人間は正しいと思う判断は出来ても、正しい判断は出来ない生き物です。
「そんなことあるものか。俺のやっていることはいつだって正しかったし、間違っているとすればお前のほうだろう」と言われても、これもまた彼の個人的な考えから「これは正しいことだ」と思い込んでいるに他なりません。どのような者でも人は己のフィルターを通さないと思考出来ないからです。
何が正しいとか何が正しくないとかは、神様にでもならなければ誰にも解らないのであり、その解りもしないものに対して折り合いをつけて生きていかねばならないのが我々人類の宿命です。
ところが実際問題、ちゃんと折り合いをつけていられる人ってどれくらい居るのでしょうか。殆どいないのではないでしょうか。人間は己の都合の良いように思考します。だから、他者とバッティングすることも珍しくありません。
東野圭吾氏の小説「変身」に登場する成瀬純一は未曾有の脳移植手術によって蘇った青年だった。それは奇跡と言ってよいほどの死からの生還。純一は退院後も問題なく回復。念願の社会復帰まで叶った訳だ。医学的には全て順風満帆だったはずだが、彼に異変が生じたのはその後だった。自分が自分で無くなる感覚。純一をじわじわと追い詰めてくる感覚。そう、死んでいないはずである提供者の脳が純一の脳を乗っ取ろうとしていたのだ。容姿を除けば純一の人格は徐々に「奴」のものへと変化していく。五感までもが変わってしまう。あまりの変貌ぶりに社内の者達や恋人の葉村恵までもが戸惑いを隠せない。やがて純一は自分自身を取り戻す為に脳内を支配しようとする「奴」と戦うことになる。
戦いに勝利する為にはどうすれば良いのか?
自分自身を終わらせればいい。
そうとも、戦おうとする自分自身を終わらせればいい。
純一の世界はあくまでもフィクションによる特殊なものですが、現実に眼を向ければ形こそ違っていてもこういった戦いは日常のように行われています。
同じものを見ているようでも人によっては全く見え方が違います。どっちが正しく見えているのかと問えば、彼らは必ず自分の眼のほうが正しいと思うでしょう。同じものを聴いていたとしても人によっては全く聴こえ方が違います。どっちが正しく聴こえているのかと問えば、彼らは必ず自分の耳のほうが正しいと思うでしょう。同じことを考えていたとしても人によっては全く答えが違います。どっちが正しいのかと問えば、彼らは必ず自分のほうが正しいと思うでしょう。
「感情的トラブルを起こすな」
「理性的に行動せよ」
社会でよく言われる台詞ですが、トラブルなんてものは不意にやってくることが多いものです。我々人間は基本的に自分勝手な生き物であり、そういった因子の干渉によって起こってしまう。だから、譬え自分自身がトラブルの当事者となったとしても、それを恥じることはない。起きる時は起きるのであり、そういう時に冷静に物事を判断せよとか理性的に行動せよとかいうのは到底無理な話です。
では、トラブルが起きればどうすれば良いのか?
それは、トラブルが起きたという状況・・・
ただ、この1点だけを認めること。
自分を責めることなく、相手を責めることなく、トラブルを責めることもなく。
何も考えることなく、トラブルの当事者であるなら、そんな自分自身を終わらせること。「何が原因か?」とか「どう対策するのか?」とか「どう反省するのか?」とかなんてものは後から幾らでも考えることが出来る。しかし、急なトラブルに直面している時は、そう簡単に思考なんて働かない。ここで重要なのは「傷口を広げない」ということ。その1点だけに力を注げばいい。
傷口を広げずに済んだのなら、そんな自分を褒めてやればいい。また、心の中で相手にも感謝すればいい。程度にもよりますが、後は気持ちを落ち着けた上で対策を立てていけばいい。決して自分自身だけで抱えることなく。