#ニュースを見て不安に思うこと ~ゴシップ誌の終焉?~ | 午前零時零分零秒に発信するアンチ文学

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ニュースを見て不安に思うこと

最近のニュースは、どこもかしこもめぼしいのがない。

 

まあ、アメリカがトランプ大統領復帰に近づけば、日本の世論も騒ぎ出すだろうけど。そういえば、プライムニュースとかでも取り上げてましたね。

 

困ったことに、人間って生き物は中途半端に自我が与えられているもんだから、その生命活動においても常に刺激を求めるんだろうねえ。

 

世間を騒がしている週刊誌のゴシップ記事なんかにも食いつきやすいんだろう。「金を払ってでも読む価値がある」と思っている者が多いということだ。

 

だから、報道においては「それが真実かどうかなんて特に問題じゃなく、面白いのかどうかが問題なんだよ」って答えになるのだろう。まあ「何を以って面白いとするのか?」は千差万別だけど、普遍的な意味なら「意外性」ではないかな?

 

週刊誌は、そういった人間の俗欲を満たすのに十分な役割を果たしていただろうけど、最近になって風向きが変わってきたように思うんだよねえ。

 

だから、今回取り上げた「ニュースを見て不安に思うこと」というのは、オイラの視点からじゃないのよねえ。「週刊誌などのマスメディアにとって不安が付きまとうんじゃないかな?」ってところな訳よ。

 

 

■伊東純也さんの報道に暗雲

 

 

新潮さんも、かなりヤバくなってきたんじゃね?

 

雑誌を買ってもらう為には、少々際どいことも書かねばならないだろうしねえ。

でも、この記事は物凄く悪意を感じたんだよねえ。アジアカップに合わせてネタをでっち上げたのは明らかだし。そりゃあ、売れるかも知れないけど、もう少し時代を考えるべきなんじゃないのかな?

 

20世紀じゃないんだよねえ。

 

今は、YOUTUBEやSNSなどのネットワーク世界なのよ。匿名性があるし、マナーの程度はあれども、大抵のことは普通に書けてしまうんだよねえ。

 

だから、週刊誌のネタも非ネット時代のように「売れたら、そこで終わり」って訳にはいかないのよ。風向きが変われば当然ながら、自分達も標的になるってことを理解しないといけないよねえ。

 

人様のプライバシーを侵害し、人生を変えてしまうくらいに力を持ってしまった訳よ。文春の新谷氏は「自分達は正義の味方を気取っているつもりはなく、所詮は週刊誌ですから」みたいな発言しているけど…

 

 

どう考えても二枚舌だよなあ。

 

最近世間を騒がしている松本問題に関していうなら、霜月氏の証言によって文春の「真実相当性」も怪しくなってきたよねえ。そんなことを言えば「霜月氏の証言と、文春に垂れ込んだ女性の件は別件だから状況証拠にならない」というアホのマスメディアが騒いでいるけど。問題はそこじゃないんだよねえ。

 

元々、両方共刑事事件として立件が殆ど不可能なんだから、争点は文春の記事が松本氏への「名誉棄損」になるのかどうかの一点なのよ。だけど、文春側としては「「真実相当性」ってのがある限り、負けることはない」という自信。

 

ところが、その真実相当性を満たす為には「ちゃんと取材をやったのかどうか?」いうところを重要視されるので、霜月氏の出現は文春にとって痛い訳よ。

 

つまり「取材の公平性に欠け、自分達の都合の良い材料を取捨選択して書いた」ということが指摘される訳だ。更に、証人として法廷に出られたりもすれば、少々厄介になる。

 

だから、新谷氏も「強者に一太刀を浴びせる」のも結構だけど、もう少し世間を見て記事を出すべきだったよねえ。リハックでも言われているけど「自分達が強者であるということを自覚しなければいけないよ」と助言してくれている人たちにとっても時間と手間が無駄になってしまうよねえ。

 

この事件の一連から「文春は?」というよりも、松本サイドがずっと沈黙を貫いている様子が新谷氏にとっては恐怖かも知れないね。

 

 

■「つかみ」ばっかり追及してもねえ

 

 

コレなんて、誤解を招くだろう。まるでダルが「侍Jの監督は野球を知らない」と言っているようなタイトルの入れ方だ。気になって読んでみると、実はそうじゃなくて自分自身のことを言っているのであり、要請が来ても大丈夫なくらいに勉強に余念がないということを書いてある訳よ。

 

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