本日、すんなりと通常モードで仕事に入れました。

連休前から、今日の動きをある程度決めていて正解。


さて、昨日の荒浜小学校からの帰り、日頃お世話になっている某所へ。

(3連休だったらしい)休み明けの出勤で、仕事に励んでいるI女史に一声掛ける。

Iさんの昼休みに入るタイミングで、弘前土産を手渡しつつ、この春の桜&酒蔵まつりの話をユルリユルリと小一時間。

そこで『仕事していて、身体は動くけど、どうも頭の回転が今一つで(笑)』

なんて言うから、

『それ、単なる呑み過ぎ(笑)』と返すと、

『えっ!なんで!Σ( ̄□ ̄;)』
『う~ん( ̄~ ̄;)』
『うん!ここに誓います!呑む量をホドホドにしますっ!( ̄- ̄)ゞ』

『誓います!…って、図星かいっ!誓いますって真顔で言われても(笑)』


頭の回転も速く、仕事も出来る人なんですけど、妙なところで抜けているというか、天然というか。

自分も含め、Iさんと会話している人が真剣に話しているかと思ったら、急にケラケラ、ゲラゲラ笑っている場面をよく見るが…

もしや彼女は“魔性のオンナ”ならぬ“魔笑のオンナ”なのか?

いずれにせよ、愉快な人であるという事に疑う余地は無い。





いよいよ明日から日常が戻って来ますね。

まあ、GW恒例の田植えがあったので、それ以外の休日がちょいと増えた…そんな感じの日々。

そんなGW最終日、久々に仙台市の震災遺構へ。

と、その前に深沼海岸(深沼海水浴場)に慰霊の参拝へ。


被害者の慰霊で建立された観音像の高さ12メートル、それが当時の深沼海岸に押し寄せた津波の高さ。

海風と海砂避けの防風林を飲み込み、ここから500メートル程、内陸側にあった貞山堀が第1段の緩衝帯となり、波の高さを下げた。

そこから更に300メートル程、内陸側にあった建物。

それが『仙台市立荒浜小学校』


2階のベランダに津波の到達高さのプレート。

校内の廊下にも2階の浸水高さの表示。
ロッカー側面には、その時の痕跡が…


4階展示室には震災前の荒浜地区の復元模型
(矢印の先で横に走っているのが貞山堀)


屋上より深沼海岸を望む。
(矢印の先に観音像が建ってます)


展示室では震災前の地域を撮影されたいた映像資料であったり、

14時46分の地震発生時から学校屋上から避難者全員救出までの27時間を、当時の校長や町内会会長のインタビュー、消防ヘリの映像を交えた17分にまとめた映像「3.11荒浜小学校の27時間」などが流れてます。


このGW中は北海道から九州まで、日本各地より見学にいらっしゃったとの事。

今日も徳島県からいらっしゃっていた家族連れが…

またいつか見学に行こうと考えています。忘れない為に。


令和へと元号が変わった今日、午前中は剣璽等継承の儀、朝見の儀をテレビで拝見した後、

ゴールデンウィーク恒例の『田植え』でした。

今年も新たな試行有りで、分けつがどれだけ活発に行われるか、気になる所。

そして、秋までの気象・天候が順調なのか、それがね…

令和元年米の出来が楽しみでもあります。



それとは別に、令和が平成に続き、国内での戦争・戦乱がなく、

更には、湾岸戦争のような世界を巻き込むような凄惨な戦争が起こらない事を祈ります。