我々一人一人はとても小さくもあり、無限大でもある | 午前零時零分零秒に発信するアンチ文学

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時事問題から思想哲学に至るまで、世間という名の幻想に隠れた真実に迫る事を目的とする!

無限に広がる大宇宙…

宇宙戦艦ヤマトのナレーションではないが、宇宙というものは今でもほんの少しずつ広がっているのだそうだ。だが、それは宇宙全体の規模からして「ほんの少しずつ」なのであり、我々人類からすれば、とてつもないスピードで広がっていることになる。

では、広がっている宇宙の先には一体何があるのだろうか?

残念ながら現在の科学力では、それを知る術がない。
しかし、その逆は容易に判るのだ。過去の宇宙は、現在よりも確実に小さかったということ。

もっと太古に遡れば、更に小さくなり、宇宙は米粒ぐらいの大きさだった可能性がある。
では、その前は一体どうなっていたのだろうか?

やはり、ビッグバンなる現象があったのか? 或いは、我々人類程度では知覚出来ない領域で、メビウスの輪のように、同じ現象が延々とループされているのか?

もしかしたら、コナン・ドイルの著書「コナン・ドイルの心霊学」に登場する、人間が死後に訪れるとされる「サマーランド」のようなリゾート地が宇宙の最果てにないとも限らない。

これらを踏まえて行くと、ひとつだけ確かなことが判る。
それは宇宙もまた「ただ存在しているだけ」ということだ。

その中で…

星々が生まれ、寿命がくれば消滅する」は、我々が勝手に思い描いている幻想だ。
厳密には生まれも消滅もしない。ただ、星々を構成する物質が移動しているだけだ。
宇宙が「存在するだけ」なら、星々や他の全てもまた「存在するだけ」なのである。

こうした真理に近づいていけば、面白いことが浮上する。それは…

我々人間もまた
一人一人はとても小さな存在であり
それは同時に無限大でもある


ということ。普段から世間に毒されている連中は、これが理解出来ない。

私の場合、少年の頃に一度だけ体験している。
真夏の暑い時だった。快晴だったが湿気も異常だった。

祖母の墓参りをしに行ったのだが、その途中で猛暑にさらされて喉がカラカラになる。
水分を補給するものの、そういうのは直ぐに汗になり、また不快な気分になる。
砂漠を歩く人の苦しみが1000分の1ほど解ったような気がした。

体力は奪われ、歩く気力も萎えてしまう。
挙句の果てには「もうどうでもいいや」と考えることすら辞めてしまった。
今思えば、ただ無意識に歩いているだけだった。

そんな時、私はいつの間にか墓の前に立っていた。
しかも、涼まで感じる。後で調べたが、気温は36度から一向に下がってなかった。

涼を感じるどころか、一抹の不安すらも感じなかった。
それは、目の前の墓、大地と自分が一体化している妙な心地よさ。
何かに守護されているというよりも、環境そのものになったという感じ。

長く続かなかったが、気がついた時は不思議と体調が戻っていた。

この話を知人の行者に話したところ「それは、君が訪ねてきてくれたから御先祖様が喜んでんねん。祝福やな」と言ってくれたが違う。なぜなら、二度と同じ体験をしなかったからだ。

二度と体験出来なかったのは、私の中で「もう一度体験したい」という欲が出たからだろう。
だから今度は、欲を捨てる努力をした。でも、これもダメだった。
なぜなら「欲を捨てようとする努力そのものが、欲以外の何物でもなかった」からだ。

あの時は、偶然にもほんの一時だけ解脱の領域に踏み込めたのかも知れない。

岡本太郎氏の名台詞「芸術は爆発だ!」は、本当に火薬が飛び散ったり、弾薬庫の倉庫に火をつけられて木っ端微塵になるような類を言っているのではない。

解脱のことを言っているのだ。真の自己(真我)を閉じ込めている自我からの解放、これが氏のいう爆発である。宇宙そのものと一体化し、本来の自分自身は宇宙そのものでもあり、無敵の存在だと悟る。氏は、それを一瞬で出来たというのだから、超人だ。

また、氏はピカソについても一言つけ加えている。
芸術というものは、見た目の綺麗さで周りから「まるで芸術だ」と言われているうちは、芸術ではないと断言している。ピカソはそれに気づくのが遅すぎた。それで悩みぬいたという。ピカソは死を覚悟した時、彼の中で自分自身の芸術を見たのだ。

この話を聞いた時、さすが岡本太郎だと感動したものだ。

つまり、我々は必要なものを全て持っている。だから本来は、外から何も求めなくてもいいのだが、人間がそれに気づかないのは、心という名の自我に支配されているからだ。

そして、心は無知を作り出し、無知は欲望を生む。しかし、1枚1枚の無知に気づいて剥がしていけば、最後には本当の自分自身に会え、至福の時を迎えるであろう。

その為には、色々なものに触れて体験してみることが大事だ。

体験と真摯に向かい合えば、知らなかったこと、未体験という名の無知が剥がされて行く。
世間ではそれを発見と呼んでいるようだが、本来は逆の意味なのだ。


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