(本好きな)かめのあゆみ -13ページ目

(本好きな)かめのあゆみ

かしこいカシオペイアになってモモを手助けしたい。

東京飄然

どつぼ超然

この世のメドレー

そしてこの

生の肯定

 

遂に旅が完結した。

 

読んでいて気づいたんだけど

飄然から始まり

超然を経て

生の肯定へと至るこの旅は

まるで

ニーチェのツァラトストラかく語りき

みたいだね。

 

そして

生の肯定

の真のあり方さえも最後に反転する。

 

やっていることは相変わらずぐだぐだなのに

全体を通してみるとかなり崇高な哲学的思索になっているという

この不思議さ。

 

今回は

熱海の自宅から横浜美術館へ向かうだけなんだけど

もはや現実の旅ではなく

moonlightながら

という光の世界の話になっていたりして。

 

こんなふうに妄想を膨らませることができたら

いつものルーティンも飽きないよね。

 

国府海ってネーミングもいい。

 

龍神沖奈はまさに神話的存在。

女神は誰でも美形とは限らない。

っていうか美醜って何?

 

国府海で起こる地獄絵図を超えたその先に

生の肯定の究極があったのかなかったのか。

 

でもとにかく

この地獄を経てこそ至る境地というものがある。

 

それにしても

町田康さんの文章は

例外なくぼくにしっくりくるから

いつ読んでも快感なんだよなあ。

 

 

 

 

--生の肯定--

町田康

帰ってきたヒトラー

以来

およそ5年ぶりの映画館での映画鑑賞。

 

なんとなくいまのぼくに必要な映画だという予感がしていた。

 

さいわい

村上春樹さんの原作は読んでいないので

ほぼ白紙からみることができた。

 

もっとも原作にかなり脚色が加えられているらしい。

 

179分の映画だが

静かな緊張感がありつつ

ここちよい時間を過ごした。

 

まるで映画のなかに入って

自分も登場人物たちの会話に参加している感じ。

 

ひとつひとつのことばに

ほんとう

が乗っていて磨かれていた。

 

こんなことばを話したいし

こんな会話をしていたい。

 

日常生活では無理だけど。

 

映像がとてもからだになじんだ。

 

大きなスクリーンで観る映像美は映画館ならでは。

 

悠介がみさきに感情を吐き出すシーンはカタルシスで

ぼくもそういう流れにあこがれる。

 

相手が誰でもいいってわけじゃない。

 

ここからはネタバレになるけど自分のためのメモ。

 

 

 

 

 

 

チェーホフのワーニャ伯父さんなどの舞台との交錯がとても効果的。

テキストはそれだけで強いちからがある。

 

多言語の俳優たち。

手話がさらに鮮烈。

 

赤いSAABが印象的。

ぼくはロードムービーが好き。

車内の会話

カセットテープから流れるのは台本を読む妻の声(夫のセリフの部分をあけてある)

運転席から見た風景

車の後ろに過ぎ去る景色

遠くから車を撮った映像。

 

北海道で雪道をバックするシーン。

後から映る花屋の看板で

なんのためのバックかがわかった。

 

ベッドのうえで紡がれるあたらしい物語。

前世はヤツメウナギだった少女。

 

オープニングの音の美しさ。

性交の後に音が物語を語るのは

まるでシャーマンのようだった。

 

広島で悠介が逗留した島の部屋からみた瀬戸内の青。

 

ごみ焼却場。

 

湾岸の階段。

 

北海道で悠介が感情を爆発させるところ。

正直なところぼくはここで

自分の感情とていねいに向き合い

抑圧せずに自分の感情を受け入れることのたいせつさについて

どんな説得力のあることばが聴けるだろうと期待していたんだけど

そこはちょっと思っていたのとはちがった。

もちろんむずかしいことであるのでしかたがない。

 

パートナーの秘密を知ってしまったときにどうするか。

ぼくは

パートナーを失うこと

パートナーとの関係性を壊すこと

をおそれて

やっぱりあのときの悠介とおなじように

だまって知らないふりをするだろう。

 

高槻が悠介に言った

もしも彼女がそれを聴いて欲しがっていたとしたら

っていうのは

可能性としてはわからないことはないけど

そうじゃない可能性もあるので

かなりむずかしい判断になるだろう。

 

自分から言ってきてほしい。

聴く準備はいつでもしておくから。

 

 

 

 

--ドライブ・マイ・カー--

監督 濱口竜介

日本とそう条件の変わらないフランスの方が

幸福と感じているひとの割合が高い。

 

それは

フランス人が

教育を受ける過程で

徹底的に幸福について考える機会を

持っているからだ。

 

その象徴的な場面は

大学入学資格試験である

バカロレア

の一番最初に

哲学小論文

を書かせることである。

 

決してフランスの受験生が

この哲学小論文で高得点をマークするわけでもなく

むしろ苦戦を強いられるのではあるが

テストできるくらいには洗練された小論文の形というものがあり

それを訓練することで得られる

思考方法を

多くのバカロレア受験生は身につけることになる。

 

こういう問題意識からこの本は書かれている。

 

なるほど

考えることによって

その対象に対する理解は深まるのであるから

幸福感だって

考えることによって深まることはあるだろう。

 

考えない方が幸せだったのに

なんてこともあるかもしれないが

それはまだまだ考え足りていないからで

そこを超えれば

やはり考えて対象に対する理解を深めた方が

幸福度は増すと思う。

 

この本では

主な哲学者たちの

主な哲学を

コンパクトにまとめてある。

 

まとめたものなので

どうしても細部に誤解が入り込む余地ができてしまうが

それは仕方がない。

 

せっかくなので

ぼくもこの本に書かれている

哲学者のエッセンスを

自分なりに残しておこう。

 

かなり雑なメモになるだろうけど

哲学者と切り離して

こういう考え方もある

というのを知っておくと

自分で何かを考えるときに役立つと思う。

 

ひとは幸福を求めて生きる。

ひとは幸福を求めて生きるわけではない。

善い生き方とは幸福になることではなく道徳的義務を果たすことだ。(カント)

幸福よりも真理が優先される。(デカルト)

生きる目的は幸福ではなく力の増大である。(ニーチェ)

普遍的な幸福はある。

普遍的な幸福はない。(カント)

許される幸福と許されない幸福がある。

快楽こそが幸福だ。

快楽は幸福を遠ざける。

快楽は良い。

良い快楽と悪い快楽がある。

快楽にはそれを求めるのにふさわしい心身の状態がある。

快楽を求めるのではなく不幸から逃れる。(パスカル)

欲望を理性で選別する。

孤独の幸福はある。

孤独こそが幸福だ。(ルソー)

他者がいないと得られない幸福がある。

個人の幸福は集団の幸福より優先する

集団の幸福は個人の幸福より優先する。

人間は幸福を求めて病む。(フロイト)

幸福など存在しない。(ショーペンハウアー)

 

 

 

--バカロレア幸福論 フランスの高校生に学ぶ哲学的思考のレッスン--

坂本尚志