作家・土居豊の批評 その他の文章 -458ページ目

ロンドンのテロ

友人が滞在中のロンドンでテロとのニュース。あわてて安否確認のメールを送ろうとしたら、あちらから先に連絡ありで、一安心。
しかしながら、あらためて、「テロとの戦い」は依然続行されてるのだと実感した。日本にいると、どうしても、日々の平穏な暮らしに、今が「戦時」だなどとはとうてい思えない。
実際、日本人も、日本政府も、戦時下にあるなどとは思っていないだろう。
こういうとき、村上春樹の『ダンス・ダンス・ダンス』にでてきた羊男のせりふが頭をよぎる。「じゃあ、まだ次の戦争は始まっていないんだね?」
いや、とっくに始まっているのかもしれない。そんなことを、よく発言する人もいた。しかし、どうだろう?戦争は、まだ始まっていない。今ならまだ間に合う。そう考えるのは、甘いのだろうか?
7月7日 七夕の夜 おそらく世界平和を祈る短冊も笹に結び付けられたであろう日に。

音楽体験ということ

同じ日に、二つの全く正反対の音楽体験をした。
まず午後、家族を連れて、ある親子体験コンサートに出かけた。シンフォニーホールでドイツのオーケストラとウィーンのソリストたちが演奏するのを、お母さんたちのボランティアが、赤ん坊連れまでも聴けるように企画したコンサートだった。
しかし、「子供たちに本物の音楽を」という理想とは裏腹に、この企画は無残な失敗だったと思う。私自身、息子に本場のオーケストラを聴かせるいいチャンスと考えて出かけたのだが、やはり、幼い息子にはコンサートでベートーヴェンを静かに聴くのは酷だった。途中で、もう無理だと感じて、退場したが、気の毒だったのは隣にいた母子で、お母さんが2、3歳の娘をそれこそ演奏中休みなく叱り続けていた。
このような企画には、細心の心配りと、演奏者の覚悟と、コンサートの組み立て方の工夫が不可欠なのだ。ただ普通に解説入りでベートーヴェンをやって、大勢の子供や乳幼児がおとなしく聴くというのは幻想だ。音楽体験には、それなりのお膳立てというものが必要だし、また、無理に子供に強要してはかえって音楽嫌いを育てることになる。
さて、その日の夕方、さるオペラハウスに駆けつけて、モーツアルトのオペラを観た。
この日が初日で、折からの大雨。集まった聴衆はどうやら専門家やオペラ通が多かったらしく、舞台が進むにつれて、厳しい反応がありありと伝わっていた。休憩時間のロビーで、年配のオペラファンたちが、手厳しい批評を語り合っていた。
オペラは、その構成要素があまりにも膨大なため、いくら歌手ががんばっても、指揮者がしゃかりきになっても、演出家が周到に準備しても、幕が開くまではどうなるかわからない。その公演は、気鋭の指揮者と演出家、実力派歌手がそろった舞台だった。それでなお、うまくいかないこともあるのだ。音楽の難しさを思い知らされた一夜だった。
ところが、同じ公演の2日目、今度はまさしく起死回生の恐るべき名演、すばらしく高揚した舞台となった。全く、音楽は、特にオペラはこれだからやめられない。すぐれた音楽体験というものは、そう易々とみんながいつでも入手できるものではない。だからこそ、人生を変えるほどの感動が得られるのだ。音楽を甘くみて、簡単に考えてはいけない。おそらく、その子供が幼いころ、すばらしい音楽体験に巡り合うこともあるかもしれない。しかし、年老いてから、ふとそういう無二の音楽に遭遇するかもしれない。こればかりは、その子にとっての恩寵とでも考えるしかない。
7月3日

オペラの現場

ここ数日、カレッジ・オペラハウスの舞台裏を取材していた。
オペラはバブル以来、すっかり日本人の夜の楽しみに加えられたはずだが、現場を見ていると、その楽しさは、見ている側よりやってる人たちが何倍も多く享受しているようだった。ほんとうに嬉々として、大の大人たちが夜遅くまでそれぞれの持ち場に取り組んでいる。それこそ、寝食を忘れて。
その楽しさは、様々な異業種のコラボレーションにある。いわゆる総合芸術、という呼び名は伊達ではない。
もちろん、音楽がオペラの核なのだが、観客にとっては、歌手たちの達者な演技、目を奪うセットや衣装の美しさ。衝撃的な演出の妙、そういった視覚的な要素が、オペラ鑑賞の魅力の大きな部分である。
その魅力を支える、裏方たち。演出家や照明、舞台監督はもとより、衣装部の職人たちや、舞台セットを組むアルバイトにいたるまで、みんながオペラという非日常を楽しんでいるようにみえた。
オペラハウスの近所の喫茶店には、時々スタッフも来るようだが、この店がいつもオペラの休憩時間にコーヒーやワインをホワイエで売っている。この人たちも、オペラという楽しみを演出するのに一役買っているのである。
6月30日

書評2

不思議なもので、本を出すと、それを読んでいただきたい方に、出版社を通じてお送りしたりするのだが、そんなの誰も読まないだろう、と思ったら大間違い。意外なところで読んでくださっていることがわかる。
たまたま、サピオという雑誌の7月13日号を見ていたら、わがトリオ・ソナタの書評が載っているではないか! それも、かの川本三郎さんが書いてくださっている! こんなこともあるんだなぁ。さすがというか当然というか、作者以上に作品のポイントをグッとつかみとって、解説してくださっているのに感服した。
サピオはながらく買わなくなっていた。小林よしのりさんのゴーマニズム以外は、なんだか記事が薄っぺらくなってきていたし、ゴーマニズムは単行本で読んだほうがおまけがついていて得だから。それが、先日、なんとなくふらふらっと久しぶりに買ってしまったら、偶然、自作の書評掲載。まぁ、虫のしらせというやつか。
なににせよ、こんなこともあるから世の中おもしろい。
6月23日

阪神間の奥深さ

友人の知人の経営するカフェに行って、土曜日の夜を、まったりと語りつつ飲みつつ過ごした。かつて、高校生のころの村上春樹がよく食べたという水野屋コロッケを立ち食いして、延々と続く水道橋筋商店街を端まで歩いて、オープンカフェのその店に。どういうわけだか隣のお好み焼きやのメニューからたこ焼きを選んで持ってきてもらったり、なごやかなアバウトさが心地よい。
来る途中の阪急電車の中で、10代のカップルがしゃべっていた。
「おれも、いちおう宮っ子やし」「なにそれ」「西宮の人のこと」「えー、そうなん。西宮って、神戸やろ」「ちゃうよ。神戸は神戸や」
なんだか、横から突っ込み入れたくなる会話だった。なるほど、よその人から見れば、このあたりは、ようするに全部神戸なのだ。けれど、阪神間という土地は、神戸と大阪の間、ということなのだが。
阪神間はそれぞれにアイデンティティーが強く、土地柄というものがある。宮っ子が西宮の地元民であるように、尼っこは尼崎の人の自称だ。神戸っ子というのは、これらの真似かもしれない。神戸はちょっと巨大になりすぎたかもしれないが、かつての神戸の持っていたローカルでありながら国際色豊かで人情味あふれる魅力が、今も阪神間のちょっとした商店街や路地に息づいている。
6月19日