映画『シン・仮面ライダー』評 〜 シンライダーはエヴァ実写版のようなものだ | 作家・土居豊の批評 その他の文章

映画『シン・仮面ライダー』評 〜 シンライダーはエヴァ実写版のようなものだ

映画『シン・仮面ライダー』評 〜 シンライダーはエヴァ実写版のようなものだ

 

 

観ていてまず笑ったのは、「仮面ライダー」という誰もが知る呼び名が自称であることだ。もちろん原作漫画でもそうなのだが、映画ではライダーという名乗りのイメージがまず、ヒロインのルリ子が本郷猛に巻いてやるマフラーによって示唆される。つまり、仮面ライダーの名付け親は事実上、ルリ子ということになっている。それだけが理由ではないのだが、この映画は浜辺美波演じるルリ子が主役の作品だといえる。なぜなら主要人物がみな、ルリ子に心を救われる展開だからだ。

しかし、これではちょっと先走りすぎなので、まずは鑑賞後の印象に立ち戻ろう。

これは大人のためのライダー映画であり、鑑賞者を選ぶ作品だ。万人受けはしないだろう。だが、それはあらゆる庵野作品の特徴だ。

パンフに書いてあったが、これはまず何よりもアクション映画であり、バイクと変身、生身のバトルを楽しむ作品だといえる。その意味で、同じ庵野作品の『シン・ゴジラ』や『シン・ウルトラマン』とは対極にある映画だ。

まず第1に、アクション映画として成功した要因は、ダブル・ライダー役の池松壮亮と柄本佑が、スタントほぼ無しでアクションも演じている点にある。

これもパンフによると、庵野監督は、二人が仮面をかぶったまま話す場面の、わずかなマスクの動きまで細かく気をつけていたという。細部のこだわりがリアリティを生むという庵野の手法は、「エヴァ」以来変わりない。

本作のアクション映画としての見事さは、素手で人間を殴り殺す際の過剰な血飛沫や打撃音を通じて、暴力の痛みを観客に実感させるところにある。だからこの映画は子どもには見せられないが、思春期から上の人にはぜひ見てほしいと思う。

次に、2つ目の魅力のバイク・アクションだ。どこまで実写でそこまでCGなのかわからないが、バイクの場面でここまでエキサイティングな映画は久しぶりにみた。思い返すと、大昔の映画「マッドマックス」第1作に匹敵するのではないか。筆者はバイクに乗らないが、スクリーンを通じてバイク走行の爽快な気分をたっぷり味わった。後半で、ルリ子が父親のバイクの後ろに乗りたかったという話と、本郷のバイクの後ろに乗った時、背中が心地よかったという話に、バイク乗りの魅力を垣間見る思いがした。

さて、3つ目は変身の魅力だ。

変身シーンはやはり、元々の仮面ライダーファンへのサービスだと思うのだが、パンフによると、変身ポーズに庵野監督からやたら細かいダメ出しがあったというのは、やはり庵野監督の本音が見えて面白い。つまりは、究極のオタクが趣味に徹して作ったオタク映画、ということになるのではなかろうか。

考えてみると、変身ヒーローというのは、初代仮面ライダーが歴史的に最初のものではなかったか? アメコミの変身ものは、正体を隠す必要性からだったように思うのだが、仮面ライダーより前に、ヒーローとしての哲学から変身するヒーローがあっただろうか? 原作の初代仮面ライダーの変身は、モンスターに改造された肉体ゆえに醜く浮き出る顔の傷を隠して、戦士に徹するための儀式のようなものだったと記憶している。

変身ものとしてのテーマ性で、最も気になった設定は、映画中のセリフでさりげなく語られた、ショッカーの改造人間(オーグ)の選ばれ方だ。確か「オタク的な」だったか、「偏った人間」だったか、そういう基準で対象者を選んだと説明されていたはずだ。つまり、本作の改造人間同士のバトルは、オタクVSオタクの戦いをアクションとして描いたことになるのだろうか。

改造人間たちを選ぶ基準がオタク度、変人度だということなら、それこそが「ライダー世界」から「庵野ワールド」への決定的な変化となっている。本作は、庵野ワールドがライダー世界を換骨奪胎した映画、だということになろう。

その上で、本作の最大の見どころは、人間ならざる者たちの愛と友情だ。特に、最初に書いたように、ルリ子がライダーと実の兄のイチロー(ショッカー首領にあたる人物)の心を救う展開には、涙が込み上げた。

この物語展開の背後には、コミュ障や発達障害、ミュータント的異常性を持つ者たちと、「普通の人間」たちとの戦い、という隠れテーマがある。これは、アメコミヒーローもののサイコ性と共通する、普遍的なテーマだ。世間で受け入れられないサイコな人たち、異常扱いされる人たちの悲哀が、仮面ライダーシリーズには通底する。庵野作品にもそれは共通したテーマとなっているため、仮面ライダーのリメイクは実際のところ、ゴジラやウルトラマンのそれよりもっと、庵野作品として肌合いが馴染むのだ。

ついでにいうと、アメコミものと本作を比較するなら、「バットマン」最新作の『ザ・バットマン』(2022年)のテイストに最も近い。ヒーローアクションをとことん生身でリアルにやるとどうなるか、という面白さを追及した描写が、両者に共通する。

もう一つ、「AIが人類を滅ぼす」という、最新の科学的な課題も背後に取り込んでおり、21世紀のSF作品として遜色ない重厚さを備えている点も見逃せない。

ところが、もう一方で面白いのは、仮面ライダーでありながら、主要キャラが庵野ワールドのキャラそのものといえる点だ。オーグ(改造人間)たちは、「エヴァ」の14歳の操縦者たちが大人化したような、不完全で人工的な非人間的存在に見える。

例えば、ルリ子とイチローは、「エヴァ」の使徒のようなもの、つまり綾波レイと渚カヲルに見える。改造人間ハチオーグは、出来損ないのエヴァ操縦者としてのアスカそのものだ。

そしてサソリオーグは、生まれ変わったミサトさんみたいで、ショッカーの博士たちは碇ゲンドウと冬月先生のように見える。もちろん、無作為に選ばれたショッカー隊員たちは、「エヴァ」のNERV職員だ。

しかし、主役としての仮面ライダー二人は、さすがに元のヒーロー像があるため、庵野キャラの何かに当てはめることは難しい。そこが逆に、ライダー二人の存在感の微妙な薄さにつながっているといえる。本作のライダー二人は、主役としては明らかにルリ子に存在感を食われている。本郷とルリ子が並んで歩いているカットで、どうみてもルリ子が主役で本郷は従者だ。

そういう意味で、本作は「エヴァ」の綾波レイが成長してヒロインとなり、二人の従者として仮面ライダー1号、2号を従えて戦う、そういう物語だと考えられる。

本郷とルリ子の関係性はどっちも人間じゃない「怪物」同士の関係性で、もしテレビシリーズなら、エヴァにおける綾波やアスカみたいなヒロインに、ルリ子が成長していく過程が丁寧に描けるに違いない。

映画の最後で「立花」と「滝」という原作準拠の名前が明かされる日本政府の2人だけは、付録、いなくても物語は成り立つ。もう一人、AIの実在端末としてのロボット?「K」の存在は、もちろん「ロボット刑事K」のオマージュであり、本作から他の特撮ヒーローものリメイクへの橋渡しとして、何か続編的な意図を感じる。

最後に付け加えると、この映画はロードムービーでもあり、本郷とルリ子の二人はバイクで移動しながら野宿したりする。改造人間のこのコンビ、本郷は風来坊的に今はやりの「ソロキャン」のキャンプ飯を楽しんでいるのに対し、ルリ子はキャンプ飯を味わうことなくただ「燃料補給」と言い放つ。こういうでこぼこコンビのロードムービーテイストを、さりげなくはさみこんでいるところがまた、非人間存在であるこのコンビの妙な人間味を醸し出す魅力となっている。

もう一つ、蛇足だが、映画冒頭のバイクアクション、トラック2台で車線を塞いで追跡してくることがものすごくリアルで、恐怖を感じる。パトカーを轢き潰して追跡を続けるトラック、これこそ日本のアクション映画の見せ場だろうと思えてくるのだ。

 

 

※参考記事

「シン・ウルトラマン」

映画「シン・ウルトラマン」は、庵野秀明監督実写作品「巨神兵、東京に現る」の完全版か?

(ネタバレします)

https://ameblo.jp/takashihara/entry-12743684206.html

 

 

 

「シン・ゴジラ」

映画「シン・ゴジラ」を久々に見て、あの内閣は安倍内閣よりよほどマシだと思った

https://ameblo.jp/takashihara/entry-12396547298.html