若者や子どもの困難を支える人々

 最終日の午前中のシンポジウムは考えさせられた。若者を地域で支援し続ける安達先生(元北星余市高校教師)と釧路で自主的な夜間中学校を開校している先生の報告があった。

 若者が傷ついて二次的障害を帯びたように生きる困難な日々に寄り添うことの大変さ、その事実の重み、また60代半ばの人々が夜の学校に文字を学びにくる、そして初めて書いた手紙…。日本は、一人ひとりの人間的権利や生存権が守られ平等の国なのだろうか!

そして、ぼくの頭の中に、60代の人たちなら誰もが中学校を出て、文字の読み書きなどできて当然という考えがあった。それは何と浅はかな考えであったか。同じ時代を生きた仲間に対し、許されないような無理解があったのではないか、人間を切り捨てたような懺悔にも似た感情に襲われた。

               ※

 午後の分科会でも考えさせられた。北海道のある高校のまだ若い養護教諭H先生の報告。成績で13段階に振り分けられ、低位とも言える高校に通う子どもたちの生きる姿の痛々しさ。これは何なのだ!子どもたちの希望を奪い、生き辛さを生涯にわたって押し付けるようなシステムが日本社会に出来上がっているのだ。

 ぼくはH先生の子どもたちへの暖かな眼差しと、子どもに生きづらさを押し付ける教育や社会のシステムに対する憤りのような感情を感じて心を打たれた。

               ※

 この分科会では滋賀の北川さんも報告。司会とまとめは福井雅英さん(北海道教育大学教授)だった。鋭く深い分析で語る。

 ぼくも二人の報告のあと思うことをお話した。そのとき、ちょっと驚くことがあった。

「先生のお話、もっと聞かせていただきたいです」

隣席の方が言う。ぼくは「山崎って言います。先生は養護の先生ですよね。高校ですか」

「いいえ、小学校です。…先生、もしかして…、あの『希望を生みだす教室』を書かれた山崎隆夫先生ですか」

「ええ、そうですけど…」

「先生、わたしは先生の本を何度も読みました。日曜版の連載も楽しみで楽しみで夢中で読みました。ここでお会いできるとは!」

 びっくりしたけれどうれしい出来事だった。

 前述の高校の養護教諭H先生も笑顔で言われた。

「先生、わたしも『希望を生みだす教室』の本を読んでいます。それで職場の若い先生たちに何冊も渡していますよ」

 北海道のこんな見知らぬ人々とたまたま出会わした分科会で、まさかつながりあえるとは思わなかった。なんだかいっぱい勇気や励ましをいただいた気がした。