会場の椅子が足りなくなった。

 エレベーターの扉が開くたびに、若い仲間の集団がどっと受付の前に並ぶ。

 開会は10時。まだ20分前だというのに。ぼくは、あわてた。

 増田さんや大谷さんたちが、急いで倉庫から椅子を30脚ほどとりだして並べた。

 『学びをつくる会』第21回集会は、100名を越える人たちの参加で熱い集まりとなった。学生参加者は何と70名。

 いくつかの大学から参加している。とてもうれしい。

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 午前中は、二人の若い仲間の報告。

 Mさんは、教師1年目。楽しく学級がスタートするが、5・6月頃は子どもを怒ってばかりの日々で、声がすっかりかれてしまう。そんなMさんだけれど、多くの人たちの支えと、彼女のもつ素敵な力がかさなりあって、見事に困難を乗り越えていく。

 そして、今を次のように語る。

 「クラスの子どもたちを見ていると自然に笑顔になるんです。残り2か月かと思うと寂しくて寂しくて、たまらないです。そして、今は、子どもたちと全力で遊ぶようにしています」

 雪の降った日、Mさんは子どもたちと夢中で遊ぶ。

 「このくらいの山からすべれなくてどうするの」

 子どもたちをけしかける。ところが、大変…。教頭先生の慌てた声が聞こえてくる。

 「M先生、そこは登っちゃいけないところです…!」

 素敵だ。これくらい子どもとあそべる教師って最高だ。


 Mさんは、笑顔で元気あふれる教師だけれど、すべてを完ぺきにやれるわけではない。「あの…、校外研修にいくと寝てしまうんです。でもレポートを書かなくちゃならない。ちょっと教えてもらって5分で書くようにしています」

 思わず笑ってしまった。このしたたかさっていいね。

 教師にとって一番重要なのは、子どもたちのあふれるような心と真っ直ぐに触れ合うことだから。あとは軽く流してもいいところだってあるのです。

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 Wさんは2年目教師。僻地勤務。5・6年生の二年間、一人の子どもを教えてすごしてきた。その日々の中で感じたこと、考えたことを率直に語ってくれた。

 レポートの題名に驚く。

 ≪いつか『太陽』になるために ~ひまわりみたいな子どもたち~≫

 ああ、いいなと思った。Wさんの夢と憧れがつまっている。

 「太陽みたいな先生を目指しているんです」


 そして、ぼくがいいなと思ったことの二つめ。それは、しなやかな子どもへの思いを持っていること。

 …校長が、担任する子について「あの子は見たらわかるけど病気だから…!」

 Wさんは、思う。「えっ、どうして子どもをそんなふうに(否定的)にいうの?!」 

 …中学を経験してきた管理職は、さらにこんな言葉をつぶやく。

 「小学生はダメだね…」

 Wさんは、これにも心の中で強く抗議する。

 「まだ、子どもじゃん」

 ここに彼女の子どもをみる深い眼差し、人間的眼差しがある。

 いたずらや失敗、試行錯誤、いろいろなことをしでかしながら、子どは少しず成長し育ちゆく存在なんだ…という見方。

 「子どもの見方について、どちらが校長がわからないね」と、ぼくは思わず後の飲み会の席で話した。

 そして、もう一つ。彼女の口から、こんな言葉が出た。

 「わたしの負担が増えてもやりたい」と思ったんです。これは、仕事についての言葉。

 何て素敵な言葉だろう。少しでも子どもの喜ぶ顔がみたくて、やりたいことには背伸びしてでも実現していきたいという若い教師の熱い願いがみえてくる。

 教師の資質は、彼女のような姿勢にあるのではないか。

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 午後1時半から太田一徹さんの講演が始まった。子どもたちの生きる姿が、それと向かいあう教師の姿が、穏やかな語り口のなかで丁寧に話される。次第にそれは聴く者の心に深く響くように伝わってくる。

 ぼくは、参加者が多くて資料はみな渡してしまったので、きちんと子どもたちの書いた日記や文章、詩の表現を伝えることはできないけれど、心に残ったたくさんのお話の中から二つのことに触れておきたい。


 第一は、研究校と呼ばれる学校への移動を余儀なくされ、そこでこれまでと違った、太田先生にとっては耐えがたい学校システム等と出会い、苦労をするのだけれど、―そして、子どもたちも多くの問題や課題を抱えていたのだが…、その状況の中を振り返り、次のように話された。


 「ぼくが辛かったのが良かったのかもしれない」

 この言葉はとても深い。そして、聴く者のの心を勇気づける。


 教師としての自己のあり様が問われるような危機の中で、教育そのものや子どもの生きる姿の本質を見据え、その辛さの真っただ中にいたからこそ、子どもたちの言葉にできない様々な思い、抱えている生きづらさが見えてきたのではないかと彼は言うのだ。辛さの自覚のなかで、子どもたちの背負う“影の重さ”とか“痛み”にどこかで共感できたのではないかと、言っているように思う。

 

 第二は、5年生のクラスの合唱への取り組みについての報告。

 3クラスあるうちで太田先生のクラスの子どもたちは、わずか2週間しか練習期間のない合唱祭(?)への取り組みについて、当日は保護者の参観があるというのに、なかなか本気になれない。

 休み時間になると、他のクラスはみんなそろって練習に取り組む。昼休みもまた二つのクラスからは元気な歌声が聞こえてくる。ところが太田先生のクラスの子どもたちは外遊びへ行ったり、一つにまとまってはいかない。

 太田先生自身のなかにも、子どもたちの休み時間をこんなふうに歌の練習で奪っていいのかという、言葉にはしないけれど疑問がおきていて子どもたちに強く迫ることはできない。


 幾日かが過ぎていく。やっと取り組み始めたかと思ったら、幾人かが委員会活動などで練習に参加できなくなると、歌声は響かない。

 太田先生は、ここで彼らを恫喝したり叱ったりするのではなく問いかける。

 「どうして練習できないのかなぁ。怒ってはいないよ。本当の気持ちを教えてほしいんだ…」

 ここから子どもたちが少しずつ、何かの理由を語り始める。

 4・5人が発言した後だ。T君が言う。

 「オレ、からだ動かして遊べないと生きていけない人間なんだ」

 これはT君の切ないほど正直な心の声だった。


 これを契機に子どもたちは自己の胸の内を率直に語り始める。

 「やっぱり遊びたいよね」「低音のパートが分かんない。それでも同じ繰り返しをするから嫌になるんだ」「曲の選択だってさ、ちゃんと聞いてほしかったよ」…。

 「学年委員会の人に縛られている気がするんだ」

 するとMさんが答える。「それは、ひどいと思う。私は、みんなを縛ろうとは思っていません。今回はお母さんたちがいて、聞いてもらうから、(みんなの歌うところを)見てもらいたいと思ってる」

 この本音の話し合いは次第に子どもの心を揺さぶり、突き動かし始める。

 Mさんが言う。

 「みんなの気持ちわかった。本番まで3日しかないでしょ。疲れるけどそれを3にして(遊びたい気持ちのこと)、頑張ろうという気持ちを7にしようよ!」

 その時、遊びたいと言っていたT君が立ち上って言った。

 「よし! やろうや」

 

 学級は大きく変わっていく。教師の押しつけや恫喝ではなく、彼ら自身の意志で!彼らの歌声は、わずか数日でこれまでとは全く違ったものへと変わっていく。


 数日後だろうか、Mさんが国語の時間(?)、『ボタン』という詩を書く。実は、その詩は、この合唱祭についての葛藤をあらわしたものであった。歌声を成功させようとする気持ちと教室の仲間たちの休み時間への思いへの共感との間で自己の内部に揺れる思いを『取れそうなボタン』という表現で書き表していく。


 ぼくは、この取り組みの経過とMさんの一編の詩が生まれる様子を聞いていて、感動した。Mさんも教室のみんなも、決して忘れることのないかけがえのない日々、時間として、この出来事を胸に刻んでいくことだろうと思って。そして、同時に、一編の詩の持つ深さと重み。