夕菜の宝箱 -23ページ目

夕菜の宝箱

~がん(私)でも発達障害(息子)でも上手くつきあって幸せに暮らすことを目標にする毎日~

ご訪問ありがとうございます。
 

今回は2013年。

私43歳、夫43歳、長男17歳、次男13歳。結婚10周年を迎えるころの話です。え?子どもの年齢と合いませんか?(笑)

 

そんな方は・・・ひとまず夕菜のプロフィールはこちら

 

自家移植の流れとしては、1回目入院で幹細胞を採取

2回目入院は幹細胞を移植。

 

 

簡単に言えば以上(笑)

 

まず大量の抗がん剤を入れる→数日後、骨髄抑制がきて白血球が限界に下がったあたりを見計らって、白血球を上げる薬を注射する。上がり具合を確認しながら何日か打つ。→今と判断されたら幹細胞を採取し冷凍へ。

 

一旦退院

 

準無菌室に入院し、大量抗がん剤再び(笑)→数日後骨髄抑制が無菌室レベルになったら無菌室に引越し→ようやく移植 

 

ここが移植0日

まだ身体的には楽な方でね、ここからのふんばりが大事。

 

血球たちが無事に戻ったら無菌室から解放され、退院も近い!

点滴なしで自宅で栄養が取れるようになったら退院。

 

 

って流れだよね。

 

 

自家移植後は維持療法の抗がん剤再び。

 

というのが若い人向け多発性骨髄腫の標準治療ですよね。

 

 

治療効果があった!といういい結果の人は一旦ここで休憩に入るのかな?

 

それとも結果が十分に出ていても続けて2回目の自家移植までやる方が治療効果が長く持続するかも?説は今でも健在なのかな。

 

多分、ベルケイド以降の更なる新薬が続けて出てからは自家移植1回&維持療法で様子をみて、ダメでも薬を変える選択肢があるからそれで様子をみていくのが主流なのかな?と勝手に想像してます。

 

 

治療開始時期によっても病院によっても患者のおかれた環境によってもさまざまなんだろうけど、私は標準治療じゃない「賭け」に出たくちなので、どれでもなくてよくわからない(-_-;)

 

 

実は私…

尿意と便意を感じにくいんですよね。

 

髄膜炎の影響でルンバールや髄注や…長期入院中に背中に針を刺しすぎたせいかなぁ。

 

全く感じないわけではないけど、

ぎりぎりになるまで気が付かなくなってしまった。

 

 

 

普通「トイレ行きたい」と感じてから、しばらく待てるじゃないですか。

出先でトイレが行列だったとしても皆さん平然と。

 

「ちょっとしたい」と感じてから「限界!」までの時間が長いのが大人の余裕ってなもんですよね~

 

 

 

それがなくなったのよぉ。ちょっと奥さん!

 

 

 

「あ、ちょっと行きたいかも?」と思ったら、あっという間に「めっちゃ行きたいんですけど!!」となるから、すぐにトイレに行かないとまずい。

 

 

昨日はね、近所のスーパーで買い物をしているとなんと来てしまいましてねぇ~「大きい方・・・したいかも」の感覚が!

 

まずいやん!!

 

このスーパーはトイレないねん(笑)

 

 

 

慌ててレジを済ませますが早くも汗が出てきます。

 

 

 

絶対にがんばる!!がんばるしかない!!

 

 

 

ぐっと我慢して固まった表情のまま、お尻にも渾身の力をこめながらそろりそろりと歩き、自宅マンション前になんとか到着。

 

もう、美尻ダイエットなみにお尻全体を固く固めているとね、

よちよち歩きしかできないのよ。

 

暇な方、試してみて~(笑)

 

 

マンションの玄関では祈ることはただ一つ

 

誰もいませんように…

 

ここで、にこやかに「こんばんは~」とか無理!

力ゆるめたら一巻の終わりじゃない??

 

 

 

 

居なかった~!!

 

神様ありがとう!!

 

 

いつものようにエレベーターに乗る前にポストの中身を確認…いや無理!(即答)

 

と、これは割愛して超急ぎでエレベーターに乗り、ほっとしながら自宅のドアを開け、荷物を玄関にどさっと置いたままトイレに直行。

 

いざ・・・

 

いや、なんで今日に限って細いパンツなん??

もも肉が邪魔してなかなか下がらん!!

 

と、ラスボスまで登場の数々の困難を乗り越えて

 

で、やっと便座に座れたときの解放感ったらね~

 

 

 

ご想像どおりですよ~幸せな至福のひととき。

 

困難なミッションに立ち向かって成功した

達成感すらありましたわ。

 

 

ただのトイレにぎりぎり間に合った話ですけど、勝手に幸せになってて失礼しましたっ。

 

 

お正月明けにもう1クールやったあと、
自家移植の準備にはいりました。

この時、本当は骨髄腫細胞をガツンと叩けるところまで叩いてからの方が、効果がでやすい。

でもそこそこにしか叩けなかったのだからそれはそれで仕方ないからね~

主治医の先生は私の手洗いのしかたや毎食前のうがいなどの感染予防対策を「ホント優秀!」と誉めてくれたし。

そこしか誉めるとこなかったんだろうね(笑)

無菌室は数が限られているから、日程調整しますね!と先生も明るくおっしゃいます。

寛解とか部分寛解などの言葉は聞いたことがない(笑)

私が、なんか最近はSCRっていうのもあるんですよね!

と言葉にすると
ホントに多発性骨髄腫の人は勉強熱心な方が多いね~と笑われました。


きっと教科書どおりにさくっと深い寛解まで行く人は

今度も君、学年トッブの成績だよ!みたいに「寛解ですね!」とわざわざ言われるのだと思う(笑)

1万人中6000位から3000位にあがって、本人は上がった~と喜んでいるような私の場合はね

先生たちはもっと上がらんと厳しいな~
別の塾がいる?いやっ家庭教師か?
いや、学校ごと変えてみる最終手段も視野にいれようか~みたいに、いつも話し合ってくれていました☺️

たぶんね~

私が病気になっても治療中は1回も落ち込まず、前しか見てない性格になったのは

阪神淡路大震災を体験したのと
DV夫との第1回結婚生活を体験したことと、
再婚して穏やかな生活をしていたことがかなり影響してるらしい。

きっと、ピリピリした生活中だったら、自暴自棄になる。絶対イライラしたり不安になるわ。

まあまあ穏やかな生活ができていることに
夫に感謝の嵐ですね!