トルコの仲介により、トルコのアンタルヤで行われたロシアとウクライナの外相会談ははかばかしくなかった。

 

ロシア・プーチン大統領のウクライナ侵攻について、日経新聞、読売新聞、朝日新聞などには毎日のように識者の寄稿や声明が掲載されている。

ひとつひとつ読んでいるが、それぞれの識者が「世界秩序を維持する国際法上の新たな枠組み」形成の必要性を述べつつも、「今の情勢を可能な限り早急に好転させる具体的な方途を示すことは難しい」という共通した見解を持っていることが分かる。もうひとつ共通しているのはそもそも「なぜプーチンは軍事侵攻という決断をくだしたのか」という問い立て。

それに対する答えは、ロシア民族や国の歴史にまで遡り論じるものや、ここ10年ほどの間に国際社会で起きた出来事にその遠因を求めるもの、第二次世界大戦やアフガニスタン問題など過去の戦争・紛争にその共通点を見出すものなど、まさに識者が10人いれば10通りの見方、捉え方がある。

読む側としては、多くの論考にあたり、共感できる部分とそうでない部分を識別し、疑問点は調べ解消しながら自分なりに思索し、自分なりの見方を養うことだろう。

その前提で、ここまで読んで来た中で、以下の寺島氏の論考はとくにロシアと日本、ウクライナと日本という関係性を明確化し、日本人にとって今回の侵攻が決して他人ごとではないことを強調している点で、必読と言ってもいい。

 

 

(インタビュー)ウクライナ侵攻と日本 (財)日本総合研究所会長・多摩大学学長、寺島実郎さん 

2022年3月2 朝日新聞

 

 むき出しの暴力がウクライナで衝突し、多くの血が流れている。実業界や大学など領域を超えて活動する寺島実郎さんは、2003年から経団連の日本ロシア経済委員会ウクライナ研究会委員長を務めて以来、当時の首相や政財界のキーパーソンと交流してきた。この危機をどう受け止めるべきかについて、語ってもらった。

 

 ――多くの日本人にとってウクライナはなじみの薄い国です。

 「現地を訪れて実感したことですが、欧州とロシアの綱引きの中心で、ユーラシアの地政学で決定的な役割を果たしてきた要衝です。今回の危機は世界史上、また日本にとっても重要な転機になる可能性があり、それを立体的に理解するため視野に入れておきたい点があります」

 「まずウクライナと日本の縁です。近代日本が向き合ってきた極東ロシアに住むロシア人のほぼ半数はウクライナ系です。それは3回にわたって集団移住させられたからです。19世紀にロマノフ王朝のアジアへの野望でウラジオストクの建設が始まり、6万人の農業移民が送り込まれたのが最初。2回目は1917年のロシア革命で革命に対抗したウクライナ人がシベリア送りに。3回目は第2次大戦で、ヒトラーと連携して独立を試みた勢力がスターリンによりシベリア送りに。中には日本にやって来た人も多く、横綱大鵬の父親もウクライナ人です」

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 ――ロシアにとってはどんな存在ですか。

 「国の原点と言っていいでしょう。ウクライナの首都キエフは、ロシア最初の統一国家、キエフ大公国(キエフ・ルーシ)発祥の地です。その統治者で、プーチン大統領と同じ名前のウラジーミル公が、東ローマ帝国(ビザンツ帝国)皇帝の妹と結婚し、988年にキリスト教の洗礼を受けました。それがロシア正教の原点であり、ロシアとウクライナは一体だというプーチン氏のこだわりにつながるのです」

 「プーチン氏はソ連崩壊からの失地回復を目指しているとされます。しかし社会主義には共感がなく、『正教大国』をロシア統合の理念に掲げています。日本人のキリスト教理解は、西ローマ帝国側のカトリックとプロテスタントに偏りがちです。東ローマ帝国からキエフ、モスクワへと続く正教系の流れを認識する必要があります」

 「ロシアは北大西洋条約機構(NATO)の拡大を阻止するための攻撃だと説明していますが、本音は別でしょう。米国はすでに方針を転換し、ウクライナは必ずしもNATOに加盟しなくても北欧のフィンランドのような立場でいいという考えです。プーチン氏は分かっていながら揺さぶり続けているのです」

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 ――今回の侵攻は日本にどんな影響を与えるでしょうか。

 「日本がプーチン氏を増長させた面もあることを指摘しておきます。2014年2月、ロシア・ソチ五輪の開会式には、欧米の主要国はロシアの人権問題への抗議で首脳の参加を拒みました。しかし、北方領土問題の解決に前のめりだった当時の安倍晋三首相は参加しました」

 「そのすぐ後の3月に、ロシアがウクライナからのクリミア編入を宣言。各国がロシアを厳しく非難し、制裁を科しましたが、日本の対応は微温的でした。北方領土への思惑からクリミア問題を黙認したと世界の人々が受け取ったことでしょう」

 「16年には山口県にプーチン氏を招きましたが、『2島先行返還』でさえ進展しませんでした。逆にロシアは20年に憲法を改正し、領土の割譲禁止を盛り込みました。今回のようにロシアがルールを無視し、むき出しの力を行使することを結果として後押しし、日本は何も得られなかったと言えるでしょう」

 ――国際法違反だとして今回は日本も欧米と連携してロシアを非難しています。

 「まさにその中身が問われています。ロシアとの間で領土問題、未解決の国境線画定問題を抱えるのはウクライナも日本も同様です。求められるのは、国際社会に向けて、日本の主張の裏付けとなる正当性を訴えることです。その点では世界に訴えるチャンスと考えるべきです」

 「例えば、旧ソ連は連合国の一員として参戦しました。ならば1941年8月の大西洋憲章で掲げられた連合国の基本方針に縛られるはずです。それは『戦争による領土拡大を認めない』という方針です。それこそが45年の国連憲章の基本なのです。それに基づいて北方領土四島の帰属を決めるべきだと訴えることです。日本の言うことは筋が通っていると世界から思われるような発信が問われているのです」

 ――核保有国による核を持たない国への侵攻です。

 「そこも唯一の被爆国とされる日本が主張すべき大事な点です。チェルノブイリ原発事故の被害を受けたウクライナの人々は、ヒロシマ、ナガサキに続いて起きた悲劇を強く意識しています。ウクライナはソ連崩壊後、当初は世界3位の核保有国として保有継続の意思を持っていましたが、国際社会との交渉の末、核兵器を放棄したのです。北朝鮮を含め、核保有国の非核化の先行モデルとして注目しなければなりません」

 「日本がなすべきは核兵器禁止条約に参加し、特に核保有国が核を持たない国を攻撃することを禁止にするルール形成を主導することです。そういう世界を実現するためにどう行動するのかが問われているのです」

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 ――ロシアは盤石でしょうか。

 「プーチン氏は中長期的には孤立の恐ろしさを味わうことになるでしょう。金融からエネルギーなどをめぐる制裁が進む場合、ロシアの側から逆に資源を『売ってやらない』という対抗戦略をとるかもしれません。しかし、相互依存を深める世界で孤立することの代償はとても高くつくでしょう。信頼を失ったロシアには誰も投資しません。軍事的に一時は成功しても、かつてのソ連にとってのアフガニスタンのようになり、泥沼にはまっていく可能性もあります」

 ――世界の市場もめまぐるしく動いています。

 「株価などマネーゲームよりも実体経済を考えましょう。ロシアの輸出の8割以上はエネルギーを含めた一次産品です。ドイツなど欧州の国々がロシアのエネルギーに依存している、と報道されていますが、日本も同じです。東日本大震災後、多くの原発が止まっていて、化石燃料への依存度が高まっていることも影響しています。2021年、化石燃料全体では日本の輸入総額に占めるロシアのシェアは6・5%。天然ガスで8・7%、石炭では10・2%です」

 「日本がサハリンなどから輸入している天然ガスなどが制裁対象となってストップすることが現実になりえます。ロシアは安定的な供給先として中国に接近し、世界のエネルギーをめぐる様相が大きく変わっていくことになります」

 「中ロ関係も複雑で一筋縄ではいかないかもしれませんが、今回の危機が両国にブロックを形成させ、分断された世界秩序につながっていく可能性もあります」

 ――世界有数の穀倉地帯での危機でもあります。

 「ウクライナもロシアも多くの食料を世界に供給してきました。カロリーベースの食料自給率は米国が130%なのに対し、日本は37%に過ぎません。食べ物は買えばいいという戦後の歩みを省察し、国民生活の安全と安定を図る『食と農』の基盤を再構築すべき時代と言えます」

 「国際情勢はビリヤードの玉突きのように動きます。日本はアベノミクスで円安へ誘導し、株価を上げようとしてきました。しかし金融政策を正常化できないまま、悪い円安と呼ぶべき状況になっています。エネルギーや食料などの国際的な価格が上昇する場合、円安になっていれば、価格上昇の衝撃はさらに強烈に日本経済と国民生活にインパクトを与えることになります」

 ――さまざまなレベルで日本に影響が及ぶということですね。

 「あらゆる意味においてウクライナの危機は対岸の火事ではありません。戦後の日本は工業生産力を最大化させる国づくりに集中し、一定の成功を収めました。ピークだった1994年には世界全体の国内総生産(GDP)のうち、17・9%を日本が占めていたのです。しかし昨年は5・7%に過ぎません。経済だけで尊敬されていた国が、その経済力が埋没する中で迎える危機である、という自覚があるでしょうか」

 「思えば、ロシアも建前上は民主主義国家です。ソ連崩壊後の喪失感が危険なナショナリズムに立つプーチン専制を生み出しました。民主主義には専制とポピュリズムという危うい落とし穴がつきまといます。日本人として民主主義をどう鍛えるのか、どれだけ主体的な構想力を持って世界に向き合うのか。この国の知の再武装が問われているのです」

 (聞き手・池田伸壹)

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 てらしまじつろう 1947年生まれ。三井物産常務執行役員などを歴任。医療・防災産業創生協議会会長。著書に「人間と宗教 あるいは日本人の心の基軸」など。