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(本好きな)かめのあゆみ

かしこいカシオペイアになってモモを手助けしたい。

久しぶりのシェイクスピア。

 

やっぱり美文に痺れます。

 

福田恆存さんの名訳。

 

イアーゴーの奸計によって

ありもしないスキャンダルに嫉妬の炎を燃やすオセロー。

 

登場人物の感情や思考が単純化されすぎているとはいえ

それを吹き飛ばしてあまりある勢いとリズムとテンポと美しく趣の深い文章。

 

気の利いた箴言に溢れている。

 

イアーゴーに踊らされていることに気づかない

単純なひとびとなのにそれぞれに神話的で魅力があるんだよなあ。

 

とはいえぼくは屈折したイアーゴーがいちばんおもしろい人物だと思う。

 

ゲーテのファウストでもメフィストーフェレスがいちばん好き。

 

いいひとはつまらない。

 

そういうこと。

 

それにしてもイアーゴーよ。

 

いったいきみはなにをしたかったのか。

 

転がりだしたときから既に自らの破局も決まっていたはずなのに

それに気づかなかったのか。

 

それとも自分を含む世界の破滅を目論んでいたのか。

 

 

 

 

--オセロー--

シェイクスピア

場の空気を震わせる独自の見解で人気の

古市憲寿さんの小説。

 

へえ

こんな小説書くんだ。

 

らしいといえばらしいけど。

 

でもこのテーマ

ほかの作家からしたら

やられた

って感じになるんだろうな。

 

自分も書こうと思ってたのに

って。

 

実際に

ほかの作家の書いたこのテーマの作品も読んでみたいような気がするし。

 

とはいえ

古市さんっぽい軽薄というか軽くてさらりとしたこの表現が

とてもこの作品のテーマに合っていると思う。

 

この作品のテーマっていうのは

ぼくは

身体感覚を失った現代人のこれからの可能性

だと思う。

 

人間には本能と理性があり

それぞれが相互に影響し合って

人間らしさというものが醸し出されている。

 

本能と理性

っていうのは

いろいろな言い方があると思うけど

扁桃体と前頭前皮質と言ってもいいと思う。

 

あるいは

動物としての身体機能と人間としての知性とか。

 

1989年1月8日生まれの平成くん。

 

正しくは

ひとなりくん

と読むらしいのだが

人はみな

へいせいくん

と呼ぶ。

 

同じ日に生まれた愛ちゃんの視点でこの物語は紡がれていく。

 

作者を思わせる平成くんはとてもいい。

 

愛ちゃんが平成くんを愛おしいと思っていて

その視点で語られるからかもしれないけど

この理屈っぽさとクールさとニュートラルさがいい。

 

毒舌と言われるような平成くんの発言も

ぼくからすると一理あるよね

って思える。

 

平成くんと愛ちゃんの

知的な会話がとても心地いい。

 

こんな会話を楽しみたい。

 

知的な会話っていうのは

何も上から目線ではなくて

ほんとうにただのことば遊びだったりもするんだけど

そんな無駄な遊びっていうのがうれしいんだよね。

 

高等遊民の生活。

 

あこがれる。

 

平成くんの淡々さに比べて

愛ちゃんがほどよく人間的なのもいいよね。

 

そんな平成くんが

平成の時代の終わりに安楽死を考えている

と愛ちゃんに告げる。

 

この作品のなかでは安楽死が合法化されているのだ。

 

一定の条件がクリアされていれば安楽死が認められるシステム。

 

愛ちゃんは平成くんが安楽死するのは納得いかないのでやめるよう説得を試みる。

 

平成くんは安楽死の現場を取材して回る。

 

そんなふたりの恋愛といえるのかどうかよくわからない不思議な関係が

実に観念的で不自然でありながら

とてもピュアなのでぼくは好き。

 

とても好き。

 

「ねえ平成くん」

 

スマートスピーカーに話しかける。

 

猫の去り方と似た平成くんの姿の消し方。

 

平成の終わりのこの時期の風俗が

架空のものも含めて織り込まれていて

それらはきっと

平成の時代の空気を未来に送り届けてくれるだろう。

 

 

 

 

--平成くん、さようなら--

古市憲寿

脳科学者である中野信子さんの新書。

 

不倫

っていうタイトルなのでなかなか手にとりづらい。

 

このひと不倫に興味あるの?

って思われそうで。

 

でも中野信子さんがどういうひとかわかっているひとには

この本の内容がこのタイトルによって通常イメージされるようなものでないことは

わかっている。

 

いわく

脳科学の知見によれば

不倫も不倫バッシングも

オキシトシン

ドーパミン

セロトニン

などの

脳内ホルモンの生み出すものである。

 

恋愛体質には

安定型

回避型

不安型

がある。

 

そのひとがこのうちのどの型になるかは脳内ホルモンの影響が大きく

脳内ホルモンの分泌の仕方は受け継いだ遺伝子によって決まっているが

成長過程や生育環境にも影響を受ける。

 

安定型のひとのそばにいれば

回避型や不安型のひとも安定型に近づいてくる。

 

ぼくも安定型のひとは好き。

 

一緒にいたらきっと

オキシトシンとかセロトニンとかいっぱい分泌されてる。

 

オキシトシンは愛情ホルモン。

 

でも愛情は取り扱い注意なのである。

 

オキシトシンには

内集団バイアスと外集団同質性バイアスを高める働きがある。

 

内集団バイアスっていうのは

自分が属する集団には愛着が強まるっていうことで

外集団同質性バイアスっていうのは

自分が属する集団以外の集団は自分が属する集団とは違って均質であると思いがちになる

っていうこと。

 

簡単にいうと

たとえば自分が属する組織への愛着が強くなると

客観的な評価を下せなくなって

自分が属する組織の良い面での特殊性ばかりが見えてくるとか

自分が属する組織以外の組織に対しては

実際はその組織の構成員にもいろんなタイプのひとがいるはずなのに

あの組織の人間はだいたい〇〇なタイプ

などとひとくくりにしてしまいがちということ。

 

好きなひとの欠点は見えにくくなるとか

外国人がみな同じように見えるとかそういうこと。

 

ぼくはむかしからできるだけ特定のものに愛情を注ぐことを避けようと考えていて

たとえばスポーツなんかを観るときも誰か特定の選手やチームを応援するのではなくて

そのスポーツそのものを楽しみたいと思うタイプ。

 

なんでそんなめんどくさいしばりをかけるの? 好きなものは好きでいいじゃない?

と寂しくなることもたまにはあるんだけど

愛情が強くなりすぎると公正にものごとを判断できなくなるのでは?

というひっかかりが勝ってしまうのである。

 

ぼくがそんなふうに感じていたのはあながち変なこだわりじゃなくて

そもそも人間の愛情にはそういうメカニズムがあって

無意識的にそれの弊害を避けていたんだと思えば腑に落ちる。

 

何かを愛するということは

愛する対象に対して客観的に見られなくなると同時に

愛する対象以外のものに対する客観的な判断もできなくなるっていうこと。

 

不倫の話に戻ると

全員というわけではないが

人類には一定の割合で一夫一妻制では我慢できない遺伝子を持つ者が存在し

それが生き残っているということは

種の生存戦略上それは少なくとも過去には一定の効用があったということで

たまたま現代社会を円滑に営むうえで主流を占めるルールが一夫一妻制であるからといって

動物の一種としての人間の機能はまだそのルールを誰もが守れる状況までには変化していないので

そういう事情は理解しておかないと

いたずらにバッシングするだけでは実際には何の改善もできないことになる。

 

中野信子さんの

不倫を撲滅するとか

逆に一夫一妻制を廃止するとか

そういう極端なことを目指さないで

現代の人間社会のルールと遺伝子的機能の間の矛盾を理解し

その矛盾を抱えながら生きていく

矛盾と上手に付き合う

もっといえば

矛盾を矛盾として味わう態度を身につける

というのが建設的ではないか

という提案には共感した。

 

だってそれしかないような気もするんだよね。

 

絶対にそんなのおかしい

っていうひとがたくさんいるのもわかっているけれど。

 

 

 

 

 

--不倫--

中野信子