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(本好きな)かめのあゆみ

かしこいカシオペイアになってモモを手助けしたい。

テレビや新聞で見かけるイメージとちがう一面

といえばそういえるし

いやそこはかとなくそういう気配はあった

といえばそうもいえる。

 

自分の来し方を見つめて文字で残す作業を経れば

いったん記録した内容で過去が整理され

うまく書けなかったとかまだ書き切れていないという思いを抱きつつも

現在の自分の座標を把握し

未来へ向かっていく際の心強いよすがとすることもできる。

 

ぼくもかねてから

自分の半生を文字に残したいと考えつつも

それができていないのだが

この作品はお手本になりそうな気がする。

 

時系列に書かれていないのはどうしてだろう

と思いながら読んでいたが

最後まで読み通せば

これでよかったと思えた。

 

なにしろつらいできごとが少なくとも2回起こる。

 

これは女性にとっては相対的にわりとありえることなんだろうか。

 

それとも女性のなかでも特に不運なことなんだろうか。

 

現在の彼女の自信に満ちたようにみえる状況を知ったうえでないと

読み進められないかもしれない。

 

それにしても良いパートナーに巡り合えたものだ。

 

ぼくも三浦瑠麗さんみたいなタイプの女性は好きだが

ぼくの手にはとうてい負えないということを

いまのぼくは知っている。

 

どの女性でもこのような困難に直面して

乗り越えられるとは思わないし

また

だれでも乗り越えなければならないとは思わない。

 

乗り越えられなかったとしても仕方がないくらいのつらい経験だと思う。

 

だから

同じような困難な経験をして乗り越えられなかった女性が

この本を読んでどう感じるかは自由だと思う。

 

でも

彼女の生き方を励みにすることができたなら

それはとても勇気のあることだとも思う。

 

最初から読み通すと

最終章のちからづよさやすがすがしさに説得力があって

いまでも弱いところはもちろんあるけれども

きっぱりと自立した愛と優しさのあるひとりの人間

三浦瑠麗という存在が愛おしくなるのである。

 

まさに

孤独の意味も、女であることの味わいも

知っている人間だと感じた。

 

 

 

 

--孤独の意味も、女であることの味わいも--

三浦瑠麗

他の誰の作品とも似ていない独特の世界観で

気づけばあっという間に読み終えていた。

 

今村夏子さんは

「こちらあみ子」

で出合って以来追いかけているが

これまたすごい作品を生み出した。

 

小説のたくらみが心地よい。

 

こういうたくらみこそ

小説が小説であり

他のいかなる表現とも異なる

存在理由だと思う。

 

時代の潮流を無視しているようにも感じる独特さであるが

同時に時代や国境を超えた普遍性を感じさせる。

 

語り手の不穏さ。

 

不気味さっていうのとはちょっと違う。

 

登場人物たちのありふれた振る舞いのなかの醜さ。

 

誰がおかしいって全員おかしい。

 

でもそれって

このひとたちはおかしい

と思っているぼく自身のおかしさにつながっている。

 

主な舞台となるのが

ホテルの客室清掃スタッフという設定なのが絶妙だと思う。

 

もちろん現実にこんな会社があったら

いまの世の中ではただちにつぶれるだろうけど。

 

他人に対する視線のいびつさ。

 

自分の言動や思考に対する無頓着さ。

 

こわいものみたさ

みたいな感覚で読んでいる自分。

 

ものすごい事件や暴力ではないけれど

社会にありふれている醜さ。

 

その存在に関与せず気づかないまま生きていくことはできてしまうけれど

ぼくは気づいてしまうし

むしろほかのひとたちにも気づかせたいと思っているから

それを描き出しているこの作品に共感する。

 

 

 

 

 

--むらさきのスカートの女--

今村夏子

まじでこれ14歳のときの芦田愛菜さんが書いたの?

 

信じられない?!

 

芦田愛菜さんへの聞き取りを

ライターさんが文章に落とし込んだのかもしれないけど

これだけ話ができるっていうだけでもすでにすごい。

 

少なくともこれだけの本を読んでいて

それについて至極まっとうな感想を抱くことができ

しかも作品内容を自分の暮らしと結び付けて表現できてる。

 

細雪とかレ・ミゼラブルとかも読んでるんだよね?

 

14歳の頃のぼくとは次元が違う。

 

いやぼくがぼーっとしていただけで

読書好きの14歳ならこれくらいのことはできるものなのか。

 

すごいなあ。

 

とそんな前置きはこのあたりにして

内容の感想。

 

児童書とか図鑑とか

こどもらしい本のところを読んでいるところは

なんだかほっとする。

 

おとなが読むような本も

そのセレクトはわりと健全で

こういう本を娘が読んでくれていると

親はうれしいだろうなあ

という感じ。

 

この本で紹介されている作品のうちで

ぼくが読んだことのあるものは結構少ない。

 

太宰治派か芥川龍之介派かといえば芥川龍之介派だ

っていうところには

なぜか

ぼくもそうだよ

って仲間意識を覚えた。

 

もちろん太宰もいいんだけどね。

 

星新一さんの「声の網」の感想で

情報が一人歩きすることの怖さを感じたうえで

「私は、本人と話したこと以外は、うわさとして話半分で聞いておく、くらいにしています。」

と語るあたり

やはり的確。

 

憧れの辻村深月さんとの対談のなかで

「実は、私も恥ずかしながら、何回か小説を書こうとチャレンジしたことがあるんです。」

と言っているので

さすがの才女だな

と思った。

 

あまりうまくいかなかったみたいなんだけど

それでも小説を書くことの難しさを知ったことによって

さらに作家への尊敬の気持ちが高まったと感じるあたり

やはり経験と読書を結びつけて自分の世界を広げる能力が高い。

 

まあいまのところ

14歳としてすばらしい感性と表現力を持っている

芦田愛菜さんであるが

そんな彼女が

これからどんな経験を積みどんな作品を読んで

どんな人間になっていくか

ぜひともみさせていただきたいものだ。

 

読書では

毒のあるものや病的なもの

世界のおぞましさを描いたもの

などにも出会ってほしいが

実生活では

くれぐれも男性で失敗してほしくないなあとも思う。

 

まあそれも女優としての糧にはなるのかもしれないが

正直なところぼくはあまり見たくない。

 

芦田愛菜さんが素敵なパートナーと結ばれ

幸福な人生を送られますように。

 

 

 

 

 

--まなの本棚--

芦田愛菜