昨日に引き続き、山口県山口市札幌市手稲区山口の山口運河です。
札幌市手稲区の山口地区は、地名のとおり山口県からの入植者が拓きました。
中学校の時は、この地区のクラスメートも多く、毛利元就の末裔まで在籍していました。
※クラスメートが毛利元就の末裔である事は、在学時は知らず卒業後に判明
さて、明治30年(1897年)に完成した「花畔・銭函問運河」の一部を整備した山口運河。
今日は、中央部の「ふれあいゾーン」、そして石狩寄りの「樹林の散策ゾーン」です。
小樽寄りの「山口運河ゾーン」と違い、「ふれあいゾーン」は「ナチュラル」な雰囲気です。
遊歩道も石畳ではありません。
歩くと足にやさしい(雨天は除く)地面です。
のんびり歩いていると・・・ん?・・・鳥?・・・鳥に疎いので・・・名称不明 (-_-メ)
運河の北側に東屋を発見。
南側から行けそうに見えたのですが、渡るには長靴が必要です。
手稲北小学校近くの橋からは「樹林の散策ゾーン」。
ぐっと「ワイルド」な雰囲気になってきました。
歩いている人無し。
小樽寄りの「山口運河ゾーン」では、数人とすれ違いました。
しかし、「ふれあいゾーン」と「樹林の散策ゾーン」は、すれ違った人はゼロ人。
完全に「疎」、新型コロナウイスルの感染を心配せずに「うろうろ」しました。
「樹林の散策ゾーン」、進みます。
この場所、夏になったら、虫よけスプレーが必須でしょう。
自然豊か(但し、住宅地はすぐ近く)な場所です。
運河の中で、水が湧いていました。
湧く水は透明に見えますが・・・元々泥炭地だったこの場所、鉄分を含んでいます。
湧いてすぐは透明ですが、流れた先で酸化し赤くなります。
「樹林の散策ゾーン」の終点近くに来ました。
ここまで、運河の両側に散策路が整備されていましたが、ここから北側だけとなります。
運河南側の散策路が終わる場所で、ヤマザクラが満開。
周囲に人気なし。
サクラを独り占め、「疎」を楽しみました。
少し歩くと、山口運河は濁川へ合流して終わりです。
濁川も、元々が泥炭地の場所を流れているため、川底が沈殿した酸化鉄で赤いです。
濁川にかかる橋を渡り、運河の「先」を確認。
「元」運河が続いています。
地図を見ると、排水路として数キロ先まで続いている模様です。
遊歩道も無く、私有地内を進む事になるので、「うろうろ」はここまで。
「密」を避け「疎」な場所で「地元の歴史探訪」を楽しみました。
他にも「疎」な場所を「うろうろ」したので、この日の歩行距離は10Km少々。
今後も、新型コロナウイスルが終息するまで、「疎」な「うろうろ」を企みます。
今回の「地域歴史探訪」は
泥炭地特有の鉄分が多い地下水
の影響で
水が赤くキタナイ
場所でした。
※汚染水ではありません
次回「地域歴史探訪」を行う時は、綺麗な場所を選び・・・たいです <(_ _)>