旧耶馬溪鉄道線

耶馬溪平田駅跡

(やばけいひらたえきあと)

大分県中津市耶馬溪町

 

訪問日:2025年2月23日(日曜日)

 

 

路線

 

 守実温泉駅 ー 宇曽駅 ー 白池駅 ー 中摩駅 ー 江渕駅 ー 下郷駅 ー 耶鉄柿坂駅 ー津民駅 ー 耶馬溪平田駅 ー 冠石野(かぶしの)駅 ー 羅漢寺駅 ー 洞門駅 ー 野路駅 ー 真坂駅 ー 諫山駅 ー 上ノ原駅 ー 大貞公園駅 ー 八幡前(はちまんまえ)駅 ー 中津駅

 

歴史

 

1913年(大正2年)12月26日 - 耶馬渓鉄道が中津 - 樋田(後の洞門)間を開業。軌間762mm

1914年(大正3年)12月11日 - 樋田 - 柿坂(後の深耶馬、耶鉄柿坂)間が開業

1920年(大正9年)12月16日 - 諫山駅が開業

1922年(大正11年)5月30日 - 鉄道免許状下付(下毛郡城井村-同郡三郷村間)

1924年(大正13年)6月16日 - 柿坂 - 守実(後の守実温泉)間が開業し全通

1929年(昭和4年)8月24日 - 全線の軌間を762mmから1,067mmに改軌

1944年(昭和19年)

    3月1日 - 大貞公園駅が約800mほど上ノ原駅寄りに移転、同駅から分岐する神戸製鋼所中津工場(後の中津鋼板)への引き込み線運用開始

    10月25日 - 中津 - 大貞公園間の古城駅廃止、同駅間に八幡前駅開業

1945年(昭和20年)4月20日 - 別府大分電鉄・国東鉄道・耶馬渓鉄道・宇佐参宮鉄道・豊州鉄道(もとの日出生鉄道)・別杵自動車が合併し、大分交通発足。大分交通耶馬渓線(中津支社)となる

1961年(昭和36年)2月15日 - 江渕駅が開業

1966年(昭和41年)4月 - 中津鋼板が工場閉鎖、同時に引き込み線の使用休止

1971年(昭和46年)10月1日 - 野路 - 守実温泉間 (25.7km) が廃止に伴い耶馬溪平田駅は廃駅

1975年(昭和50年)10月1日 - 中津 - 野路間 (10.4km) が廃止

1987年(昭和62年)サイクリングロード休憩所として耶馬溪平田駅の駅舎跡を整備

1997年(平成9年)耶馬溪平田駅の石造ホームが登録有形文化財に指定 他に旧耶馬渓鉄道一号厚ヶ瀬トンネル、旧耶馬渓鉄道二号厚ヶ瀬トンネルも指定されています。

 

使用車両

 

 全て国鉄からの払い下げで、蒸気機関車7両、客車14両、貨車36両が使用されていました。

 キハ601「やまびこ」、キハ603「かじか」、キハ101「やまばと」、キハ102「かわせみ」、キハ103「ひよどり」、キハ104「せきれい」等の名称が付いていました。

 

旧耶馬溪鉄道線 耶馬溪平田駅跡

 

旧耶馬溪鉄道線 耶馬溪平田駅跡

 

=====案内看板=====

 

 耶馬溪線は、国鉄中津駅(現JR中津駅)から守実(もりざね)温泉駅(下毛郡山国町、現在は中津市)に至る路線の延長36.1kmの大分交通が運営していた鉄道路線で、地元では親しみを込めて「耶鉄(やてつ)」と呼ばれていました。大正2年(1913)に耶馬溪鉄道として開業し、昭和20年(1945)大分交通の路線になりました。山国川に沿って延びる耶馬溪線は、沿線に青の洞門や羅漢寺(らかんじ)、守実温泉などの観光地を控えていました。また通勤通学に多くの人々に利用されており、1950〜60年代には黄金期を迎えました。しかし、1970年代に入ると沿線の過疎化による利用者の減少と並行する国道212号線などの道路整備が進んだことで昭和46年(1971)野路(のじ)〜守実温泉間が廃止され、昭和50年(1975)には全線が廃止になりました。

 廃線跡は整備され、現在はメイプル耶馬サイクリングロードとして利用されています。

 

旧耶馬溪鉄道線 耶馬溪平田駅跡

 

旧耶馬溪鉄道線 耶馬溪平田駅跡

 

旧耶馬溪鉄道線 耶馬溪平田駅跡

 

旧耶馬溪鉄道線 耶馬溪平田駅跡

 

旧耶馬溪鉄道線 耶馬溪平田駅跡

 

旧耶馬溪鉄道線 耶馬溪平田駅跡

 

旧耶馬溪鉄道線 耶馬溪平田駅跡

 

旧耶馬溪鉄道線 耶馬溪平田駅跡

 

Map

 

旧耶馬溪鉄道線 耶馬溪平田駅跡

(耶馬サイクリングロード 平田宿場)