トルコの仲介により、日本時間の3月10日、トルコのアンタルヤで行われたロシアとウクライナの外相会談ははかばかしくなかった。

ロシア・プーチン大統領のウクライナ侵攻について、日経新聞、読売新聞、朝日新聞など様々な媒体には毎日のように識者の寄稿や声明が掲載されている。

ひとつひとつ読んでいるが、それぞれの識者が「世界秩序を維持する国際法上の新たな枠組み」形成の必要性を述べつつも、プーチン大統領というパーソナリティも考え合わせると「今の情勢を可能な限り早急に好転させる具体的な方途を示すことは難しい」という共通した見解をそれぞれが強く持っていることが分かる。

 

もうひとつ共通しているのはそもそも「なぜプーチンは軍事侵攻という決断をくだしたのか」という問い立て。

それに対する答えは、ロシア民族や国の歴史にまで遡り論じるものや、ここ10年ほどの間に国際社会で起きた出来事にその遠因を求めるもの、第二次世界大戦やアフガニスタン問題など過去の戦争・紛争にその共通点を見出すものなど、まさに識者が10人いれば10通りの見方、捉え方がある。

読む側としては、多くの論考にあたり、疑問点は調べ解消しながら共感できる部分とそうでない部分を識別する。自分なりに思索し、自分なりの見方を養い見識を持つことだろう。

その前提で、ここまで読んで来た中で、「国家」と、その「国家」が絡み合う「時代の流れ」と「世界の政治構造」の視点から論を展開している国際政治学者の田中明彦氏のインタビューは大変興味深い。田中氏の発言から伝わる複雑性と緊張感。この後世界はどこに向かうのか…を考えざるを得ない。

 

 

 (インタビュー)冷戦に舞い戻る世界 国際政治学者・田中明彦さん 

2022年3月15日 朝日新聞

 

 

 ロシアのプーチン大統領が踏み切ったウクライナ侵攻によって、既存の国際秩序が突き崩されていくような不安が広がっている。グローバル化が進み、国家の役割が相対化されるかにみえた冷戦後の30年を経て、これから世界はどこへ向かうのか。秩序は再構築されるのか。国際政治学者の田中明彦さんに聞いた。


 ――ロシア軍のウクライナ侵攻は、2001年の米同時多発テロ以来の衝撃です。
 「それだけのインパクトがあると思います。ただ、欧州の人にとっては、さらにさかのぼって、1939年のドイツ軍のポーランド侵攻を想起させるものです」
 

 ――確かに今回はテロではなく、国家による侵略です。
 「同時多発テロを起こしたのはアルカイダという非国家主体で、21世紀型の脅威でした。これに対しロシアの侵略はあまりに古典的な、時計の針を80年以上も戻すような危機に見えます。主権国家の栄光を守ることが最大の善だと錯覚した指導者がいる。戦争が国家の普通の行為だった近代の世界に生きているかのようです」
     ■     ■
 

 ――田中さんは冷戦後の1996年に出した著書「新しい中世」で世界を「新中世圏」「近代圏」「混沌圏」に分類しました。
 「20世紀後半に民主主義国が増え、経済の相互依存が進み、多国籍企業やNGOなどの非国家主体が重要な役割を果たすようになりました。それを『新しい中世』と名付けて分析したんです。国家の役割は相対化され、非国家主体との相互作用で歴史上の『中世』にも似た多重複合的な世界システムに向かっていくと予想しました」
 「そこで日本や米国など豊かな民主主義国は『新中世圏』に分類されます。国家として機能していない『混沌圏』や、権威主義的で国家が重要な役割を果たす『近代圏』が残っていても、長い目でみれば豊かになり民主化も進んで、多くの国が『新中世圏』に向かうと期待しました。でも、四半世紀が過ぎて振り返ると、当然のことですが、歴史は一直線では進まない、というのが率直な感想です」

 

 ――どういうことでしょうか。
 「冷戦後、近代圏の国々もかなりの経済成長を遂げました。典型は中国とロシアです。民主化するかと思われましたが、政治体制はむしろ強権的になった。2010年前後から軍の活動を活発化させ、20世紀的な行動をとっています。相互依存は進むのに民主化は進まず、NGOなどへの統制も強まっている。世界が一つになって経済が成長し、民主主義国が増えていく冷戦後の世界には揺り戻しが起こったのかもしれません」
 

 ――強権的な国々がこのまま発展していくと?
 「それも一直線ではないでしょう。もちろん急速に経済・社会の改革を進めるには、権威主義国家の有能な独裁者が役に立つことはあります。これが自由な民主制の国だとまず結論を出すのに時間がかかるし、結論を出しても、次の選挙でひっくり返されたりする」
 「しかし、とりわけ長期独裁政権は問題が多い。独裁者も長くやっていれば、有能でなくなることもあるし、判断ミスもある。その時、交代させる仕組みがないのが問題です。多くの人から有能だと思われているほど、大きな間違いを犯す可能性がある」

 

 ――それがプーチン氏ですか。
 「そうです。一般の組織でもよくあることですが、成功し続けると、自分が必要不可欠な人間であると信じ込んで、頭の中が組織と一体化してしまう。でも、人間のやることに余人をもって代えがたいことなどないですよね」
 「最近のプーチン氏の発言を見ていると、彼自身がロシアになってしまっている。これまでチェチェン、ジョージア、クリミアなどで軍を動かし、結果を出してきた。ここで一大決心をすれば、今回もうまくいくと思ったんじゃないか。ギャンブルに勝ち続けてきた独裁者の最後の賭けですね」
 「19~20世紀に同じようなことをやってきた指導者はいますが、21世紀になっても一人の独裁者の暴走に多くの人々が振り回されている。人間は変わらないものだ、と言いたくもなります」

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 ――米国の衰退も影響しているのでしょうか。
 「衰退というより失敗ですね。イラク戦争とアフガニスタン戦争は失敗だった。米国内の経済格差も放置してきたために、世論が分断され、自らの国力を十分発揮できない状態になっている」
 「米国の失敗を観察した近代圏の国々は、そこにつけ込んで影響力を伸ばそうとします。国と国の関係を『力と力』で考える。指導者が国内のチェック・アンド・バランスで監視されていないので、止める手立てもありません」

 

 ――バイデン米大統領が「ウクライナには米軍を派遣しない」と表明したのも、抑止の失敗を招いたように見えます。
 「なぜ明言したのか疑問です。実際は派遣しなくても、あいまいにしておけばプーチン氏は計算がしにくかったはずです。バイデン政権の支持率の低さがあるのかもしれないし、米国を戦争に導いたと言われるのを嫌ったのかもしれませんが」
 

 ――国際秩序が、がらがらと崩れていくような不安を感じます。
 「バイデン氏の対ロ政策は『冷戦型』です。『熱戦』にしてはいけない、という考え方が非常に強くあり、ロシアと米国、ロシアと北大西洋条約機構(NATO)の直接対決を避けている。それは核による第3次世界大戦を回避するという意味があります。プーチン氏が自ら核兵器の存在を強調しているのは、米国の軍事介入を抑止するためです」
 

 ――それが秩序につながっていくのでしょうか。
 「好ましい秩序ではないですが、かつての『冷戦型』の秩序になるという見方はあり得ます。冷戦の時代は互いに自分が正義だと言い合って、結局、いずれの正義も実現しない。正義は実現できないけれど、なんとか核戦争だけは防ぎましょうという秩序でした」
 「それは、国連の安全保障理事会が無力になってしまう秩序とも言えます。安保理の常任理事国を相手に戦争はできない、というのが国連システムで、これを作った人たちの多くは、仕方のないことだと思っていたんです」
 「核保有国である常任理事国の5大国が戦争を起こした時、国連の集団安全保障で鎮圧、懲罰しようとすると、第3次大戦に発展しかねない。納得できないけれど我慢しましょう、ということです」

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 ――冷戦に舞い戻る、と。
 「30年以上前に戻ってしまったのかもしれません。冷戦終結後、どこにでも行ける世界に慣れた頃になって、ソ連の版図を取り戻すことが大事だと考える独裁者に引きずり戻されてしまった」
 

 ――そこで中国はどういうスタンスをとると思いますか。
 「今回の決着の仕方で変わると思います。そこを中国は見ています。プーチン氏の失敗に終われば冷戦型の秩序も比較的、穏やかなものになるかもしれません」
 「経済制裁の中身も研究して対策を練るでしょう。その結果、中国の指導者がどんな教訓を得るかが重要です。制裁されると大変だから、融和的に対応しようと思えばいいのですが、逆に制裁の抜け穴を探したり、制裁に負けない対策をとったり、外国企業を排除しようとするかもしれません」

 

 ――これまで米中新冷戦になると言われてきましたが、状況は変わったのでしょうか。
 「難しいところです。中ロ両国が一枚岩なら単純な東西冷戦の復活になりますが、今のところ中国はプーチン氏の行動を歓迎はしていない。おそらく現状は米中新冷戦と米ロ新冷戦の二つがあるのでしょう。時に中国がロシアを利用し、時にロシアが中国を利用するような、複雑な三角関係ゲームになるかもしれません」
 「米国は、まずロシアを封じ込めようとするし、これに中国が同調しないなら、中国も封じ込めようとするでしょう。一方、ロシアの封じ込めがうまくいっても、中国の様々な問題は残ります。米中新冷戦の構図は変わっておらず、そこに米ロ新冷戦の要素が加わったと見ることもできます」

 「米国としては中国をロシアの方に追いやらないようにするのが賢明だと思います。短期的には米中新冷戦を暫時休戦としたり、米中和解の動きが出てきたりしてもおかしくない状況といえます」
 

 ――複雑で緊張した時代になりますね。経済制裁は、社会への影響も大きそうです。
 「侵略が起きた以上、制裁しなければ再発を防げません。相互依存が進んだ世界で、それを無視した軍事行動にどれだけコストがかかるのかを示すことが重要です。制裁をかける側も相当な不利益を被りますが、断固としてやらなければならない」
 「冷戦後、どこでも行けて、どこと貿易してもいい。どこにでも投資ができる。そんな幸せな時代はなかなか戻ってこないと覚悟しなければなりません。当面は厳しい時代が続くと思います」 
(聞き手・小村田義之)
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 たなかあきひこ 1954年生まれ。東京大学教授、副学長、国際協力機構理事長を経て政策研究大学院大学学長。2019年から国連UNHCR協会理事長。