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(本好きな)かめのあゆみ

かしこいカシオペイアになってモモを手助けしたい。

ものすごくいい

というわけでもなかったが

まあおもしろいのはまちがいない。

 

ぼくにとっての町田康作品は

全体の内容はどうあれ

部分部分の表現がおもしろくて

すんなりと入ってくるので

読むのが楽なのである。

 

だから

ちょっと体調が万全とはいいがたいようなときでも

手にとりやすいのだ。

 

湖畔の愛。

 

どこかで町田康さんへのインタビューみたいなものがあって

そのなかに

吉本新喜劇のような感じ

みたいな表現があったと思うのだが

そのとおりまさにこれは

大胆にアレンジされた町田康バージョンの吉本新喜劇

といってもいい。

 

ぼくはそんなふうに読んだ。

 

舞台はほとんど湖畔のホテルのロビーで繰り広げられている

というイメージ。

 

実際には

ラウンジや部屋や湖周辺でのできごとも描かれているのだが

やろうと思えばそれらは全部ロビーでの会話のなかに紛れ込ませることができる。

 

無理な場合はナレーションででも。

 

まあそんなことは置いておいて

人間のだらしなさや移り気なところなど駄目な部分の描き方がいいんだよなあ。

 

ほんとうにどうしようもなくて

反省してもらいたいような行動パターンのひとたちで

それは実は自分にもそのまま跳ね返ってくるのだが

それを肯定はしないまでも

まあしゃあないよな

くらいには思ってる感じ。

 

これは開き直りなのかもしれないけど

そういうどうしようもなさをないことにするよりもよっぽどいいと思う。

 

自分でぼけて

それに自分で突っ込んで

さらにそれに自分で突っ込んで

さらにさらに

とどこまでも自分あるいは他者を客観的にメタ化していく思弁。

 

話はがらっと変わるが

この作品の美女の描き方も好き。

 

目がどうとか顔がどうとか髪がどうとかスタイルがどうとか

そういう細かな描写をすっ飛ばしてあるいは最小限にとどめて

美女な感じだけを提供して読者にイメージを預ける感じがいい。

 

だって細かな描写がなければ

自分の好きなタイプの美女を妄想して読めるわけだから。

 

そもそも写実的に妄想しなくても

とびきりの美女っていうことばのイメージだけで

もうじゅうぶん脳が快感を覚えるのである。

 

 

 

 

 

--湖畔の愛--

町田康

おお

これも独特の世界観、人間観。

 

こちらあみ子

で衝撃を受けた今村夏子さん。

 

この

星の子

あみ子

よりはマイルドながら

簡単な感情移入を許してくれない。

 

でもこういう家庭もこういうこどももたしかにいると思わせられる。

 

その生活は

おそらくほとんどのひとにとって奇異なものだと思うのだが

でもそれが不幸だということの証拠にはならない。

 

主人公の

ちーちゃんは

生れたころにはからだが弱かったのだが

たまたまお父さんの職場の同僚に勧められた

金星のめぐみ

という水によって

ちーちゃんのからだが健康になっていく。

 

それは成長に伴う自然なものであって

水とは何の関係もないのかもしれないのだが

我が子を愛するお父さんとお母さんにその水の効果を信じさせるには

充分なものだったに違いないだろう。

 

誰もそれを責めることはできない。

 

そのお父さんとお母さんのもとで育つちーちゃんとお姉ちゃんが

不幸だと決めつけるのもやはりこっちがわの人間の傲慢なんだろう。

 

ラストシーンが実に不思議で

意味なんかも考えたくなるけど

きっとそんなに何も考えなくていいのだろう。

 

今村夏子さんの作品は

是枝裕和監督の作品と問題意識が似ているかもしれない。

 

自分が思うオーソドックスとは違う生き方をしているひとたちを

いないことにしてしまう風潮への疑問。

 

星空。

流れ星。

 

 

 

 

--星の子--

今村夏子

オアシズの光浦靖子さんが

新聞で人生相談をやっていて

ぼくはその回答をけっこう気に入っていたのだが

それがたまたま飲み会でも話題になって

ぼくのほかにも

光浦さんっていいよね

っていうひとがけっこういて

つまり光浦さんのブームがきてる?

ってそんなふうに思い

調べてみたら

この本が出ていたので読んでみた。

 

TVBros.

っていう雑誌に2010年から2013年まで連載していた

お悩み相談エッセイ

ということらしい。

 

読んでみたら

まあおもしろいのはおもしろいのだが

最近の新聞の人生相談のよさまでは届いていない。

 

なぜかと考えたら

やっぱり

読者のターゲットが

新聞読者とテレビ雑誌読者との違いがあるだろう。

 

テレビ雑誌読者向けの方が

自由であるがゆえに

なんか軽い感じがする。

 

新聞読者向けの方が

制約が多い分

推敲を重ねられているのではないかという気がする。

 

それよりもなによりも

書かれた年代の違いが大きいだろう。

 

やはり光浦さんは

2010年代前半よりも

後半に入ってからの方が味があるようになっているに違いない。

 

ようやく彼女の良さが出る年齢になってきたということだろう。

 

自意識過剰でそこそこ頭がいいがゆえに

屈折してこじれた人生を歩んできた光浦さん。

 

ぼくにもちょっと似ている。

 

内省を深めた結果がいま出ているという事だと思う。

 

っていうことで

光浦さんの新聞の人生相談が書籍化されるのをたのしみにしたいと思う。

 

 

 

 

 

--お前より私のほうが繊細だぞ!--

光浦靖子