち1曲は、言うまでもなく、Ebony And Ivory
タイトル通り、「黒鍵と白鍵」、まさに2大天才の共演
この年のポピュラー音楽界最大のニュースに
世界中のチャートを独占となっていました。
そんな時期に登場したアルバムが・・・
Stevie Wonder's Original Musiquarium 1
実は2枚組ベスト・アルバム、クリスマス・シーズン
でない初夏に登場
但し前記のThat Girlを含み、各面1曲計4曲の新曲
が収録されていて・・・
ニュー・アルバムと言っても、支障はないでしょう。・・・
自分は、Stevie Wonderのこの近年のアルバム
は、ほぼ持っていましたが・・・
このアルバム、日本盤
発売と同時に購入しました。
邦題は、「ミュージックエイリアム」となっていました。
尚、Ebony And Ivoryは、収録されませんでした。・・・
新曲のレコーディングは、ロスアンゼルス Wonderland Studios他にて・・・
Stevie Wonderリード。ヴォーカル
、ヴォーカル、キーボード🎹、ピアノ🎹、ドラムス
、ハーモニカ他・・・
バックグラウンド・ヴォーカルは、Windy Barnes
、Melody McCullough
、Shirley Brewer
、Alexandra Brown
ホーンは、Eugene Ghee、Janice Robinson
、Britt Woodman
、Virgil Jones
、Anthony Tooley
、Victor Paz
、Clinton Anderson
、Earl McLntyre
、Frank Wess
、Robert Rutledge
、Lorenzo Wyche
、J.D. Parran
、Robert Eldridge
、Alfred Wilson
、Larry Gittens
エンジニアリング、ミキシングは、Wonderland StudiosにてGary Olazabal
アシスタント・エンジニアリングは、Bob Harlan、Lon Neuman
、Peter Vargo
作詞作曲、アレンジ、プロデュースは、Stevie Wonderです。
アルバム・タイトルは、「音楽の水族館」とでも言うのでしょうか・・・
それを示すアルバム・ジャケット、アート・ディレクションは、Johnny Lee
デザイン・コンセプト、デザインは、Norman Moore
アルバム・カバー・コーディネイターは、Keith Harrisとなっています。
レコード1枚目、A面1曲目、ドラムスが軽快に、クラヴィネット🎹、そう、勿論・・・
Superstition、「迷信」
、やはり、これでスタート
、アルバム Talking Book
から、彼のテーマ曲のようなナンバー
(1972~73年、全米No.1
、全米R&B No.1、全米AC No.38
)、流れるようなキーボード音🎹がブリッジに、2曲目は・・・
You Haven't Done Nothing、重量感のあるベース音が響くファンク・ナンバー
邦題「悪夢」、アルバム Fullfillingness' First Finale
から、当時、ディスコで大人気、弟分といえるThe Jackson 5
がコーラス
で参加
(1974年 全米No.1
、全米R&B No.1
)、続いてエレクトリック・ピアノ🎹が軽快に響いて、3曲目・・・
Living For The City、軽快に歌うStevie
、徐々に盛り上げていくナンバー
邦題「汚れた街」、アルバム Innervisions
から、ライヴでも定番曲
(1973年、
全米 No.8、全米R&B No.1
)、アルバム
がグラミー賞を受賞した翌年の1975年のグラミー賞で、この曲で、最優秀男性R&Bヴォーカル・パフォーマンスを受賞しています、尚、本作には、ロング・ヴァージョンが収録されています。そして4曲目・・・
Front Line、待望の新曲
、エレクトリック・ギター
が響いて・・・
Stevieらしいファンク・ナンバーですが、実はベトナム帰還兵の悲しい歌
ベースは、お馴染み Nathan LeMar Watts、ギター
は、Benjamin Bridges
力強く歌われ、後半は、ギターがフィーチャーされます。
シングルでリリースされた国もあり、全英No.94となっています。
レコード1枚目B面1曲目、エレクトリック・ピアノ🎹の美しいイントロから優しく歌
Superwoman (Where Were You When I Needed You)、「スーパーウーマン」
アルバム Music Of My Mindから、前半、ボサノヴァ調に軽快に、後半はスロー
じっくり聴かせる8分の組曲となっています。(1972年、全米No.33、全米R&B No.13
) チャイム音から、静かにやや軽快にコーラスが入り、2曲目は・・・
Send One Your Love、邦題「愛を贈れば」
、アルバム Stevie Wonder's Journey Through "The Secret Life Of Plants"
から、さすがStevie
途中のハーモニカ音も叙情的(1979年、全米No.4
、全米R&B No.5
、全米AC No.1
) 続いてエレクトリック・ピアノ🎹が響いて、3曲目は・・・
You're The Sunshine Of My Life、男性ヴォーカル
、女性ヴォーカル
そして Stevie・・・もう説明不要でしょう。アルバム Talking Book
から・・・
邦題「サンシャイン」として、恐らく I Just Called To Say I Love You
が出るまでは、日本では最も有名なStevie Wonder
のナンバーでした。(1973年、全米 No.1
、全米R&B No.3
、全米No.1
) ここでは、シングル・ヴァージョン
です。
そして4曲目、美しいピアノ🎹が聴こえて・・・
Ribbon In The Sky、待望の新曲
、叙情的な美しいスロー・バラード
・・・
アコースティック・ギターは、Benjamin Bridges、本アルバム
から第3弾シングルとしてリリース、全米 No.54
、全米R&Bチャート No.10
、全米アダルト・コンテンポラリー・チャート No.21
、そして全英 No.45
、といったヒットに
、また翌1982年のグラミー賞では最優秀男性R&Bヴォーカル・パフォーマンスにノミネート
1985年の後楽園球場での来日公演
では、同年の日航機事故で亡くなった坂本九さん
に捧げて、途中に「上を向いて歩こう」
を入れたことが印象的
その後、スタンダード化されているStevieの1曲です。
レコード2枚目A面(C面)1曲目、クラヴィネット音🎹が、ファンキーに響いて・・・
Higher Ground、アルバム Innervisions
から、躍動感のあるナンバーの代表格
Red Hot Chilli Peppers等のカバーでもお馴染み
(1973年、全米 No.4
、全米R&B No.1
) 軽快に心地よいブラスの音が響いて、2曲目は、勿論・・・
Sir Duke、そう、 「愛するデューク」
、アルバム Songs In The Key Of Life
から、人気曲でもあり、気分も高潮してきます。(1977年、全米No.1
、全米R&B No.1
、全米 AC No.3
)、3曲目、レゲエ・ビートのドラムス
、ベース・・・
Master Blaster (Jamin)、「マスター・ブラスター」
、アルバム Hotter Than July
から、ホーンも加わり、熱いナンバー
、歌の登場する Bob Marley
は、前年(1981年)旅立ってしまいました。(1980年、全米No.5
、全米R&B No.1
)
レゲエのリズムに、シンセサイザー中心のサウンドで、アップ・テンポに4曲目は・・・
Boogie On Reggae Woman、アルバム Fullfillingness' First Finale
から、色々なサウンドが入り、軽快に歌うStevie
(1975年、全米 No.3
、全米 R&B No.1
)、邦題は短縮で「レゲ・ウーマン」
、ここでは、ロング・ヴァージョンで収録
尚、日本では、シングルのB面となっていました。(A面は、Heaven Is 10 Zillion Light Years Away)、そして、ドラムス
をブリッジに、5曲目は・・・
That Girl、力強く軽快に歌い始める Stevie
、待望の新曲
ここからの先行シングル、前述の通り日本ではTDKのCMソング
ほとんど Stevie1人でレコーディング、ホーン・アレンジメントもStevie
ストリングス・アレンジメントは、Paul Riser、特にハーモニカ音が印象的です。
全米 No.4、全米R&Bチャート No.1
、全米アダルト・コンテンポラリー・チャート No.10
、1982年全米年間チャート No.43
、その他 カナダ No.16
、カナダAC No.4
、オーストラリア No.31
、ニュージーランド No.20
、オランダ No.42
、ベルギー No.20
、フィンランド No.14
、そして全英 No.39
・・・
世界中で大ヒットとなっています。
尚、偶然かもしれませんが、このサイドに収録されている5曲
Cash Box誌では、5曲全て、No.1となっています。
レコード2枚目B面(D面) 1曲目、軽快なベース・ランニング、ホーン等もフィーチャー
I Wish、アルバム Songs In The Key Of Life
から、邦題は、「回想」
お馴染み躍動感あふれるナンバー、ホーンがパワフルにバックアップ (1977年、全米 No.1
、全米R&B No.1
)、そして2曲目、赤ん坊の泣き声から、ベース・・・
Isn't She Lovely、アルバム Songs In The Key Of Life
から、人気曲
シングル・リリースされていないにも関わらず、全米AC No.23、英国ではシングルNo.94
、邦題は「可愛いアイシャ」
、ハーモニカがフィーチャーされた代表曲
CDの時代となって、短縮版として、シングル・リリースされましたが、ここでは・・・
後半の環境音等も入った、アルバム・ヴァージョンです。そして勢いよく3曲目・・・
Do I Do、最初から、アップ・テンポでノリのいいナンバー
ベースは、Nathan LaMar Watts、ドラムス
は、Dennis Davis
エレクトリック・ピアノ🎹は、Isaiah Sanders、パーカッションは、Earl DeRouen
ギターは、Benjamin Bridges
、Rick Zunigar
、そして、途中で大々的に
フィーチャーされる トランペット🎺は・・・何と、Dizzy Gillespie
ホーン・アレンジメントは、Stevie、ストリングス・アレンジメントは、Paul Riser
アシスタント・エンジニアリングは、Daniel Lazarus、Michael Morongell
何と10分を超える大作、最後は静まっていき、Stevie
の声で締められます。
シングル・ヴァージョンとなり、本作から第2弾シングルとしてリリース
全米 No.13、全米R&Bチャート No.2
、全米アダルト・コンテンポラリー・チャート No.25
、全米ダンス・チャート No.1
、1982年全米年間チャート No.95
、その他 オーストラリア No.66
、ニュージーランド No.9
、オランダ No.25
、ベルギー No.32
、フィンランド No.11
、アイルランド No.8
、そして全英 No.10
・・・
こちらも世界中で大ヒット、日本では、1982年来日記念シングルとしてリリース
That Girlに続いて、TDKのCMソングとなっています。
ここに登場した通り、全米アルバム・チャート No.4、全米R&Bアルバム・チャート No.1
、ゴールド・ディスク
獲得
、1982年全米年間アルバム・チャート No.86
、1982年全米年間R&Bアルバム・チャート No.14
、その他、カナダ No.18
、オーストラリア No.9
、ゴールド・ディスク
獲得、ニュージーランド No.5
、ゴールド・ディスク
獲得、1982年年間 No.26
、オランダ No.15
、オーストリア No.15
、西ドイツ No.33
、スウェーデン No.19
、そして 全英 No.8
、ゴールド・ディスク
獲得
、世界中で好セールスとなりました。
そして日本、本作
が、来日記念盤
に
そう、1982年10~11月、1981年と2年続けての来日が決定したのでした。
1982年10~11月の日本公演自分は11月5日の日本武道館公演
Love's In Need Of Love Todayを歌い、ステージ中央後方から登場
新旧代表曲、後半
何とEbony And Ivory
、Do I Do
で最高潮
最後は、Happy Birthday、2時間を超えお客さんは満足げに会場を後に
尚、日本だけの特別公演だったようです。・・・
TDKのCM出演、そして、2年続けての日本公演
・・・以降来日も多くなり・・・
Songs In The Key Of Lifeの頃は、雲の上の人だったStevie Wonder
が・・・
我々日本にも近い人になってきてくれた
・・・
そのように実感するようになってきた、本作発売の1982年だったのでした。・・・