(本好きな)かめのあゆみ -33ページ目

(本好きな)かめのあゆみ

かしこいカシオペイアになってモモを手助けしたい。

このひとの小説はセンスがぼく好みなんだよね。

 

知性的なのに感情的。

 

ぼくは

自分の気持ちいいルールをつくって

自分がコントロールできる範囲で暮らす

ことに安心感を得るタイプなんだけど

この小説の主人公もそんな感じ。

 

そんな彼女が

現実の人間と否応なしに関わらなければならない状況になって

箱庭的小宇宙

たる自分の生活を乱されることになる。

 

うんざりしたり

気が変になりそうになったり。

 

ぼくも

自分の生活に他人が入ってきて乱される

のはものすごく苦手で

できるだけ自分のテリトリーに他人を入れたくない。

 

親しい友人でさえ

テリトリーに入って来られるのはちょっと嫌。

 

でもこころの中ではそんな

箱庭的小宇宙

に引き込もっているよりも

現実の人間たちとの

自分ではコントロールできない関わりの中にこそ

大きな喜びや楽しみがあって

もちろん悲しみや怒りもあるんだけど

それらの感情の一切が

幸せを感じさせてくれるんだろうな

という予感みたいなものを感じている。

 

そういう感情生活というのにあこがれる。

 

後半に一気に劇的になっていくストーリーもいいんだけど

なんてことのない文章のひとつひとつに

人生の楽しみというか

ああそういう感じ方って楽しいかも

って思えるものがあって

ぼくも自分の生活をこういう視点でみつめられたらいいのにな

ってそんな風に思う。

 

恋愛部分も良かったけど

あかちゃんとの暮らしのところが最高だった。

 

 

 

 

--最初の悪い男--

ミランダ・ジュライ

岸本佐知子 訳

男性脳と女性脳。

 

こんなふうにくくることに反射的に拒否反応を示すひとたちもいるし

ぼくだって全部が全部きれいに二分されているとは思わない。

 

そんな単純な話じゃないって。

 

男性でも女性脳の特徴を持っているひともいるだろうし

女性でも男性脳の特徴を持っているひともいるだろう。

 

男性脳女性脳とひとくちにいっても

そのたくさんある特徴の部分部分であてはまり度が違うこともあるだろう。

 

そういう留意事項を附したうえで

ぼくは生物的動物的身体構造的身体機能的に

男性的女性的というのはある程度検討に値する区分だと思っている。

 

という前置きを長々としたうえで

やっぱり男と女って違うところも多くて

それを踏まえないと

ただ単に男女平等男女同権っていっても

間違えることになるんじゃないかなと思う。

 

この

妻のトリセツ

に書いてあることも

いまのぼくならさまざまな実体験を踏まえてよく理解できるし

できることならも10代の頃から知っておきたかった。

 

知っていたら

知らないせいで起こるさまざまな男女の行き違いというものも

回避できただろうに。

 

女性脳は記憶を感情でタグ付けしていて

たとえば

嬉しいことが起こると

過去の

♯嬉しかったこと

でタグ付けしていた記憶が一度に思い起こされるっていうことらしい。

 

だから

ずいぶん昔の話を持ち出されて困惑するっていうことになる。

 

辛い記憶「ネガティブトリガー」を作らないのは大事。

 

特に周産期・授乳期には

人生最大のネガティブトリガーを作り出すらしいから

この時期に男性がどのように接するかがとても大事。

 

記念日っていうのも重要で

この記念日が

ネガティブトリガーの蓄積になるか

ポジティブトリガーの蓄積になるか

いわば正負ともどものボーナスデーとなる。

 

ぼくはほんとうに記念日というものが苦手。

 

普段と違うことが苦手なので

スペシャルが苦手ということになる。

 

毎日がスペシャル

なら通常モードなので

そういう意識に持っていきたいところ。

 

女性脳は共感で喜びを感じるのでとにかく共感する。

 

感情は肯定

事実は否定

でも構わないので

とにかくそのときの気持ちを肯定して共感する。

 

共感するときには

女友達のように接する

っていうのはいい方法だと思う。

 

女性の小言はセキュリティ問題っていうことで

男性からするととるに足りないつまらないことのように思えることでも

女性がそれに対して苦情を述べることは

それが女性のセキュリティに関することだから。

 

男性は理解できないからといってそれを軽んじてはいけない。

 

男性脳はナンバー1と認められるのが嬉しくて

女性脳はオンリー1と認められるのが嬉しい。

 

きみとだからしあわせ。

きみとだからやっていける。

 

編著者の黒川伊保子さんは

人工知能研究者で

脳科学コメンテーターとか感性アナリストという肩書を持っているけど

その黒川さんが薦めるいい夫とは

「おおむね優しくて頼りがいがあるが、時に下手をして、妻を逆上させる男」

にほかならないらしい。

 

女性に突っ込みどころを与えない男性というのも女性には好ましくないのである。

 

ありがとう

ごめんなさい

素直に言えるひとになろうかな。

 

って

この結論

我ながらあまりにもこどもじみているけれど

重要な真理であると思う。

 

 

 

 

 

 

--妻のトリセツ--

黒川伊保子 編著

96歳の瀬戸内寂聴さんと

その秘書である

30歳の瀬尾まなほさんの

対談。

 

っていうかおしゃべり。

 

寂聴さん、若い。

 

まじか。

 

どんなふうに生きたらそんなことになるんだ。

 

その答えはきっと

想像力

にあるんだろう。

 

忘己利他

無常

っていうのもキーワード。

 

瀬尾まなほさんが寂聴さんの秘書になった経過がおもしろかった。

 

まさに縁。

 

ふたりは祖母と孫

あるいは親友といってもいいくらいの愛情で結ばれている。

 

もう相性としかいいようがない。

 

寂聴さんを慕っているひとはたくさんいて

そんなひとたちからはきっと

なんで瀬尾さんなんかが寂聴さんにあんなにも寵愛されるのだろう

と妬ましいというか不思議というか羨ましいというか

そんな気持ちを抱かれているだろうけど

尊敬とか崇拝とかとは違うレベルで

ひととひととのつながりはできている。

 

もうそれは相性としかいいようがない。

 

どんなに頑張って求めても得られない愛もあれば

ほんとうにたまたまの縁で得られる愛もある。

 

こればっかりはもうどうしようもないんだよな。

 

とはいえ何もしないでも良縁が向こうから転がってくるかというとそういうことではなくて

寂聴さんは若いスタッフを求めて面接をするという行動をしているし

瀬尾さんは就職活動はもとより普段からの友達づきあいをていねいにやっていたっていうのがある。

 

この本の内容は

むかしのぼくからしたらあまりにも他愛なくて意味のないしょーもないものだっただろうけど

いまのぼくはこの他愛のなさ意味のなさありふれた感じっていうもののたいせつさを

以前よりほんのちょっとはわかっていて

だからこのふたりの関係っていうのもほんとうにいいなと思う。

 

寂聴さんも幸せだろうな。

 

理性と感性のバランス。

 

頭でっかちから自然な人間性への回帰。

 

 

 

 

--命の限り、笑って生きたい--

瀬戸内寂聴

瀬尾まなほ