村上春樹『騎士団長殺し』評(第2弾)〜驚愕のシンクロ P.311の秘密 | 作家・土居豊の批評 その他の文章

村上春樹『騎士団長殺し』評(第2弾)〜驚愕のシンクロ P.311の秘密

村上春樹『騎士団長殺し』評(第2弾)〜驚愕のシンクロ P.311の秘密

 

 

先日、読後すぐの印象を以下のブログ記事で書きました。数日して再読、今後はじっくり読んで、腰をすえて書評を書きます。
内容面に踏み込んで書くので、当然ネタバレします。
まだ読んでいない、内容まだ知りたくない方はどうかご注意を。

 

※参考ブログ
村上春樹『騎士団長殺し』、ネタバレありの読後感(第1弾)
http://ameblo.jp/takashihara/entry-12251812165.html

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


まず、『騎士団長殺し』第1部のプロローグで、「顔のない男」が訪ねてきたのだが、これは物語の時系列でいつのことなのだろう?
描写からいうと、おそらく「私」が妻と結婚生活を再開する前、のことだろう。場所は、描写からみて、小田原の雨田邸にちがいない。
この時点で、「私」は異界で約束した「顔のない男」の肖像画を描けないままだ。
時系列からいうと、このプロローグ場面ののちにエピローグに当たる最終章が続くので、このあと肖像画が描かれた可能性はある。しかし、最終章でそのことに何も触れていないので、おそらく、この物語の終わりの時点で「顔のない男」の肖像画はまだ描かれず、したがって護符のペンギンストラップは返却されていない、と推測できる。
そのことは、この物語が第2部の終わりで完結していないということを示しているが、だからといって、第3部があるかどうかはまだわからない。
筆者としては、物語中で解決していない様々な疑問はあるが、物語としてはこれで完結している印象を受けた。
たとえば、「秋川さん」の読んでいた文庫本は何?というようなことも、とても気になるのだが。謎は謎のままでいいと思っている。


謎といえば、この物語の最大の謎の一つとして、「私」が妻と別居中にセックス関係にあった一人目の女性のことが、ほとんど不明なまま、ということが気になる。
(第1部P.18)
絵画教室で教えていた生徒の一人である彼女は、その後、どうなったのだろう? この物語の中にそれっきり登場しないということは、「私」にほとんど影響を与えなかったのだろうか。しかし、それならなぜ、彼女は「私」とセックスをしなければならなかったのか? そんなエピソードをなぜ小説に盛り込まなければならなかったのか?
この彼女だけでなく、この小説中、一見、本筋と無関係な印象を与えるエピソードや描写は、たくさんある。いわば、無駄な部分が多い小説だともいえるのだ。
けれど、全体を読み通して、あとに残る未消化感、欲求不満感、これが村上春樹の小説の特徴だともいえる。特に『1Q84』以降の村上作品には、わざと無駄を残しているような印象もある。無駄な部分をあえて残す作風、ともいえるのだ。

 

ところで、この小説の最大の読みどころの一つは、村上春樹が東日本大震災を題材に選んでいることにある。
周知のように、3.11以降、村上春樹は公的な発言で何度も、大震災と原発事故について、自身の考えを語ってきた。その思いが、どのような形で小説に盛り込まれるか、期待して待っていたのだが、今回、震災後6年にして小説に描かれた。それも、意外なほど具体的な描き方で、震災と原発事故を小説の中に書いている。
(第1部P.52)
「私」の愛車プジョー205が「死んだ場所」として、国道6号沿いのいわき市の手前、という場所が示されている。具体的には、どのような土地なのか、現地の人にはおそらくイメージできるに違いない。しかも、その場所は最終章によると、避難区域に含まれているようだ。
読む人によっては、震災や原発事故の犠牲ということを、廃車になった自動車などという即物的なものを介して描いた点に、大いに不満を感じたり、憤る人もいるかもしれない。
けれど、小説中で、「私」はこの自動車を、自身の分身として描いており、身代わりに「死んだ」のだという意味合いで書かれている。賛否はあるだろうが、作者が廃車になった自動車を震災被災地、それも原発事故の汚染地域に残したことの意味は、とてもわかりやすいのではなかろうか。例えば絵画や、ペンギンストラップや鈴など、身代わりとしての物品、魂の憑代としての物品が小説中に数多く描かれていることを考えれば、主人公の身代わりに「死んだ」愛車のその後の運命は、象徴的に、また「メタファー」として、とてもわかりやすい描き方だと思うのだ。

 

次に、見落とせない要素として、この物語の背後で暗躍しているかのようにみえる人物のことがある。それは、「私」に肖像画の仕事を発注しているエージェントだ。一見、どうでもいい脇役のようだが、この人物は、「私」がこの物語で日常生活から非日常へ冒険を繰り広げる要所要所で登場し、主人公を運命に導くような役割をしている。特に、
(第1部P.60)
「時間はあなたの側についてくれます」
という発言は、主人公のその後の行動の指針ともなっていく。このエージェントは、事態を背後から見守っているようにみえるが、彼自身が美術関係のプロであり、おそらくは雨田画伯との何らかのつながりも想像できるのだ。
また、「免色」が「私」に肖像画を依頼してくるのを仲介する際、意味深な発言もしている。それは、
(P.110)
「顔のない依頼人」
というものだ。この発言は、偶然のようにみえるが、異界で出会う「顔のない男」=免色だった?という疑問を抱かせる。あるいは、「顔のない男」と免色とのなんらかのつながりを示唆しているようにも思える。
もちろん、「免色」というキャラクターは、多重人格の可能性をうかがわせる描写がされている。だから、免色のもう一つの可能性が「顔のない男」として異界に出現したということも考えられる。また、免色のもう一つの人格?分身?として、「まりえ」が隠れたクローゼットの前に現れた謎の人物、の存在もある。免色の謎は、小説の最後まで疑問として残っている。

 

もう一つ、小説全体を貫く謎として、乳房の大きさへのこだわりがある。
(P.173)には、「私」の妹の小さな未成熟の乳房と、その後の「私」が巨乳への恐れを抱く話が書かれている。
いかにも、女性読者の怒りを買いそうな部分だが、ここで作者は何をいいたいのだろうか? 未成熟と成熟の対比がメタファーとして書かれているのは間違いない。だが、その心理分析については、
(P.72)で、「私」はフロイト的分析をばっさりと切り捨てている。フェミニズム的な作品解釈、あるいは性差を元にした作品解釈がはかどりそうな部分なのだが、作者は主人公の口を借りて「評論家」的な解釈を揶揄している。

 

だが、この小説には、思わず精神分析的な解釈を、あるいは共時性、シンクロを感じてしまう箇所がある。
それは、小説の中で特に重要な存在である、「私」がセックスした宮城の女性の登場シーンだ。
なんと、彼女が登場してセックスする場面は、第1部のP.311なのだ。
もちろん、これは偶然だろう。東日本大震災でおそらくは被災する女性、その彼女との唯一の出会いの場面が、311の数字を記したページに書かれている、など、まさに偶然の一致に過ぎない。しかし、そのことに気づいたとき、筆者は思わず鳥肌がたった。強烈なシンクロを感じさせられた。
作者や、出版社の意図とは関係なく、小説の中の物語が、現実の震災となぜだかリンクしてしまっているのだ。
筆者は、村上春樹の新作小説を、無理に東日本大震災の鎮魂に結びつけようとしているのではない。
だが、作者が無意識のうちに、全くの偶然の結果として、311の数字と宮城の女性という重要なキャラクターを同じページに記してしまったという事実が、作者や読者、現実の人間の思惑を超えたところで作用しているなにか至高のものを感じさせる。
あるいは、小説の読み方として邪道かもしれないが、この小説を読みながら、そういった謎めいたシンクロやインスピレーションを探求するのも、ありではなかろうか。

 

また、そんな邪道な読み方をあえてしなくても、この小説は十分に面白く読めるし、ごくまっとうな、現代小説のすぐれた作品として誰にでもお薦めできる。

内容について、さらに読解していきたいので、この書評は、第3弾に続くことにする。

最後に、本作を未読の方にも、自信をもってお奨めしたい。

(村上春樹『騎士団長殺し』評 第3弾へ続く)

 

 

 


※ほんとは「文学理論」の本ではないのですが…1位をいただきました!

 

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土居豊 著
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【内容】
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本書では、村上春樹作品に引用された世界の名著を紹介しています。世界で愛読される村上春樹の小説を通じて、世界の有名文学のエッセンスをレクチャーする内容です。
村上春樹が折にふれて述べている「物語力」こそ、困難な時代を生き抜く力となるにちがいない、と筆者は考えています。
村上作品に数多く引用された古典や名著を読むことで、読者のみなさんの生きるヒントがみつかれば、と願っています。

【目次】
第1章「村上春樹『1Q84』より、『平家物語』」    
第2章「村上春樹とニーチェ」    
第3章「村上春樹『1973年のピンボール』とカント」    
第4章「村上春樹『羊をめぐる冒険』とシャーロック・ホームズ」    
第5章「村上春樹『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』とプルースト」    
第6章「『ノルウェイの森』より、村上春樹とフィッツジェラルド」    
第7章「『ダンス・ダンス・ダンス』より、村上春樹とフォークナー」    
第8章「村上春樹『国境の南、太陽の西』より、(タイトルなし)」    
第9章「村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』より、ヘミングウェイ『武器よさらば』」    
第10章「村上春樹『スプートニクの恋人』より、夏目漱石『三四郎』」    
第11章「村上春樹『海辺のカフカ』より、カフカ「流刑地にて」」    
第12章「村上春樹『アフターダーク』より、村上春樹『1973年のピンボール』」    
第13章「村上春樹『1Q84』より、ジョージ・オーウェル『1984年』」    
第14章「村上春樹『1Q84』より、『平家物語』&映画『ノルウェイの森』」    
第15章「村上春樹『1Q84』より、ヤナーチェック作曲『シンフォニエッタ』」    
第16章「村上春樹『1Q84』より、プルースト『失われた時を求めて』」    
第17章「村上春樹『海辺のカフカ』より、夏目漱石『虞美人草』」    
第18章「村上春樹『海辺のカフカ』より、夏目漱石『坑夫』」    

 


※村上春樹の読書会のお知らせ
門戸厄神読書会、次回は村上春樹の最新長編『騎士団長殺し』

 

https://www.facebook.com/events/631425923728961/

 

http://ameblo.jp/takashihara/entry-12248676219.html

 

待望の春樹最新作について、心ゆくまで語り合いましょう。3月23日(木)19時〜村上春樹『騎士団長殺し』第1部 顕れるイデア編

 

 


※2月24日(金)サンテレビ・ニュースポートで村上春樹の文学について土居豊が解説しました
http://ameblo.jp/takashihara/entry-12251110848.html

 

 


※土居豊『いま、村上春樹を読むこと』(関西学院大学出版会)
【内容】
『アフターダーク』以降の小説を、短編集を中心に熟読し考える試み。昨今の「読まずに批判する」風潮に一石を投じる。「村上春樹現象」ともいうべき、最近の村上春樹をめぐる言説について論じる。
http://www.kgup.jp/book/b183389.html

 

 


【土居豊の共著新刊予告!】
2017年春 共著『西宮文学案内』(河内厚郎監修 関西学院大学出版会)刊行予定
土居豊の担当章で、「涼宮ハルヒ」シリーズに描かれた西宮の風景を論じます! ハルヒ聖地巡礼の写真も掲載。

http://www.kgup.jp/book/b282939.html

『西宮文学案内』
西宮から生み出された「近過去」の人々と物語をひもとく。西宮市文化振興財団の主催による連続講座からの12編。

 

 

 

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