<2022.02.25>起稿

 

(題字/工藤静香)

 

2021年3月7日に初回が放送され、今月(2022年2月)5日にBSフジで再放送された「輝き続ける中島みゆき」

 

中島みゆきさんを超リスペクトする6人、岩垂かれん、工藤静香、中村 中、船山基紀、柳葉敏郎、藤村さおりが、中島みゆきさんの楽曲と自身の思い出を熱く語りながら、それぞれ5曲ずつ厳選した「中島みゆきプレイリスト」を紹介した。

 

中島みゆきさんが出演したテレビ映像やライブ映像からは、

「アザミ嬢のララバイ」「わかれうた」「やまねこ」「重き荷を負いて」「世情」「呑んだくれのラブレター」「地上の星」「India Goose」「身体の中を流れる涙」「やさしい女」「糸」「恩知らず」「慕情」「見返り美人」「浅い眠り」「宙船」「NIGHT WING」「ファイト!」「時代」「Nobody Is Right」

などを流した。

 

「争う人は 正しさを説く

正しさゆえの 争いを説く

その正しさは 気分がいいか

 

正しさと正しさが 相容れないのは

いったい何故なんだ」

(中島みゆき「Nobody Is Right」)

 

とくに番組の最後にフルで流した「Nobody Is Right」のライブ映像(「中島みゆきTOUR2010」から)は番組を締め括るにふさわしい選曲だったし、今のウクライナ情勢、ロシアの軍事力行使とオーバーラップした。

 

ロシアとウクライナ、NATO加盟国などそれぞれに正しいと信じる言い分はあるだろうが、ロシアの軍事行動は世界あげて否定すべきだろう。それぞれが自国の正しさを主張していることを裏返せば、絶対的なただひとつの正しさはないわけなので、そこを理解し、相互不信を溶かす外交交渉、対話を維持できなかったことが悔やまれる。

 

番組に戻るが、音源としては「パラダイス・カフェ」「ヘッドライト・テールライト」「キツネ狩りの歌」「倒木の敗者復活戦」「蕎麦屋」「雪・月・花」「あした」「スクランブル交差点の渡り方」などを流した。

 

それぞれが選んだ曲を紹介する際に「癒された」「勇気づけられた」「背中を押された」「体の中で衝撃が起きた」「元気が出た」「どん底から引き上げられるように助けられた」と、主にそう感じた部分の歌詞を引用しながら、それこそ熱く語っていた。

 

とくに工藤静香は”私こそ中島みゆきさんの分身です!中島みゆきさんの歌の世界が分かるのは私だけです!”ぐらいの勢いで、全存在を賭けるように語っていたのはまったく嫌味を感じず、中島みゆきさんへの真っ直ぐなリスペクトが伝わり、とても微笑ましかった。

 

番組の終盤で、中島みゆきの世界の共同制作者である瀬尾一三氏が「世代を超えて中島みゆきが愛され歌い継がれる理由」を語っている。

 

「彼女がクリエイトするもの、作り上げてくるものが、すごくマクロ的なものからミクロ的なもの、平面的なものから俯瞰的なもの…オールマイティのように色々と出て来るんですよ。日常、何も気づかないようにしている、心の襞(ひだ)の中にあるささくれみたいなものとかを何気なく提示してくれる。時には傷に塩的なこともありますけど、そういうものも含めた上で、大きな愛があると思うんです、包むような愛が。だから見捨てないっていう、最後には癒されるというか。個人、あなたっていうところの対峙の仕方をしているので、そこが(聴く人に)一番響くところだと思うんですよね」

 

約1時間40分、一気に観た。いい番組だった。

 

荒野より / 中島みゆき [公式]

 

_

 

 

2月23日の文春オンラインに中島みゆきさんに関する記事が掲載され、興味深く読んだ(後段に全文掲載並びに記事タイトルクリックでリンク)。

 

一般的にこれらの類の媒体に掲載される記事は、ライターが明記されていなかったり、記事文中で引用する言葉などの出処が明記されていないなど、つまり100%信頼がおけない内容であることが多い。

 

以前にも松山千春や長渕剛に関するこの手の記事、それは何も二人に限ったことではないが、を読んだ際、一本の記事の中にほぼ間違いなく複数の事実誤認や出処不明の発言などがあり、不快な気持ちになった。

 

中島みゆきさんに関するこの記事がそうした記事と同レベルであるかどうか…具に判別できるほど彼女の人となりやこれまでの歩みに詳しくはないが、少なくともこの記事、ライター名が掲載され、多くの出典が明記されていることから、ある程度の信頼を置いてもいいのではないか?と思った。

 

その前提でとくに取り上げたくなったのは、彼女の歌(歌詞作り)に関する以下のくだり。

 

 《絵に例えてみるとね。たとえば海を描いた絵を美術館に展示してから、その前に立って、観に来るお客さんにいちいち「いやー、実はここんとこに船も描くつもりだったんですけど」とか言うよりさ、描けばいいじゃん。船を。

 画家は船を描いた。
 でも観客からは単なる海の絵にしか見えなかった。
 画家は解説なんかしなかった。
 ある日一人の客が、そこに船を見た。
 その客の心の中の、船を見た。

 ――そういうふうに詞を書いてみたいわ。事実と真実の距離、なーんて言っちゃうとキザだけど》 
 (※2)中島みゆき『愛が好きですⅡ』(新潮文庫、1993年)

 

ミュージシャンと聴く側との接点はコンサートやラジオ、テレビ、SNS、雑誌など様々あるが、その第一はやはり生み出し発表する歌だろう。歌詞でありメロディである。作り手はまずはそこにすべてを託し、聴き手はまず歌から伝わり感じ取るものを大切にしようとする。

 

”本当は船も描きたかったんだけど…”と言うのなら、船を描けばいいじゃん―彼女の言うとおりである。”歌で勝負”—中島みゆきさんはそれを言っているのだろう。

 

なので、記事にある「自分の曲の解説は嫌い」という言葉の別の意味も、歌にすべてを託しているわけだから、いちいち解説する必要はない、と解釈できる。彼女の、歌に賭ける勝負観を見たようである。

 

 

”こんなにたくさんの強い思いがあるんだ”と言うのなら、その思いを歌詞に託せばいい。練り上げ、苦しんで、推敲を重ね、歌詞を紡ぎ出せばいい。そうした才能の有無でも得手不得手でもない。表現技法の巧拙でも語彙力の高低でもない。どう表現したらこの思いを聴き手に届けられるだろうか、何としても届けたい、という信念であり決意の問題である。

 

歌とは違う場面で、歌詞に表現しきれていない自分の多くの思いを語るのなら、それは歌を通しての作り手と聴き手との出来得る限り最大限の思いのキャッチボールと共有という点で見れば、そこにコミュニケーション不全を起こしていると言ってもいい。

 

中島みゆきさんは様々な言葉や表現を駆使して見事な歌詞を紡ぎ出し、そこに歌の数だけ個々の世界を作り上げる。軽々には語れない奥深さがある。ファンが離れない、ファンでなくても多くの人に歌い継がれる、長く聴き続けられる…理由のひとつは、そこにあるように思っている。

_

 

中島みゆきが70歳に「自分の曲の解説は嫌い」と公言するワケ 『家なき子』主題歌に出てくる「僕」の正体は… 2月23日は中島みゆきの誕生日 (近藤正高) 

2022/02/23 文春オンライン

 きょう2月23日は、シンガーソングライターの中島みゆきの誕生日である。年齢をほとんど感じさせない人だけに、今年で70歳を迎えたということに驚かされる。

 彼女の代表曲のひとつに「空と君のあいだに」がある。いまから28年前、1994年に放送されたドラマ『家なき子』の主題歌としてつくられ、大ヒットしたナンバーだ。この曲ができるまでにはこんなエピソードが残っている。

 

|「自作の解説」が嫌いな理由は…

 

 中島が主題歌の依頼をテレビ局から受けたとき、決まっていたのは、当時子役だった安達祐実が主演で、彼女が犬を連れているということぐらいだった。曲を書くとなると拠り所は犬以外なく、そこで「犬は最終回まで必ず出ますよね?」と局側に確認した上で、犬の立場で書くことにしたという。

 

《絵に例えてみるとね。たとえば海を描いた絵を美術館に展示してから、その前に立って、観に来るお客さんにいちいち「いやー、実はここんとこに船も描くつもりだったんですけど」とか言うよりさ、描けばいいじゃん。船を。

 

   画家は船を描いた。

   でも観客からは単なる海の絵にしか見えなかった。

   画家は解説なんかしなかった。

   ある日一人の客が、そこに船を見た。

   その客の心の中の、船を見た。

 

――そういうふうに詞を書いてみたいわ。事実と真実の距離、なーんて言っちゃうとキザだけど》(※2)

 

|シリアスな歌とは対照的なキャラクターで人気に

 

 中島みゆきの詞については、これまでに評論家など多くの人がさまざまな解釈を繰り広げてきたが、それは本人が語らないからというのもありそうだ。そもそも取材を受けることも少なく、テレビで歌うこともめったにない。

 

 中島みゆきの詞については、これまでに評論家など多くの人がさまざまな解釈を繰り広げてきたが、それは本人が語らないからというのもありそうだ。そもそも取材を受けることも少なく、テレビで歌うこともめったにない。

 

 かつては『中島みゆきのオールナイトニッポン』などラジオ番組で、シリアスな歌のイメージとは対照的な明るいキャラクターが受け、人気を博したが、もはや若い世代にはそんな彼女を知らない人も多いはずである。だからこそ変に先入観を持つことなく曲を聴けるともいえる。

 

 中島の曲がいまなお新しいリスナーを取り込みながら、愛され続けているのは、そんなところにも理由があるのではないか。前出の「空と君のあいだに」のほか、デビューイヤーである1975年に世界歌謡祭グランプリを受賞した「時代」、あるいはドキュメンタリー番組『プロジェクトX~挑戦者たち~』の主題歌「地上の星」など、スタンダードとなっている曲は数知れない。

 なかには「糸」や「ファイト!」のように、もともとはアルバムに収録された知る人ぞ知る曲だったのが、のちにCMやドラマで使われたり、ほかのアーティストがカバーしたのをきっかけに広く受け入れられた作品もある。

 

|人知れず感じていた「声の限界」

 

 いまから40年近く前に出版された『中島みゆき ミラクル・アイランド』という本では、有名無名を問わずさまざまな人たちが中島について語るなか、とある音楽評論家が《彼女はボーカリストとして、もともと声量にめぐまれているわけでも、テクニックにすぐれているわけでもない。/それをおぎなってきたのが、アルトの声質だったり、我流のうたい方だったりしたわけだ》と書いていた(※3)。だが、いまではそんなふうに言う人はいないだろう。

 この本が出たのは1983年だが、じつはそのころ、中島はまさに自分の声に限界を感じていた。後年本人が語ったところによれば、当時の発声法では厚みがなさすぎ、音域もちょっと足りない。だが、そのせいで歌う曲が狭められるのが許せなかった。実際に、つくった曲のなかには声が出ないので歌えないままになっていたものもあったという(※4)。

 そこで彼女は、声域を広げ、また長時間の舞台でもボルテージを落とさずに歌える発声と体力をつけるべく、ボイストレーナーについて基本的な発声の仕方から学び直すことになる。それはデビューから10年あまりが経ったころだった。

 同時期にプロデューサー兼アレンジャーに瀬尾一三を迎えたことも、中島の可能性を広げた。1988年リリースのシングル「涙―Made in tears―」とアルバム『グッバイ ガール』で初めてタッグを組んだ瀬尾は、翌1989年にコンサートでも演劇でもない新たな形式のライブ「夜会」が始まると音楽監督も任されるなど、中島の音楽活動に全面的にかかわっていくことになる。

|音楽業界では “面倒くさい人”という評判もあったが…

 

 じつは瀬尾は、中島サイドからプロデューサーの打診を受けたとき、自分とは絶対に合わないと思ったという。それ以前より、中島と一緒に仕事をしたミュージシャンなどから“面倒くさい人”というような評判も聞いていた。

 しかし、彼女と会って直接話をしてみて、自分と物の見方が似ていて、同じ方向を見ていることに気づく。そこでもう少し突っ込んで色々な話をしてみると、彼女が曲づくりのためしごくまっとうな要求をしているにもかかわらず、ミュージシャンのなかにはそれを面倒くさいと思う人がいるのだということもわかってきた。

 

 瀬尾はそれでも《彼女が僕と同じ方向からものを見ているなら、問題の解決方法もあるのではないか。それならやってみようかと思い》、プロデューサーを引き受けたという(※5)。それからというもの彼は、中島の要求に応えながら、彼女の世界を具現化する一端を担い、現在にいたるまで30年以上も二人三脚を続けている。

 中島みゆきは最初のヒット曲である「わかれうた」をはじめ、初期には失恋の歌が目立った。そのため彼女に対し「暗い」というパブリックイメージが、筆者が高校生だった30年ぐらい前まではまだ残っていたと記憶する。しかし、いつの間にかそんなイメージも消えていた。いまや中島みゆきといえば、スケールの大きな楽曲をそれにふさわしい声量で歌い上げるというのが、世間一般のイメージではないだろうか。それも彼女が、それまで築いてきた立場にけっして安住せず、常に高い目標のもと瀬尾らスタッフとともに試行錯誤を続けてきたからこそだろう。

 


|「これじゃあ、一生つくり続けていくしかないですね」

 

 しかし、目指すレベルが高すぎるがゆえ、中島はアルバムをリリースしても、コンサートを終えても、そのたびに後悔するという。20年ほど前のインタビューでは、そう明かした上で、《これじゃあ、一生つくり続けていくしかないですね。それか、あるとき、すっぱり諦めて、「もうダメだ」と思うか、どっちかですね。多分、棺桶に入っても蓋開けて、「まだ違う気がするの」って言いそう。ヒッヒッヒ。私の墓場の近辺では、夜中、「なんか違う気がするの」って言ってるのがボーッと出ます、確実に。すいません。アッハハハ》と冗談めかして語っていた(※6)。

 中島は初期の代表曲のひとつ「うらみ・ます」で、自分を振った男を恨み続ける女の気持ちを歌ったが、最後の「うらみます あんたのこと死ぬまで」という詞には、死んだあとは恨まないという意味を反語的に込めたつもりであったらしい(※7)。

 その彼女が、こと自分の作品については死んでもなお満足できそうにないという。逆にいえばその執念こそが、中島みゆきにけっして後ろを振り返らせず、絶えず前進させる原動力となっているのだろう。

※1 『クレア』1994年12月号
※2 中島みゆき『愛が好きですⅡ』(新潮文庫、1993年)
※3 北中正和「中島みゆきの聞こえない音楽」(谷川俊太郎ほか『中島みゆき ミラクル・アイランド』創樹社、1983年所収)
※4 『週刊文春』1996年6月27日号
※5 瀬尾一三『音楽と契約した男 瀬尾一三』(ヤマハミュージックエンタテインメントホールディングス出版部、2020年)
※6 『婦人公論』2000年1月7日号
※7 『週刊朝日』2003年11月28日号

 

『誕生』ダイジェスト動画/中島みゆき 2020ラスト・ツアー「結果オーライ」

初回盤特典(BD・DVD)より