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takacciの「見た・観た・聴いた・読んだ」

音楽に関すること、観たこと、読んだことへの感想などを書いていきます。(文中敬称略) 2019年4月より別サイトで掲載していた写真の記事も同居させましたが、20年7月に元に戻しました。

本ブログの無断転載はお断り致します。

あれだけ前回聴いた時に感銘を受けたというのに、この日聴きに行く演奏会を決めようとチラシを捲っていた時、この楽団を聴いたことあるかどうかを思い出せなかった。そこで自分の備忘録として書いているこの感想ブログを検索し、この楽団の記事を読んでみると、あの演奏会後の夢心地になった気分を思い出すことができた。恥ずかしながらどういう演奏だったかは思い出せなかったけれど、あんなに良い気分で会場をあとにしたのは初めてだったのは確か。これは聴きに行かなくちゃ。

 

日時: 2019年6月2日(日)14時開演

場所: かつしかシンフォニーヒルズ

指揮: 寺岡清高

演目: エルガーの弦楽セレナードとエニグマ変奏曲、ベートーベン3「英雄」

 

開演時間になると弦の奏者が揃いチューニングも完了。さあ指揮者が出てくるぞ、と思って舞台袖を眺めていたら演奏が始まってしまいびっくりした。なあんだ、この曲は指揮者無しで演奏するんだ。それならそうと何処かに告知してくれれば、もう少し聴く準備をすることができたのに。しかし安定してバランスの取れた好演であり、初めて聴いたのに楽しんで聴けた。もっと頻繁に演奏されても良さそうな曲だった。

 

エニグマはフルオーケストラによる演奏。普段からあまり聴かない曲であり、FMやCDで聴いても途中で集中が切れてしまうのだが、この日はこれまでより楽しんで聴き終えられた。エルガーは私としてはまだ聴く練習をしている作曲家。交響曲1はだいぶ造りが分かってきたつもりだけど、他はまだちょっと理解できていない。この曲もどういう魅力があるのか良く分からないながら、ラストの盛り上がりまで付いて行くことができたと思う。外れていたら笑われそうだが、映画音楽のような効果を感じさせる曲として楽しんだら良いのではと思っている。

 

最後は「英雄」。出だしの一発目がぴったり揃っていたのでびっくりした。この曲は大好きでかなりの回数を聴いてきたけれども、これだけぴったり揃ったのを聴いたのは初めてのような気がする。弦楽のどのパートも良く弾けており、表現力も揃っているから、葬送行進曲のフーガを堪能することもできた。しかし曲の後半はなぜか聴いていて集中が切れてしまったのは我ながら無念。私の好むテンポよりかなり速く、淡白になったような気もするけど、気のせいだろうか。

 

次の演奏会は10月。特別演奏会としてブラームスの二重協奏曲とマーラーの5番をやるそうだ。普段より入場料が高いけど相当魅力的に思える。

今回の旅行で宿泊した宿は毎晩30分のステージ演奏を提供してました。

 

この写真は従業員によるスコップ三味線の披露です。

 ねぶた、一度は祭りを観たいです。

 

 お祭り広場と宿泊棟を結ぶ廊下の照明にも工夫が

 

 提灯の中は電球ですが、表面にはリンゴの花があしらわれてました。

 

(E-M10m2 + 14-150mm)

先般の旅行では三沢空港到着後バスで八戸に回り、市内で昼食した後バスで鮫(さめ)に行き、ウミネコの繁殖地として知られる蕪島に歩きました。

 

こういう浸食された岬の根元が蕪島でした。

思っていたより蕪島神社って大きい。

 

 ウミネコが棲み付いたのと神社ができたのとどっちが先なんだろう?

 

 神社は修復中で階段は上がれませんでした。

 

 数多のウミネコを掻き分けるように歩いて海辺まで行ってみました。落ちているものや落ちて来るものに怯えながら。でも被害はなし。神社の階段の対面にガラス張りの休憩所があって、そこからならゆったりと写すこともできます。

 

帰りは鮫駅から八戸経由で宿泊地へ。いずこも同じながら、第3セクターは高いです。

 

 

 

(E-M10m2 + 14-150mm)

日時: 2019年6月1日(土)14:00

場所: 狛江エコルマホール

指揮: 今井治人

演目: モーツアルト「パリ」、ブルックナー4「ロマンティック」

 

前回の演奏会の「英雄」でごく好印象を受けた楽団の演奏会。今回は狛江という私の未踏の地であることから少々迷ったものの、前回の印象をアップした自分の記事を見て「これは行かなくちゃ」と思った。

 

会場は狛江駅北口を出て至近の商業ビルにあり、足の便の良さが我が家から遠いというハンデを補ってくれた形。ホールの規模としては席数700余りと中規模ながら、舞台の音があまり減衰せずに客席後方まで届いてくる感じの、考えようによっては室内楽に適しているホールに思えた。1stヴァイオリン7名という編成のオーケストラの弦楽合奏は丁度良かったけど、舞台の奥行きがあまりないので管楽器が大きく聞こえたという印象だ。

 

「パリ」は快調に始まった。好きな曲がこのように素晴らしい生演奏で聞こえてくるともうウキウキしてしまう。いろいろ迷ったけれど聴きに来て良かったなあという思いが同時に浮かんだ。

このいい感じは第2第3楽章と進むにつれて減衰して行ったのは残念だったけれど、私がこの曲を聴くと、CDによるものであれ生演奏であれいつもそうなるのだから、これは自分の理解力の問題だろう。

ブルックナーの方は逆に後半の演奏に引き込まれた。

先週の平日、溜まったショッピングマイルで三沢に飛びました。

飛行機って離陸・着陸時に緊張しますが、天候の良い日に窓から見える景色が大好きです。
 

 この日は良く見えました。
窓の色がかなりきつくて、目で見た景色と同じ色合いにはなかなか調整できません。

 

 東北の上を飛ぶと山も多いです。

 三沢空港着陸寸前

小川原湖を空から眺めたかったのだけれど、高度が低くて見えなかったのは残念。

(E-M10m2 + 14-150mm)

開花状況60%とHPに書いてあったけど、実際はより進んでいる感じでした。

 

 綺麗に咲いているものだけ撮ろうと考えたけど、それでも撮り切れないくらい咲いていました。

 

 

撮った中からどれを掲載しようか迷った挙句、良さそうなのを全部載せてしまうことにしました。

サムネールで良さそうだと思われるのがありましたら、クリックしてご覧ください。

 

                 

(K-5 + 18-250mm)

日時: 5月19日(日)、13:30

場所: すみだトリフォニーホール

指揮: 新田ユリ

曲目: シベリウス6、吉松隆・交響曲6「鳥と天使たち」、「悲愴」

 

最後の曲「悲愴」が終わって、拍手をするのが憚れるほど、私は悲しみのどん底に居て打ちのめされていた。その後多くのブラボーが送られていたけれど、そういうことが相応しい曲なのだろうかと違和感を感じた。素晴らしい演奏に喝采を送るのは当たり前としても、、、

指揮者の頑迷なまでに遊びを入れない、精神性に徹した指揮ぶりに前半はややもたつきを感じないでもなかったけれど、最後にこう持っていくにはあれじゃなきゃいけなかったのだろうと、素人なりに合点。作品の本質に迫り、妥協無く魅力を最大限に引き出す。私が頻繁にアマオケを聴きに行くようになってから初めて接する本格感(こんな表現ってないかもしれないけど)であり、とーっても驚いた。

 

もっとも、彼女の指揮は先だってシベリウスを主とした別の演奏会で聴いたことがあって、その時私は、例によってシベリウスの良さを理解できず、どうにかもっと分かり易く聴かせてもらえないものか、と思った覚えがある。それはこの日のシベリウス6でも同じだった。弱音での演奏を見事にコントロールし、緊張感の持続する好演だったのだろうけど、私はその緊張に耐えられずうとうと。何故か曲が終わることをはっきり分からしめるコーダに来て「残念、やっぱ寝てしまったか。」とがっくりしつつ目覚めるパターンになってしまった。

プログラムの楽曲解説には、民族主義的な1番と2番を経て、3番以降シベリウスが本領を発揮した、と書かれていた。これにもがっくり。その本領部分を私はまだ分かっていないのである。

 

吉松隆の曲はシベリウスより数段分かり易く、響きに魅了された。でもちょっと長く感じたのだから理解できていなかったのだろう。そうではあっても、より頻繁に演奏されて然るべき曲だと思った。まあ大変演奏が難しいのだろうけれど。

 

一橋大学のオケ出身者が1984年に作ったというこのオケはとてもバランスの取れた素晴らしい演奏をした。これだけたくさんアマオケを聴いてくると、もはやアマオケが素晴らしい演奏をしてもびっくりすることは無くなってきたのだけれど、改めて「いやはや凄い時代になったものだ。」と、感謝しつつ、同時に驚かざるを得ない。

 

と同時に思い浮かんだこと。こんなにレベルが高くなくても楽しめるアマオケの演奏会はたくさんあるのだから、技術の高まりに振るい落とされてしまう奏者の皆さんにも、それなりに場所を確保して続けていただきたいと願う。

出席している読書会で課題本となり、図書館で借りて読む。他に予約を入れる人が居ないようで、読みにくい文章ながらもゆっくり時間を掛けて読むことができた。

 

世界を支配しているのは誰なのか、この答えは簡単に示されている。世界の富の大半と世界一の軍備を所有している国だ。これに関しては詳しい検討をしていない。但しその国を操っているのは誰なのか、ということに関しては執拗に論じられる。

 

中南米と中東を中心に、史上最大のテロを行っている国はどこなのか、という問題と、その国が(この本の出版当時)激しく非難してきたキューバ、イラン、ソ連・ロシアとの比較が鮮やかだった。難民問題に関する指摘も強烈だった。

 

著者が二つの重大な脅威とする核戦争、地球温暖化への言及も執拗に繰り返されていた。特に核の問題。これまでに少なくとも3回(ソ連で2回、米で1回)、誤った核発射命令が現場に伝達されたとの指摘に戦慄を覚えた。これは指令を受けた現場が従わなかったから(核戦争が)回避されたとのこと。この指摘が事実であれば、生きているうちに「世界の終わり」を見ることになっても不思議ではない。それでも世界は、否、私たちは何事もなく生活を続けているのだが、、、

 

著者の信じる事柄を補強するかのように、「誰々が次のように言っている」というスタイルの引用が度々なされている。しかし著者がたぶん重要と思う人物であっても、私は聞いたことの無い名前が多かった。だからその引用が著者の見解を補強しているのかどうか判断できなかった。

 

著者が90歳になる前に書いた本なのだから、老いの一徹で古い信念を繰り返しているのかも、と読んでいて思わないでもなかったのだけど、あとがきでトランプのこと、中国のこと、ヨーロッパにおける極右政党のことなどをちゃんと書いているから、そうでもなさそうだ。畏れ入る。

目立つ花が少なくなったと思いながらも、この日、古石場の辺りの花を見て回りました。

 これが一番お目当てだったトチノキの花

トロピカルな色合いが夏を予感させる?

 

 ハルジオン?

開き掛けだか閉じ掛けだか分からないけど、半開きの花の色が印象的でした。

 

 アジサイがもう色付き始めてました。早いなあ。

(E-M10m2 + 14-150mm)

日時: 2019年5月11日18:30より

場所: 大田区民ホール・アプリコ大ホール

曲目: 序曲1812年、シベリウス5番、「展覧会の絵」

指揮: 鈴木啓資

 

この日は前年の演奏会で感激した団体のショスタコーヴィチメインの演奏会との(私の中での)競合を制したこの演奏会へ。演奏団体も指揮者もお初にお目に掛る方々であるが、この頃少し分かってきたような気のするシベリウスに惹かれてこちらに。

 

楽団名は指揮者が学んだハンガリーにちなんで付けられたそうだ。ハンガリー語でエトは5、ゼネカーはオーケストラを指しており、5回にわたって交響曲第5番を演奏するというこの楽団のコンセプトを指しているとのこと。

 

客席の2階部分は閉め切られており、1階だけの入りは3割くらいだったように見えた。団員の皆さんには申し訳ないが、こういう入りの悪い演奏会では意外にも素晴らしい演奏を堪能できることが多い、という印象を私は持っていて、密かに期待した。

 

1812年が始まると、室内楽風の序奏(ヴィオラ・チェロの重奏による)の豊かな響きと表現に触れたとたんに、「おー、これはいい演奏会になりそうだ。」と確信。そしてこの予感は当たっていた。

1812年ではオーケストラのバランスの良さと、曲の聞こえるべき声部がちゃんと聞こえてくる幸せにすっかり嬉しくなった。クライマックスには2階席両端からバンダが加わったが、これは意外にも本体と分かれては聞こえず、やや物足りなかった。大砲代わりに舞台両端に置かれた大太鼓がどれほど爆発するのか、と思いながら聴いたのだが、これは咆哮する金管全体ともども、高い高い天井の大きなホールが気持ちよく響かせてくれて快適だった。

 

シベリウスはやはり私には難しかった。この頃度々アマオケで聴くようになっているけど、それでもまだ良く感じたり感じなかったりしている。今日の収穫は演奏が上手だったので私でも集中して聴けたこと。しかしどうにも筋書きが掴めない。そして急にコーダに入りはっきり終わる感じ。どうして急にあんな大音量にするのだろう。

 

「展覧会の絵」(ラベル編)は私が滅多に聴きに行かないプログラム。前回これを聴いた別のアマオケではトランペットの長いソロがメロメロだったので、今回はどうかなあと思っていたのだが、この夜の演奏はそういう破綻が無くて驚いた。全体的に見ても聴きごたえのある演奏だったから、私がこれまで持っていた曲に対する印象を大きく改善してくれた。ありがたい。

 

どういう方々が集まって成り立った団体なのか、に付いての情報はプログラムにもウェブページにも書かれていなかった。