大石寺

 

 

日蓮正宗  大石寺

 

 

山号 : 多宝富士大日蓮華山

宗派 : 日蓮正宗

寺格 : 総本山

本尊 : 本門戒壇の大御本尊

創建年 : 正応3年(1290年)

開基 : 第二祖日興

 

 

所在地 : 静岡県富士宮市上条2057

 

 

大石寺は多宝富士大日蓮華山(たほうふじだいにちれんげざん)大石寺と称し、
正応3年(1290)10月、宗祖日蓮大聖人の法嫡・第2祖白蓮阿闍梨日興上人によって開創されました。
寺号の大石寺は、大石ヶ原の地名に由来します。
また開基檀那は、当地・富士上野郷の地頭であった南条七郎次郎時光です。
日興上人は弘安5年(1280)、大聖人から一切の付嘱を受けられ、大聖人の入滅後、
身延山久遠寺の別当職(住職)に就かれました。
しかしその数年後、身延の地頭である波木井実長が、民部阿闍梨日向のそそのかしもあって、
徐々に謗法をおかすようになりました。
師である日興上人は、再三にわたりこれを諫め諭しましたが、
波木井実長はまったく謗法を改めようとしませんでした。
そのため日興上人は、かねてより大聖人の「地頭の不法ならん時は我も住むまじ」との御遺言によって、
遂に意を決し、宗旨の根本である本門戒壇の大御本尊をはじめ、大聖人の御灰骨など、
一切の重宝を捧持して、正応2年(1289)の春、身延の山を離れました。
そして大聖人以来の強信者である南条時光の請いに応じて富士へと移り、
翌正応3年(1290)には大石寺を建立して、本門戒壇の大御本尊を安置し奉り、
また多くの弟子達を養成して、宗門万代の基礎を築きました。
爾来、日興上人より第3祖日目上人へ、日目上人より第4世日道上人へと一器の水を
一器に瀉(そそ)ぐがごとく血脈相承し、法燈連綿として御当代・第68世日如上人に及んでいます。
日蓮正宗総本山大石寺こそ唯一、宗祖日蓮大聖人の教えを正しく今日に伝え、
世界の民衆を真に救済する根本道場なのです。
<大石寺HPより引用>

 

 

『総門(黒門)』

 

『三門』

 

『鬼門』

 

『客殿』

 

『不開門(勅使門)』

 

『中門(二天門)』

 

 

『鼓楼』

 

『鐘楼』

 

『御影堂』

 

『奉安堂』

 

『御宝蔵』

 

『大書院』

 

『六壷』

 

『大坊』

 

『大講堂』

 

『手水舎』

 

『宗務院』

 

『裏門』

 

『案内図』

 

『五重塔』

 

『十二角堂(位牌堂)』

 

『納骨堂』

 

 

 

<塔中寺院>

 

『了性坊』

 

『南之坊』

 

『本境坊』

 

『蓮成坊』

 

『本住坊』

 

『勧行坊』

 

『蓮東坊』

 

『寂日坊』

 

『久成坊』

 

『百巻坊』

 

『浄蓮坊』

 

『理境坊』

 

『妙泉坊』

 

『遠寿坊』

 

『常灯坊』

 

『総一坊』

 

『総二坊』

 

『広布坊』

 

 

 

<日蓮正宗とは>
日蓮正宗とは、宗祖日蓮を末法の本仏、三大秘法を宗旨、
日本の静岡県富士宮市の大石寺を総本山とした、
富士門流に位置づけられる仏教の宗派である。
信徒数は、2016年(平成28年)現在、668,000人である。

総本山 : 多宝富士大日蓮華山大石寺
本山 : 多宝富士山妙蓮寺/高永山本門寺/日知屋山定善寺

教義 : 本迹勝劣、日蓮本仏論を唱え、大石寺に伝えられる本門戒壇の大御本尊と
唯授一人の血脈を仏法の根本とする。

日蓮正宗の独自の信徒団体として、法華講という制度があります。
また、謗法払いといって、それまで所持してきた他宗の本尊などを処分し、
他宗教、他宗派の信仰の対象物を取り除くことを、信者は求る考え方を取ります。

 

 

<興門八本山>
北山本門寺
伊豆実成寺
小泉久遠寺
西山本門寺
保田妙本寺
京都要法寺
大石寺
下条妙蓮寺

 

貝原益軒『壬申紀行』には「富士のすそ野に日蓮宗の五ヶ寺あり。
北山の重巣本門寺、西山門本寺、上野の妙蓮寺、大石寺、大宮の久遠寺あり」とある