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(本好きな)かめのあゆみ

かしこいカシオペイアになってモモを手助けしたい。

ぼくは言葉が好きで

言葉遊びも

対話も好き。

 

滅多にないことだけど

いい言葉遊びや

いい対話の時間が過ごせると

とても幸せな気持ちになれる。

 

そんな言葉好きなぼくだけど

つたなくても思いが伝わる言葉や

言葉を超えたコミュニケーション

っていうのにも憧れる。

 

多和田葉子さんの作品は知的だなあ。

 

寓話的というか思考実験的というか

小説ならではの表現がおもしろい。

 

社会批評的でもあるんだけど

そこを声高に叫ぶのではなく

さりげないところがまたいいんだよね。

 

献灯使

で舞台となっていた

原発事故のせいで他国との行き来はもちろん情報のやりとりも断絶された日本

を想像させる国の出身で

たまたま断絶時にヨーロッパに留学していたせいでもう二度と故郷に帰れなくなり

独自のコミュニケーション言語

パンスカ

を編み出した

Hiruko

という主人公が

言語を学ぶクヌートという学生と一緒に

故郷の言葉を話す人物を探すという設定。

 

登場人物のひとりひとりが

既成の価値観からはみ出していて

でもそれは反骨精神とかそういうのじゃなくて必要に迫られてのもので

生きづらいには違いないけどそういう感じでもなくて

すごく魅力的なんだよね。

 

こういうのを自由っていうんだろうな。

 

そんな自由なひとたちが

お互いの価値観を認め合いつつも

ときにはより深く理解するために衝突し合いながら

言葉を交換し合っていくっていう

ある意味

言葉そのものに価値を見いだすぼくにとっては

ユートピアのような世界。

 

そんな言葉のやりとりの物語の最後がああいう感じなのは

それもいいなと思えた。

 

感動とか泣けるとかそういうのではなくて

小説という手法でこそ表現される実験的な遊びに触れることを楽しめる作品だった。

 

 

 

 

--地球にちりばめられて--

多和田葉子

ようやく読めた。

 

この短編集に収められている

七階

が読みたかったんだよな。

 

病気の症状が重いほど一階に近く

軽いほど七階に近いフロアに入院させられるといわれる病院。

 

病気でもないくらいの軽度の症状で念のため入院した男が

なんだかんだで七階から順番に下のフロアに下ろされて行き

やがては一階までたどり着くという話で

それが現在の社会状況に似ているのでは

と気になったので読みたかったのだ。

 

だがこの作品はぼくにとってはまあまあだった。

 

もうちょっとナチュラルな感じで一階に下りていく感じが欲しかった。

 

その方が怖くていい。

 

この短編集に収められている16の短編のなかでは

神を見た犬

がぼくはいちばん好きだったかな。

 

いかにもひとびとの愚かさを表現した寓話って感じで。

 

別の短篇集

魔法にかかった男

を読んだ時にも感じたんだけど

全体を通してあいまいで不確かな不穏さが漂っていて

エドワード・ゴーリーの作品と似た印象を抱いた。

 

カフカといえばカフカなんだけど

ファンタジーの匂いが強いような気もする。

 

竜とか騎士とか出てくる作品もあるし。

 

あと

カフカにあるユーモアは弱いような気がするので

やっぱりカフカとは違うかな。

 

ってほかの作家の作品と比べるのは品がないし失礼なのでやめるが

この短編集のイタリア感は嫌いではない。

 

 

 

 

 

--七人の使者--

ディーノ・ブッツァーティ

脇功 訳

2018年も今日でおしまい。

 

暖冬だと思っていたら

師走最後の1週間は急に寒くなった。

 

新しい年を迎える準備はとりあえず終わっているので

あとはこの1年を静かに振り返りながらおおつごもりの1日を

のんびり過ごしたい。

 

今年は家族にも仕事にもいつもの年とは違うことがあり

変化の年だったといえるかもしれない。

 

新しい部署に異動して

最初は緊張感で全身が痛くなるようなこともあったが

なんとか9か月乗り切って

この年末年始に無事に滑り込めたのは幸運だった。

 

来年もけっして初心を忘れることなく

謙虚な気持ちで務めを果たしていきたい。

 

欲を持たないことがしがらみのない自由さにつながって強みとなっていたので

欲を出さないように自らを戒めたい。

 

それから

特に記憶に残ったのは災害や気象。

 

6月の地震に始まって

豪雨や猛暑

それから立て続けに直撃した台風と

危機管理について考えさせられた1年だった。

 

危機はいつでもそこにあり

予測はできないとしてもある程度の備えはできる。

 

それをするかしないか。

 

正常化バイアス

っていうことばも今年のキーワードだったような気がする。

 

いまでもときどき

次の瞬間には巨大地震が起こるかも

という感覚がよぎることがある。

 

 

 

 

今年特に印象に残った本をまとめておく。

 

 

 

 

 

★特に

洗練された日本語の美しさを感じさせてくれたのは

 

三島由紀夫さんの

美しい星

 

言葉のひとつひとつは至ってシンプルなのだが

紡ぎ出された文章がモダンで美しい。

 

実はぼくにとっては初めての三島由紀夫作品だったのだが

こんなにかわいい作品を書くひとだとは思っていなかった。

 

もちろん他の作品はこれとは趣を異にするのだろうけど。

 

 

 

 

★特に

読書の楽しさを味わわせてくれたのは

 

町田康さんの作品の数々。

 

今年は

東京飄然

パンク侍、斬られて候

湖畔の愛

を読んだが

どれもとてもぼく好み。

 

単純に読んでいて楽しい。

 

ばかばかしいなかに哀愁がそこはかとなく漂っているのがいいんだよね。

 

それと

東京飄然みたいな感性で日常を旅のように楽しみたい。

 

 

 

 

★特に

遂に読んだぞーという達成感

を感じさせてくれたのは

 

ニーチェさんの

ツァラトストラかく語りき

 

ぼちぼちと読み進め

2年くらいかかった。

 

そもそもこんな

みたいな文章だとは思っていなかった。

 

意味はほとんど理解できていないのだとは思うが

なぜかとにかく力が湧いてくるのが不思議。

 

 

 

 

★特に

こどもを巡る女性の微妙な心理が絶妙に表現されているなあ

と思ったのは

 

小山田浩子さんの短篇集

に収録された

家グモ

 

こどもが欲しい女性

こどもを授かった女性

その周りのひとびと

などの心理が

微妙な毒を混ぜながら絶妙に描かれていて

これってかなりリアルだなあ

と思わずにはいられなかった。

 

現代の女性たちが疲弊するのもうなずける。

 

世にも奇妙な物語的な

世界でもある。

 

 

 

 

★特に

マイナス40度の極夜の世界にイメージを馳せた

のは

 

角幡唯介さんの

極夜行

 

ノンフィクションなのだが

やっぱりひとが自然と対峙して

思索するということは

精神的にも肉体的にも研ぎ澄まされていて

引き締まる。

 

もちろんこんな極限の世界にわざわざ身を置かなくても

ぼくたちの日常そのものが探検である

という視点だって持とうと思ったら持てるわけだけど

こうやって自身の経験を文章にしてもらえると

ほんとうに刺激になる。

 

それにしても太陽っていうのは人間にとってほんとうにエネルギーの元だ。

 

もちろん闇には闇のエネルギーもある。 

 

 

 

 

★特に

日本社会の無責任構造の成り立ちがよくわかった

のは

 

内田樹さん編の

人口減少社会の未来学のなかの

内田樹さんの寄稿

序論 文明史的スケールの問題を前にした未来予測

 

たしかに全体が頑張ろうって空気になっているときに

いやちょっと待ってこのまま進めていいかどうか一回立ち止まって検証しよう

なんて言いにくい雰囲気が日本にはある。

 

これは一部の指導者だけがそうなんじゃなくて

国民性というか文化みたいになってしまっていて

いい面もあるけど崩れる時は一気に崩れるという致命的な問題がある。

 

さらに厄介なのは

原因がわかっても到底あらためられそうな気がしないことだ。

 

それから

AIによる産業革命をリードしないと次の時代に後進国になってしまう

という井上智洋さんの寄稿には怖さと焦りを感じずにはいられなかった。

 

 

 

 

ほかにも

シェイクスピアの

オセロー

古市憲寿さんの

平成くん、さようなら

中野信子さんの

不倫

ヒトは「いじめ」をやめられない

とかも印象に残っている。

 

 

 

 

 

ぼくは多読ではなくじっくり読む派なので

まだまだ読みたい本がある。

 

限られた人生の時間で

どの本を選んで読むかっていうのは

かなり重要な問題だ。

 

とはいえ

ぼくはあまり

この本を読んだのは時間の無駄だった

と思うことはない。

 

つまらなければつまらないなりに自分の思考がそれを補っているからだ。

 

これは作者に対しては失礼な読み方なのかもしれないけれど

でも読書って頭のなかでの体験なんだから

そういうのもありなんじゃないかな。

 

とにかくこの1年

新しい生活のなかにもやはり読書はあった。

 

読書がぼくの人生の継続性を守ってくれている。

 

読書に興味を失う日が来るとしたらそれはとても不安なことだ。

 

目が見えにくくなるとか

読書の集中力が続かなくなるとか

そういうことがあるのかもしれない。

 

まあそうなったらそうなったで

本の力を借りずに

自分の脳内で物語を創作して読んだらいいのかもしれない。

 

そのためにも読書で基礎体力をつけておかなければ。

 

 

 

 

2019年はすでに波乱の予感が漂っている。

 

どうか無事に年末を迎えられますように。

 

そして数多くのいい作品に出会えますように。