(2021.7.12記事)

 

昨年7月に亡くなられたギタリスト安田裕美さんを偲ぶ「安田裕美の会」が7月4日、東京・原宿クエストホールで開催された。以下記事(タイトルかバナークリックで記事全文へリンク)。

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山崎ハコ「今日が最後の共演です」ギタリスト安田裕美さんを偲んで

7/6時事通信

 

 

 

松山千春は去年7月12日放送の自身のラジオ番組で、デビュー当初、楽曲のアレンジやギターを担当してくださった安田裕美さんを偲んで、多くの時間を使って安田裕美さんとの思い出を語っていたので、再掲する(以下)。

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(2020.7.12記事)

 

今夜(7月12日)の「松山千春のON THE RADIO」

 

7月7日に大腸がんで亡くなられたギタリストでアレンジャーの安田裕美さんを偲び、安田さんの話題に終始していた。以下、松山千春が語った内容。 ※subhead(小見出し)は筆者付す

 

 

■様々な楽曲をアレンジ。「お互い北海道民として頑張ろうな」

 

7月7日、我々の先輩、アコースティックギターのミュージシャンで安田裕美さん72歳で大腸がんで亡くなりました。その第一報を聞いた時にはびっくりしたなぁ。安田さん、72じゃまだ若いし。奥さんの山崎ハコさんもがっかりしていると思う。

 

安田裕美さんというギタリストは北海道は小樽の出身なんですよ。だから俺がレコーディングの時に、安田裕美と言えば陽水のバックバンドとか、とにかくギタリストで鳴らしてましたから。

 

「この方が安田裕美さんか」…「松山です。宜しくお願いします」「千春君、北海道だもんね」「俺は十勝の方の足寄ということろですから」「お互い、北海道民として頑張ろうな」とか言って俺のレコーディングにも参加してくれてたり、アレンジもしてくれたりね。

 

ギターの上手な、アコースティックギターってさ、スタジオミュージシャン、いろいろ出てくるんだけど、今ほんとに安心して任せられる、そして世界を持っているギタリストってなかなかいなんだよな。そういう意味ではこの業界に多大な功績を残した安田裕美さんが亡くなったのは残念で仕方がないですね。

 

まぁ、陽水、小椋佳、奥さんの山崎ハコさんはもちろんだけど、俺、アリス、海援隊、堀内孝雄、石川さゆりのアレンジなどで知られていた。アレンジャーとして頑張ってましたらかね。安田さん、また北海道のミュージシャンがスタジオからひとり欠けますよ。残念ですね。

 

■松山千春アルバム『歩き続ける時』の中の4曲をアレンジ

 

 

とくにアコースティックギター…。我々フォークシンガーにとってはなくてはならない楽器ですからね。レコーディングした時、あれは俺の三枚目のアルバム『歩き続ける時』(1978年)。

箱根のスタジオでね、泊りがけで一緒にレコーディングしたことを昨日のように…覚えてるわけはないですよね。やっぱり、ぐーと思い出さないと思い出せないような。けど、いい時代、安田裕美さんがいい時に、俺もデビューしてまだ22歳。なあ、それはそれは爽やか好青年だよ、好青年!なあ、漢字で書けるか?お前達。好青年だぞ。漢字が書けたとしても俺を思い起こせるか?この辺がちょっと難しいところではありますけど。

 

今回はそんな安田裕美さん、ギタリストがこの世に遺していった、アレンジした楽曲、まあ、アレンジしたってことは当然本人がその曲はギターを担当しているはずですけどね。

 

まずは中村雅俊さんで「ただお前がいい」

 

山崎ハコのコンサートでね、体を丸めた安田裕美さんがギターを弾いている、そういう姿が見られなくなる、残念だなとつくづく思うな。

 

 

■北海道に帰りたいという気持ちにアレンジで応えてくれた

 

ほんとに一緒にレコーディングした時も、同じ北海道ということで優しくしてくれて、まあ、三枚目のアルバム『歩き続ける時』では何曲かアレンジもしてもらいましてね、その中に「帰りたい」という曲があります。やっぱり、北海道を離れたくないという俺の思いを察してね、安田さんはもう東京に出てきてしまったから、余計に俺の「帰りたい」という歌に対して、アレンジで応えてくれたんではないかなと思いますけどね。

 

今考えてもいい曲をいい人にアレンジしてもらえたなと思いますよ。俺が最初レコーディングした時(アルバム『君のために作った歌』ではフォークギター(FG))、アコースティックギターは金成さん(金成良悟)という大大先輩で、その時から安田裕美さん、石川鷹彦さん、そして吉川忠英さん。後に出て来ますけど、笛吹ちゃん(笛吹利明)。笛吹ちゃんがアコースティックギター界の若手のホープ、みたいな感じでね。そんな安田裕美さんがアレンジしてくれた

 

松山千春「帰りたい」

 

■安田さんに勧められ「これ以上」のギターを自らも弾く

 

安田裕美さん、それと清須さん(清須邦義)、俺。レコーディングしてる時に、安田さんが「この曲は千春君も一緒にギターを弾いたらどうだい?」「え?それを言いますか?安田さん、俺のギターの腕がどれほどか分かってるんでしょ?」「やっぱりギター三本で、しかも千春君が弾いたら余計曲に奥行きが出来て絶対いいと思うんだ」、と言って私もギターを弾きました。

 

安田裕美さんがアレンジしてくれた俺の曲「これ以上」

 

 

久しぶりに「これ以上」という曲を聴いて、ああ、思い出しましたね。スタジオで三本のギターで。一番難しかったのが最後のリット(リタルダンド (ritardando)だんだん遅く/リットエンディング だんだんゆっくりになって終わる)するところか。三者三様でさ、終わって行き方、あるからな、それで気を合わせてゆっくり終わって行くっていう感じにしなきゃならなかったからな。

 

■裕美さん、ありがとうございました。これからもいい曲を作り続けます

 

あとはねぇ、安田さんがすごい神経質と言えば神経質な方で、この曲(「これ以上」)でね、自分が弾いたパートを、ちょっともう一回聴かせてくれる?あっ、ちょっと音が揺れている。もう一回やり直す…すごい時間がかかったんだよ。それぐらい、すごい繊細な方だったというのが蘇ってきましたね。

 

ギタリストの安田裕美さんが亡くなって、俺もちょっとがっくり来てるけど、裕美さん、本当にありがとうございました。これからもいい歌を作り続けて参りたいと思います。

 

今回最後の曲は安田裕美さんがアレンジしてくれた

松山千春「良生ちゃんとポプラ並木」

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(関連稿)