英国の小さな町にある楽器店にて。
13歳のカート・スミスは物珍しい様子でキーボードなどの楽器を見ていました。それはまるで、彼の心を癒すかのように。そんな時、同じようにして楽器を見ていた少年がいました。名前はローランド・オーザバル。カートと同じ歳でした。
ローランドは決して恵まれた家庭環境で育った訳ではなく、幼くして両親の離婚を経験していました。自分と同じ匂いを感じ取ったのか、カートもまた同じくして心に深い傷を負っていたのです。彼らは出会うべきして出会ったのでした。
2人はすぐに打ち解け、自分達の体験を元にした歌を作り出します。そして、本格的に音楽活動を行うようになります。「バンドは幾つか経験したさ。しかし、どれも満足出来なかった」いずれは自分達が中心となって活動出来るユニットを作りたいと思うようになり、これがティアーズ・フォー・フィアーズ(以下TFF)結成に繋がりました。メンバーは以下の通り。
ローランド・オーザバル(V・G)
カート・スミス(V・B)
イアン・スタンリー(K)
マニー・エリアス(D)
「恐れや精神的な傷というものがあるならば、決して自分自身の心の中にしまってはならない。たとえ大人であったとしても、そういったものは背負うことなく、又、引き摺ることなく、子供のように声に出して泣き叫べ。シャウトするのだ」
これは、とあるアメリカの心理学者によって提唱された原初療法のようですが、カートとローランドの精神にとっては重要な役割を担っていました。いわばバンド名のTFFも、上記をルーツにしたものでした。
透明感のある美しいメロディに乗って歌い上げられるメッセージは重く、デビュー作こそヒットに恵まれなかったものの、TFFは徐々に頭角を現していきます。その原動力となったのが、彼らのプロデューサーとなるクリス・ヒューズでした。MTVの普及によりPVに力を入れ、音楽的にも力強さを加えた手腕はTFF第5のメンバーと呼ぶに相応しい存在でした。
84年発表のシングル「Mothers Talk」は全英14位まで上昇。続く「Shout」はTFFの代名詞ともいえるナンバー。本国イギリスでこそ4位に終わったものの、全米を含む5カ国で1位となり、日本でも自動車のCMソングに使われました。
彼らの人気を不動にしたのが「Everybody Wants to Rule the World」です。
晴れて澄み切った空の下でオープンカーが駆け抜け、飛行機が優雅に飛んでいるPVからはシニカルな歌が届きます。これは当時のアメリカやソ連に対する反戦を意味していたのではないかと思慮されます。ありもしないものを求める彼らに聴かせてやりたい。世界を支配したがっている連中に聴かせてやりたい。それでも俺たちは手を繋ぐしかないんだ。
この曲は、何と全米1位・全英2位の大ヒットとなりました。
その後「Head over Heels」(全米3位・全英12位)を含めた4作のシングルを1枚にしたセカンド・アルバム「Songs from the Big Chair」は、第二次ブリティッシュ・インヴェイジョンの波にも乗り、1000万枚近くのセールスを獲得。
それでも、ローランドは満足しなかった。
自分達のサウンドをもっと成熟させる為にTFFはアメリカの女性シンガー オリータ・アダムスを招聘。アルバム「The Seeds of Love」は、彼らの目指した完成形といえるでしょう。
1)Sowing the Seeds of Love / The Seeds of Love
2)Everybody Wants to Rule the World / Songs from the Big Chair
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Hurting
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The Seeds of Love
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Elemental
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Raoul and the Kings of Spain
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