西山本門寺
法華宗興門流 西山本門寺
山号 : 富士山
宗派 : 法華宗興門流
寺格 : 本山 単立寺院
本尊 : 十界曼荼羅
創建年 : 1344年(康永3年)
開山 : 日代上人
開基 : 大内安清
正式名 : 富士山本門寺
所在地 : 静岡県富士宮市西山671
1344年(康永3年)に、日興上人の弟子日代上人が、西山の地頭大内安清から寺地の寄進を受けて、
西山本門寺を建立したとされています。
全体で360町歩という広大な境内を有し、旧芝川町随一の歴史を今に伝える西山本門寺の本堂裏手には、
織田信長の首塚があると伝えられています。
西山本門寺は単立の寺院で、日蓮上人の高弟六老僧である日興上人の法脈を継承した富士門流に属し、
同門流の5つの有力本山である富士五山(北山本門寺、西山本門寺、大石寺、小泉久遠寺、下条妙蓮寺)の
ひとつに数えられていました。
黒門から本堂付近まで1kmくらい、本堂裏手の墓地までは2kmくらいあり、とても広い敷地となっています。
『由来説明』
『黒門』
『表参道』
『代官門』
『本堂入り口』
『本堂(旧客殿)』
『鐘楼』
『手水舎』
『大柊』
『信長公首塚』
西山本門寺の第18世住職、日順上人の父の原宗安(原志摩守)が本能寺の変の際、
戦死した自分の父原胤重と兄の原清安(原孫八郎)を探しに行き、
信長の首を見つけて此処本門寺まで持ち帰っているとされる。
信長の首塚は本堂(かつての客殿)の斜め後ろ、戌亥の方角(北西)に柊を墓標にして、
土饅頭を築いて墓とした。
柊を植えたのは、葉に棘があって人が近づきづらいこと、
また節分の夜に柊を家の入口にさして邪気を払う習慣が昔からあるが、
魔が入り込まないように柊を墓標代わりにしたとみられる。
信長の首は今も約3メートル下の土中に眠っているとされる。
『大イチョウの木』
『尊霊殿』
『縁起』
『大庫裡』
『16世日映御墓所』
『日映堂』
『本尊堂跡』
<西山本門寺塔中>
盛時は30余坊を数えたといい、天明8年(1788年)『法華宗勝劣派西山本門寺寺院本末帳』には
26か坊と載る。
江戸後期の地誌『駿河記』には次の12か坊が列記されている。
これらの多くは、明治初期までに廃された。
妙圓坊
洗因坊(廃坊)
本泉坊(廃坊)
臨唱坊(廃坊)
大詮坊
本能坊(廃坊)
浄圓坊
常照坊(廃坊)
代信坊(廃坊)
圓信坊(廃坊)
恵林坊(廃坊)
行善坊(廃坊)
『妙圓坊』
2000~01年にかけて本堂改築。
『大詮坊』
本山13代日春が、永禄8年(1565)3月18日に開創した。
「代官席」の要職にあり、当坊のみ山門建立が認められていたという。
平成14年5月、代官門を復興再建。
『浄圓坊』
本山4代日任(本山開基日代の弟子)が開創した古刹。
<興門八本山>
北山本門寺
伊豆実成寺
小泉久遠寺
西山本門寺
保田妙本寺
京都要法寺
大石寺
下条妙蓮寺
貝原益軒『壬申紀行』には「富士のすそ野に日蓮宗の五ヶ寺あり。
北山の重巣本門寺、西山門本寺、上野の妙蓮寺、大石寺、大宮の久遠寺あり」とある