夕菜の宝箱 -2ページ目

夕菜の宝箱

~がん(私)でも発達障害(息子)でも上手くつきあって幸せに暮らすことを目標にする毎日~

先日のこと・・・

基礎疾患の優先予約枠でコロナ予防接種を受けたんで、

どんな感じだったのかを

同級生がたくさん集まるFacebookで状況を発信しようかな?

とパソコンを開いたところ~

 

開業したのをきっかけに

連絡先を交換していた以前私の主治医だった先生の

お誕生日の通知が来たんで、

 

妙になつかしくなって

 

「お誕生日おめでとうメッセージ&近況」

の連絡を取ってみたんですよ。

 

するとその御縁である大学院生の研究に協力することになって

インタビューを受けることに。

 

同種造血幹細胞移植を受けた人の

主観的な体験に基づく、語ることに焦点を当てた

具体的な看護 援助の 方法 を検討 すること

に役立てたいということ。

 

「語る」っていうことは今まで全然経験ないかも。

 

で、今までを振り返る意味でいろいろなことをまとめてみた。

 

2011年11月 41歳 職場の健康診断で多発性骨髄腫見つかる。
2012年11月 治療開始
2013年 3月  自家移植
        7月  帯状疱疹 2週間入院
2014年 4月  同種移植 ★がん治療はこれで終了しています。

     12月 髄膜炎 翌年10月まで10か月間の超長期入院
2015年11月 大腿骨頭壊死
2016年 1月 右人工股関節全置換術
        7月 左人工股関節全置換術
2017年 4月  帯状疱疹再び 2週間入院
        7月  髄膜炎再び 3か月入院
2018年 8月  菌血症 1カ月入院

サイトメガロウイルスに感染してバリキサ服薬が2回、
デノボB型肝炎で4年間バラクルード服薬が1回、

2年後ぶり返して1年間ベムリディ服薬が1回などあり。

 

※髄膜炎は10か月間の入院中は毎日アムビゾーム1本、生理食塩水2本の点滴。

退院後は2019年2月まで3年5か月間ブイフェンド10錠服用。

 

髄膜炎や肝臓の治療薬を飲まなくてよくなったのは

2020年1月からのこと。

 

こうやって書き出してみると、結構長い。

がん治療は2014年で終わってるんだけど~

今はいい感じの寛解続いてるんだけど~

 

いろいろあったね(笑)

 

 

2011年 11月 多発性骨髄腫発症がわかる

治療歴 2012年 ベルケイド→自家移植→ベルケイド→レブラミド→2014年 同種移植

合併症があれこれあったのでなかなか復職できずでしたが、

2021年11月 9年ぶりに仕事復帰 在宅テレワークで事務補助の仕事をはじめました。

 

2000年生まれ次男の反抗期の頃の記録です。

 

中3になってすぐの入院は同種移植だったので、

4月~7月の約3か月しばらく外泊もなしのず~っと入院。

 

子どもたちは1年前の自家移植の時の

ガラス越しの無菌室面会がすごく嫌だったらしくて、

同種移植の時には1度も来なかった。

 

中学生、高校生って雑菌を持ち込むリスクも高そうだったしね。

 

とにかく私が居ない間の生活というのは男3人何の会話もなく、

ピリピリしたムードしかない毎日だったもよう。

 

やっとのことで退院して家に帰ってみると

中3の第一回進路志望を書いて提出した後で、

成績とかなりかけ離れた県立高校を1人で書いて出していた(-_-;)

 

どうしたものかなぁ~ってちょっと悩んだものです。

 

仕方がないので

県内だけど家から通えない範囲の

寮に入るような特殊な県立高校を2つほど見学に連れて行って

 

普通科だけじゃなくていろんなところがあるんだよ~と目を向けてもらおうと思いました。

 

内心では私立の学力に見合った高校にする!って

自分で決めてくれないかなぁ~って思いながら(笑)

 

8月 夏休みに学校見学、泊まりで連れて行ったこともあるよ。

 

私はまだ生ものなど食べられないものがいっぱいあったのと、

作ってから2時間以内に食べないといけないということで、

作り置きしているかもしれない宿の食事は食べられないんで、

カップ麺を持参(笑)

 

ちょうど白血球が少ないから上げる注射を打ちに病院に行かないといけなくて、注射してから学校見学に出かけて

一泊した後、私だけ途中で抜けてお昼に電車で何時間もかけて戻り夕方に注射打ちに行ったこともあった。

 

自分なりには出来る限りやってるつもりだったけどな~。

9月 高熱で1週間入院 

 

10月には夜中に救急外来が1回。

 

この日はささいな事から大きな事件のようになったっけな。

 

次男は受験生の自覚なしなので
近所のお祭りに行っていて帰りが遅めで、

夫の分と2人分の夕食が置かれてた。

次男は、帰宅してすぐは「ごはんあるぅ~?」と、
テンション高かったのに
温めるや温めないやで、何だかんだと私と言い争いに(笑)

おかず温めて~
 下にレタス敷いてるから、ハンバーグだけ温めよか?
ええわ。
 なんて?
ええ。
 温めないってこと?
もうええ言うとるやん。うるさいねん、だまれ!しゃべんな!
 意味がわからんから聞いてるだけやろ?
自分でやるから、ええって言うとるやろ
 へ~自分でやるなんて初耳やー

みたいなしょうもない話(笑)

でも、お互いイライラして腹が立ってくるんですよね。


で、私がいたキッチンの方に向かってきた次男が
軽く私の左肩を押したところ
踏ん張りがきかずに、ふらつき

右腕をシンクの端の方で擦ってしまいました。

 

軽い擦り傷のような痛みがあったんで
 もう!ここ絶対青くなるわぁ!
と、文句を言いながら部屋に引き上げたんですが、

みるみるうちに本当に真っ青になってきて
かなりの広範囲。


そういえば昨日の採血の結果、血小板29000だったもんな


いくら元気そうにしてても、病気やなぁと
珍しく、どんよりしてきたところに夫からのメールがどうでもいい楽しそうな話だったので

 

今、ちょっと楽しい気分じゃないからこのへんで。

 

と、返信したとたん

 

そうや。楽しい気分じゃない。悲しい気分やん。

腕、どんどん青くなる

ちゃんと足の筋肉も鍛えようと、歩いたり頑張ったのに

あのくらいのことで踏ん張りがきかないなんて

悲しすぎる~

 

と思うと、どんどんブルーになってきて

腕を見ると涙が止まらなくなってきて

帰宅した夫はびっくり

とにかく腫れてきて熱をもっているところは
冷やした方がいいと、保冷剤をあてたんだけど

いろいろ考えた結果、救急外来を受診することになったんですよね。

結局、大きい血管が切れたわけじゃなくて
場所的にいつまでも血液が流れ続けるのではなく
行き場がなくなるから大丈夫とのことで
腕に油性ペンでマーキングだけして終了。

大丈夫なん?
遅すぎるやん
軽いつもりがちょっと力入ってもた。


そんなLINEが次男から時々入っておりました(笑)

 

次男は学校の友達と遊びたい盛り。

家に友達を呼ぶことは感染予防の観点からちょっと禁止にしてたので、公園で野宿ごっこ?キャンプごっこ?やら友達の家に泊まりに行くやら、そんなことがとても増えてたかな~。

 

私の方はまだまだ続きがあり~

綺麗そうなお店での外食にOKが出て、気持ちも上向きになったというのになんと12月には髄膜炎で緊急入院でした。

 

お正月の1日だけ外泊OKでしたが

12月半ばから2月半ばまで2か月ほど入院

冬休み、受験生やる気出したなら追い込みに協力しようと思ってたのに、もう諦めたね~(笑)

 

帰宅したらすぐに私立の高校入試でした(笑)

 

予定では中3は大事だから家に居たい~って思ってたのに、

ほとんど入退院繰り返してたな。

 

だって2月、入試の日は奇跡的に見届けたものの

なんと退院して1週間後の外来でまた髄膜炎が再発しているのがわかり受診だけと思ったのにそのまま再入院院して点滴三昧。

 

中学の卒業式も高校の入学式も

外泊して付き添うという事態になっちゃいました(笑) 

2011年 11月 多発性骨髄腫発症がわかる

治療歴 2012年 ベルケイド→自家移植→ベルケイド→レブラミド→2014年 同種移植

合併症があれこれあったのでなかなか復職できずでしたが、

2021年11月 9年ぶりに仕事復帰 在宅テレワークで事務補助の仕事をはじめました。

 

2000年生まれ次男の反抗期の頃の記録です。

 

次男が中2になった頃には

私の治療が毎週2回抗がん剤治療に通っていて、

投与の当日夜か翌日には体調不良で、その次の日には復活。

また次の投与が来るっていうのの繰り返し。

 

そんな中だけど、合間を見て3月末に長男とは名古屋旅行、

5月ゴールデンウィークには次男と沖縄旅行に出かけた。

行きの飛行機で耳が痛くなったのがもう大変で

「こんなんじゃ楽しまれへん!!!」と行きからキレまくりでしたが、

壮大な海や食べること大好きな次男向けコースと思って連れて行ったパイナップル食べ放題がなんとかしてくれたもよう(笑)

 

ちょっと気分変わって楽しんだ時は次男もニコニコしていたんだけど、帰宅してからはまだまだ続く週2の通院だし

 

途中で薬が変わって週1になったりもしたけど、

帯状疱疹がひどくなって入院したりもしたし、

同種移植することが決まったりして落ち着かない日々だった。

 

長男が高3ってことでどうしても進路の話などする機会多かったし、長男と次男と同じように接してるつもりでも違ってたのかなぁ??

 

次男ももっと小さい頃なら、僕もかまって~とばかりに

甘えて抱き着いてきたりして不安を解消するんだろうけど、

そうもいかないから、

どことなく漂う不安を攻撃に変えるような感じで、いつもピリピリ。

 

キレやすいスイッチが増えたというより、

キレないスイッチ探す方が難しいという、

もう関われば絶対にスイッチ押しちゃう状態かな(笑)

 

暴言も多くて荒れまくりになっていってた。

 

そんな中、中2ラストの3月 同種移植前の検査入院しました~。