トルコの仲介により、日本時間の3月10日、トルコのアンタルヤで行われたロシアとウクライナの外相会談ははかばかしくなかった。

ロシア・プーチン大統領のウクライナ侵攻について、日経新聞、読売新聞、朝日新聞など様々な媒体には毎日のように識者の寄稿や声明が掲載されている。

ひとつひとつ読んでいるが、それぞれの識者が「世界秩序を維持する国際法上の新たな枠組み」形成の必要性を述べつつも、「今の情勢を可能な限り早急に好転させる具体的な方途を示すことは難しい」という共通した見解を持っていることが分かる。もうひとつ共通しているのはそもそも「なぜプーチンは軍事侵攻という決断をくだしたのか」という問い立て。

それに対する答えは、ロシア民族や国の歴史にまで遡り論じるものや、ここ10年ほどの間に国際社会で起きた出来事にその遠因を求めるもの、第二次世界大戦やアフガニスタン問題など過去の戦争・紛争にその共通点を見出すものなど、まさに識者が10人いれば10通りの見方、捉え方がある。

読む側としては、多くの論考にあたり、共感できる部分とそうでない部分を識別し、疑問点は調べ解消しながら自分なりに思索し、自分なりの見方を養うことだろう。

その前提で、ここまで読んで来た中で、よりプーチンの内面に迫って今回の侵攻を捉えようとしている、”現代の知の巨人”と称され、ベストセラー作家であり、元外務省主任分析官として著名な佐藤優氏の解説は興味深い。

 

 

「プーチンは狂人でもナショナリストでもない」 佐藤優が読み解く「暴君」の“本当の狙い” 

2022年3月6日デイリー新潮(週刊新潮3月10日)  

 


 

 侵攻の2日前、2月22日の映像では、ロシア軍の戦車と兵員輸送車に「Z」という識別符号が記されていました。ロシアとウクライナは同じ車両を使っており、何らかの形で区別する必要がある。これを見て私は、ロシアはウクライナに入る肚(はら)だと確信したのです。
 プーチンの狙いはウクライナの政権転覆、つまりゼレンスキー大統領の首をすげ替えることです。彼自身が明らかにしている通り、今回はウクライナ国内のロシア系住民の保護、そして同国の非軍事化が目的。そのためにまず、現政権打倒を目指しているわけです。

軍事介入を選んだ理由
 コメディアン出身のゼレンスキーは2015年に主演ドラマ「国民のしもべ」が大ヒットし、19年4月の大統領選で初当選しました。ところが、当初は70%以上あった支持率も、政界に蔓延(はびこ)る腐敗を正せずに急降下、1年後には30%ほどに落ち込み、現在はさらに低迷しています。そこで支持率上昇のために、反ロシア感情を高め、領土の回復を試みようと動き始めました。

 14年に親ロシア勢力が一方的に独立を宣言した東部の「ドネツク」「ルガンスク」両“人民共和国”の人たちは、多くがロシア語を話し、ロシア正教を信仰し、自らをロシア人だと認識しています。すでに70万人がロシア国籍を取得しているともいわれ、この地を取り戻そうとするゼレンスキーに対し、プーチンがそれを許せば国民を見捨てることとなり、政権が瓦解する可能性もある。そこで軍事介入というオプションを選んだのです。

 ロシアの行為は全く是認できるものではありません。国際法では、国連加盟国の紛争は武力で解決してはいけないことになっています。ただし、プーチンが完全な無法行為を働いているとも言い切れません。国際法を無視ではなく、巧みに「濫用」しているのです。

プーチンが持ち出した屁理屈
 2月21日には前出の二つの人民共和国を国家承認していますが、国家承認とは通常、国民がいて実効支配をしている政府があり、国際法を守る意思があると認められれば、国際法上は違法性を有しません。続けてロシアは両人民共和国との間に「友好、協力、相互援助条約」を結びました。これは日米安保と同じような同盟条約であり、その締結後に要請を受け、24日に軍を派遣したという流れで、まずは体裁を整えた格好です。

 またプーチンは今回「特別軍事作戦」が国連憲章51条に該当すると主張しています。これは集団的自衛権を認める条項です。さらにプーチンは武力行使を正当化するために“ウクライナの「ネオナチ」政権から守るため”という屁理屈を持ち出したのですが、ウクライナ政府には、ナチスドイツと一時期協力したステパーン・バンデーラを民族の英雄として尊敬する人たちがいるので、こちらもこじつけることができます。

 侵攻のタイミングも実に合理的でした。前日の2月23日は、1918年にソ連がドイツに勝利した「祖国防衛の日」であり、愛国感情が最も高まる日。無名戦士の墓にプーチンが献花し、盛大な軍事パレードが行われる。国民全体で戦いに思いをはせ、翌日に「ネオナチ」との戦闘に踏み切ったというわけです。

国境を「面」で捉える
 プーチン自身は狂人でもなければ、郷愁にとらわれたナショナリストでもありません。24時間、国のために働くことができる国益主義者であり、典型的なケース・オフィサー(工作担当者)です。今回は国際社会からさまざまな経済制裁を受けるでしょうが、その反面、NATOがすでに機能していないことを白日の下に晒したともいえます。これ以上、NATOに加盟しようとする国が出てこなければ、ロシアの安全保障上、きわめて大きなメリットとなります。

 彼がもくろんできたのは非共産主義的なソ連の復活です。つまりはベラルーシ、ウクライナ西部、トランスコーカサス、そしてカザフやキルギス、タジキスタンなども勢力圏に置くというもので、それがあるべきロシアの姿だと考えています。ただし、完全に版図に組み込むわけではなく、ロシアの強い影響下にある状態を望んでいる。国境を線ではなく「面」で捉えており、各国がそれぞれバッファ(緩衝地帯)でなければならないと考えているのです。

プーチン独自の善と悪
 これは「制限主権論」であるともいえます。社会主義共同体の利害が毀損される時、個々の主権国家の権利が制限されることがある。いわゆる「ブレジネフドクトリン」ですが、この社会主義共同体に、プーチンの思い描くロシアが取って代わった。「ネオ・ブレジネフドクトリン」と名付けるべきものかもしれません。

 私の友人でロシアの政治学者であるアレクサンドル・カザコフが著した『ウラジーミル・プーチンの大戦略』には、以下の記述が登場します。

〈私がプーチンのイデオロギーと呼んでいるものは、あらゆる問題に答えを与えるような入念につくられた理論ではない。それはむしろ、現代世界における針路を決めるための海図となり得る、複雑な価値体系である。そして、「なにが善くて、なにが悪いのか」を見分けること――すなわち、意思決定の際に自覚的な選択をできるようにする、価値の座標システムなのである〉

 プーチンの中には独自の価値基準があって、その中に善と悪がある。これに照らした時、ウクライナがNATOに加盟しようとしたこと、またゼレンスキーが大統領になる前の出来事ですが、19年1月にキエフ府主教がモスクワ総主教庁から独立し、イスタンブールの総主教に帰属したことも、看過できない悪であると映ったわけです。

ロシアの最終目標は
 無神論を掲げたソ連のKGBに勤めたプーチンは、今ではロシア正教の信仰を受け入れています。彼にとって正教は、ロシアに不可欠なアイデンティティーの一つであり、これを擁護することを義務だと捉えている。そのためには軍事力を持ち出してでも「悪」の出現を食い止めなければ、という立場にあるのです。

 今回の軍事行動は、ロシアと事を構えない融和政権がウクライナで樹立されるまで続くでしょう。現在ウクライナの軍事施設は壊滅的な被害を受けており、これを再建できないようにした上で、マッカーサーが戦後日本で行ったように、自衛のための軍隊だけを認める。それらが達成されたのち、ロシアは手を引くのではないかと思われます。

 実効支配していた「ドネツク」「ルガンスク」の両人民共和国は、それぞれが位置する州全体を支配することになるでしょうが、ロシアが占領するとしてもこの2州にとどまり、全土には及びません。あくまでロシアに迎合した政権が「自発的」に誕生するのを待つのではないでしょうか。

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