オレはこう思う -2ページ目

大分から南九州


九州巡り



中津城



中津市
福沢諭吉旧居跡




豊後高田


豊後高田
昭和の町




国東市内




国東市
黒津崎古墳跡




杵築城





杵築市





別府タワー





大分駅前




城下町 臼杵市


臼杵城跡




津久見
港と工場



津久見駅前
大友宗麟像






佐伯市


佐伯城跡

すぐ前に佐伯鶴城高校





佐伯市
大きな工場



釣りバカ日誌のロケ地が見える  




日向市駅前





高鍋大師



宮崎護国神社



都城







日南市
飫肥城跡



小村寿太郎記念館
飫肥城跡前にある





日南市
城下町 伝統的建造物保存地区




日南市
油津港



油津港
鯨魂碑





串間市




志布志市にある公園
保存されている電車






鹿屋市
アーケード街だが廃れている







鹿屋市 自衛隊
航空基地史料館









桜島口
垂水市側



霧島市
隼人駅前




隼人駅前




姶良市





鹿児島市
ラーメンフェス





鹿児島市
日本たばこ工場跡





鹿児島県警
川路大警視像




指宿市





枕崎市



南さつま市
万世特攻平和祈念館





薩摩川内市




阿久根市





出水市




出水市
武家屋敷群





八代城跡



八代市街


九州巡りはまだまだ続く
熊本北部から長崎、佐賀、福岡の写真は後日









国立能楽堂
2月
久しぶりに能楽、狂言を観てきた。




国立能楽堂で売られていた伊勢あんもなか

撃墜王 小林照彦





調布のホールにて、ヘヴニーズのLIVEをみてきました。調布、彼らの拠点です。
調布の南口は再開発で昔とはだいぶ変わった印象です。


今回も素晴らしい話
撃墜王、調布第ニ四四戦隊、小林照彦少佐の物語
大東亜戦争、空からの突撃と言ったら、真っ先に零戦を連想するところだが、調布には3式戦闘機で地上1000メートルを飛ぶ米軍機相手に体当たりし多数撃破しながら、無傷で帰ってきていた精鋭。


戦後は佐賀板紙でサラリーマンとして再出発しながら、侍魂は失わず。
戦後、GHQにも臆せず日本にも防衛軍を!とアメリカ大使に手紙を送り、その熱意に感銘を受けた大使から返事が。
そして小林の願い通り、航空自衛隊が創設されたという。しかし、残念ながら彼は航空機のエンジン故障の事故によって亡くなってしまいました。だが、民間人の犠牲は出さないようにと、誰もいない所に堕ちて最期を遂げたといいます。
妻、千恵子さんは夫が無事であるように、昭和20年に亡くなった息子さんにも救いを求める思いだったが、残念なことに、

昭和52年、民間人を死なせながらも自分達だけは脱出し、Vサインをしていた米軍人がいたが、それとは正反対。

調布といえば、ゲゲゲの鬼太郎、深大寺、近藤勇などが有名だが、近代史の重要な跡である掩体壕があることも忘れてはならない。




筆者は約10年前にここを訪れブログ記事にしていたが、現地の説明板には小林に関する説明はなかった。



 妻、千恵子さんの回想録

 

小林は調布グリーンホールからも歩いていける場所に住んでいたといいます。

お墓は多磨霊園に。






小林照彦

画像はWikipediaより





運転の途中で通り掛かった神社、歴史跡の写真









ヨックモックミュージアム






























小栗上野介忠順



小栗上野介忠順

日本近代化の先駆者


10/26にマレさん率いるheaveneseのライブを見てきました。
このライブでは、主に素晴らしき日本の先人のお話を聞くのですが、今回もまた素晴らしい話を聞くことができました。
いつもsold outとなるため、早めにチケットを手に入れなければなりません。

アメリカと初めに交渉したのは岩倉使節団ではない。
じつはこれは大したものではなかった。
アメリカに大歓迎を受けて渡米した小栗上野介忠順ら、万延遣米使節団が初なのである。実はこちらこそが日本初の公式訪問だった。
日本近代化は小栗なくしては有り得なかった。
第二次大戦ではアメリカが恐れた男といったら石原莞爾が思い浮かぶのだが、しかし、日本への多大な功績、貢献度といったら小栗には全く及びもしない。

幕末、アメリカが最も恐れた男。小栗上野介忠順
技術、算術
はじめは日本を舐めてかかっていたアメリカを、小栗がギャフンと云わしめた。
彼の算盤による計算の速さ。
日本の算盤は名人が操れば、電卓にも負けない。
筆者は小学生の時に算盤を習っていたが、その時同じ教室に中学生の段位の人がいて、暗算で難しい計算をやってしまうのだから驚いた。算盤名人の頭の中には算盤がそのまま映像として浮かびます。
きっと小栗の頭脳もそうだったのだろう。

日本初の株式会社を設立したのは、渋沢ではなく小栗だった。
小栗なくして、日露戦争の勝利は無かった。
東郷平八郎が崇めた男。
明治維新、それは薩長の手柄のように語られているが、実は小栗の功績を新政府が横取りしたようなもの。
新政府にとって都合の悪い存在だった小栗は、罪なき罪で処刑されたのである。
歴史は勝者によって作られるとはよく言ったもので、幕末から明治の歴史もそうだったことになる。

余談 坂本龍馬
靖国にも祀られている歴史上の偉人として有名だが、実際どれだけ国のために貢献したのかは、不明確な部分も多く、日本史における謎の人物の1人である。


余談
配達の仕事をしていると、弁当の配達を請け負うこともある。注文するお客さんは上質な弁当だと思って取るのだろうが、実際その店に商品を受け取りに行くと、中にはゴキブリが出てもおかしくなさそうな汚え店舗もある。勿論それは一部ではあるが、たまたまそうした店のものを知らずに注文してしまうことも有り得る。
こうした店の弁当に一人前千数百円を払う気にはなれない。
なので筆者はそれを知ってるので、自分が弁当を頼むときは有名店か、予めGoogleで店舗の外観を確認してから頼むことにしている。











小栗の里
小栗まつり
高崎






以上、YouTubeより




 

 







小栗上野介生誕の地

東京YMCA会館前


甲賀通り沿い




甲賀通り







法政大学発祥の地


明大通り沿い






築地










埼玉から見た富士山

日曜日の晴天の朝、富士山が見えたので速攻で撮影





往年のヒット歌手が立て続けにお亡くなりに


谷村新司 昴


もんたよしのり ダンシングオールナイト


大橋純子 シルエットロマンス


KAN  愛は勝つ