<2024.01.10>起稿

 

松山千春は大きなところで言えば地震や自然災害に見舞われた人々に、身近なところで言えば苦境の中で苦しんでいる一人ひとりに、いつも優しい視線を注ぎ、ラジオから、ステージから、エールを送ってきた。

 

その姿勢は私自身が応援して40数年の歳月の中で見ても、まったく変わらない。そこにこそ人間・松山千春の温かさと魅力があると思っている。

 

 

 

2024年1月7日放送の自身のラジオ番組(「松山千春 ON THE RADIO」)の中で、2024年1月1日に発生した能登半島地震について、被災地の人々へ思いを馳せつつ、自身の過去の地震体験などを織り交ぜならが語り、エールを送っていた。

 

 

「今回の能登半島地震、体験(被災)された方々、本当にご苦労だと思いますが、なんとかみんなで力を合わせて乗り越えていってもらいたいなと思います」

 

 

 

思い返せば…

 

2018年9月6日03時07分、北海道の胆振地方中東部を震源とするマグニチュード6.7、北海道では観測史上初めて震度7を記録した「北海道胆振東部地震」

 

この時は、同年9月29日に最大震度7を記録した厚真町に入り、復興に戦う人々に言葉を贈り、求めるられる限りのサインを書き、弾き語りで「大空と大地の中で」などを歌った(以下写真)。

 

(2018.09.29厚真町にて 産経新聞)

 

翌日(2018年9月30日)放送の自身のラジオ番組ではその時の言葉(私の感覚では名スピーチだった)を録音で流した。

 

このスピーチには聴いていて涙が出た。優しさあふれる名スピーチだった。

地震で亡くなられた方々へ哀悼の意を表明し、ケガをされた方々を心配する。復興に戦う方々のストレスの大きさを思いやる。そして、 



「北海道に住む我々は、山や大地が雪に覆われても、必ず解け、春が来ることを知っています。俺も北海道で生きていきます。みなさんも頑張りましょう!」(要旨)

と、涙ながらに呼びかけた。今になれば、書き起こしておけばよかったと思う。

 

 

 

 

2021年3月7日放送の同番組(「松山千春 ON THE RADIO」)では、東日本大震災発生からほぼ10年後の放送日であることを意識し、当時恒例の1曲弾き語りコーナーは「です。」

 

「何もない事が幸せなのです」「たわいない事が大切なのです」「何気ないことが特別なのです」「とぎれない事が安らぎなのです」

 

何でもない当たり前の日常の中にこそ幸せがあり、安らぎがあると歌った。

 

番組の最後に、東日本大震災から10年を迎えることや、地震や豪雨など過去に国内で発生した災害を挙げながら語った。



「幾つもの災害を乗り切って欲しい。嬉しいことも悲しいことも苦しいこともあって、我々の人生だから。どんな災害に遭っても立ち上がってください」(要旨)

 

 

(FAN CLUB MAGAGINEから)


さらに遡ると、2011年3月11日に発生した東日本大震災の2日後に放送された同番組内での言葉。

 

この言葉は当時多くの人々を励まし、被災した人、そうでない人に関わりなく、今いるそこから一歩踏み出すための勇気を送ったと思う。
 

発言後、様々な場面で無数に引用され、そのたびに、趣旨は変わらないものの、言い回しなどが変わって行ったが、ラジオの発言そのままに記せば以下。



「こういう時だからこそ、我々も、知恵がある人間は知恵を出そう。力があるやつは力を出そう。汗をかけるやつは汗をかこう。金があるやつは金を出そう。”私、何も出ないんです”っていうやつは元気出そう!これが一番ですよ」

 

 

松山千春がこういう話しをした際に必ずと言っていいほどかけて来た曲が自身の「です。」。

 

災害に見舞われた人々を想定して作ったわけではないと思うが、本人が「この曲を作っておいてよかった」と何度も言っていたように、歌詞にある、平穏な日々がどれほど尊いか、安穏な日々が途切れないことがどれほど大切か。

 

今、被災地で戦う人々に、世界各地で戦禍に巻き込まれ惑う人々に、どうか一刻も早く無事安穏な日々が訪れますように。

 

 

松山千春―「です。」

松山千春ー「大空と大地の中で」(2006年Ver.)