黄金週間 前半 三日目 | パーマン三号のブログ

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黄金週間三日目

本日は朝早くから日の出を見に行きます。

【大洗磯前神社 神磯の鳥居】

4:33分に到着、本日の日の出は4:48です。

幸い天気がいいのでバッチリ海から上がって来るのがみえそうです。

でも、朝早くから同じように日の出を見に来ている人が結構いました。

ドローンまで投入している若者も。





この場合に神様が降り立ったと言われているだけあって、浜への立ち入りは禁止です…が、いい写真を取りたいために何人か浜辺へ降りていました。

もし素晴らしい写真が取れたとしても、価値なしと思うのは自分だけでしょうか。

いい朝日を見れて幸先よいです。









【いちの湯】
6:00に到着、6:30分に入湯。

朝風呂はなんといっても気持ちいいです、それも銭湯がいいですね。

命のいちの湯。

小原庄助さんは朝寝と朝風呂が好きだったそうですが、2つは両立しないと思うんですが。



【吉田神社】
8:18に到着。

朝日、朝風呂、朝神社…が大好きです♪

ここは三ノ宮、歴史を感じる御神木がたくさんあります。

黄門様直々に手植えされた笹がありました。







この笹を左手で結ぶと良縁に巡り会えるとか…アタックしょうとしましたが、既に笹の葉は手の届く範囲全て結すばれていました。

今の御縁を大切に…という意味でしょうか。

【六地蔵寺】
ここは胎内巡りがあると知って訪れましたが、ちょっとしたトンネルでした。







でも境内はきれいに掃除されていて、駐車場も広かったです。





それもそのはず、ここは徳川家の菩提寺だったのです!

境内には【水戸大師】のお堂がありました。


広さはそれほどでもありませんが、ちょっとした庭園風なこしらえになっていて、格式を感じるお寺さんでした。

【手接神社】(てつぎ)
ここは日本で唯一?河童を祀る神社だそうです。

河童をお祀りしているところは他にもありますが、主祭神としてお祀りしているという意味だと思います。

そして近くの川には「河童死骸漂流の地」という場所があります。








『カッパの伝説』

むかしむかし、この地は芹沢隠岐守俊幹という殿様が治めていました。

ある日、俊幹が愛馬と梶無川の岸を散歩をしていると、突然馬が足をふんばって進みません。おかしいと思って見てみると、つる草のような髪をふりみだして馬の尻尾を引っ張る河童がいます。俊幹はすぐに刀を抜くと、尻尾をつかむ河童の手を一刀両断。そして尻尾を掴んだままの手を館に持って帰りました。

その夜、俊幹の枕元に昼間の河童が現れ、涙ながらに訴えました。「わたしは梶無川に棲む七郎河童です。昼間は殿様の馬にいたずらをしてしまい、手を失いました。とても反省しています。ただ、心配なのは年老いた母のことです。このままでは泳ぐことも魚をとることもできません。どうか手をお返しいただけないでしょうか。手はつなぐことができます。もし、お返しいただけるなら毎日魚を届けにきます。そして、先祖から伝わる秘伝の薬の作り方をお教えします。」俊幹は母を思う河童の心に免じて「もう悪いことはしないように」と言って、手を返してあげました。

河童は約束を守り、薬の秘法ときりすね等を俊幹に伝えました。そして、翌日から毎日2匹の魚が館に届けられるようになりました。魚は館の梅の木にかけられたのでこの木は魚掛梅と呼ばれました。

それから数年経ったある日。いつも届けられるはずの魚がありませんでした。翌日、河童を心配した俊幹が川に行くと、河童が泡を吹いて死んでいるではありませんか。哀れに思った俊幹が祈ると、河童の遺体は川上へと逆流していきました。

そして、遺体が川上の与沢に流れ着くと、それを見つけた芹沢家の家臣は俊幹に報告し、その場所に小さな祠を建てました。祠は手接明神と呼ばれ人々に大切にされました。やがて祠は場所を移して手接神社となりました。


と言うお話しです。

…が

その「河童死骸漂流の地」へ行くと同じような内容の看板が立っていました。

読みと若干ストーリーが違っているのです。

「…出来ごころの過ちを詫びたカッパは秘伝の薬や川魚を届けて、ご恩報じをしましたものの、返却まで時間がたってしまったため治療は失敗、可哀想にもカッパは死んでしまいました」

神社にある説明では、河童の死因には触れられておらず、ただ泡を吹いて死んでいた、となっています。

また神社の御祭神は「罔象女命」という女神なのに、境内の銅像の河童は◯ちんちんがついているのです。







この疑問を素直にプレハブにいた「世話人」さんに伺ったところ…わからないとのことでしたw

ちなみに、御朱印と御札、殿様が河童より授かったとされる「きりすね」(紐)をいただきました。
実際に手の腱鞘炎が治り、お礼を言いに来た方もいるとかいないとか。

この「きりすね」は傷一般を治すとされています。

本堂よこには手袋がたくさん奉納されていて、手に関する病にもご利益があるそうです。

しかし「手接」と書いて「てつぎ」とはうまく読んだもので、実は「てせつ」と読んでいて、漢字も「手切」だったのではないか、というのはうがった見かたでしょうか。

故意なのか、はたまた記憶違いなのか、色々となぞの残ったカッパ神社伝説でした。





【耳守神社】
こちらも日本一を謳っている神社です。

・耳守神社は日本で唯一の耳の病に御利益があると云われている神社である。

・由来は平安の昔、五郎左衛門兼忠の娘、千代姫によるものとされています。生まれてから7年たっても耳が聞こえない千代姫を案じ、両親が一心に神様へ願掛けをしたところ願いが叶い、とうとう耳が聞こえるようになったとか。

その後、千代姫は33歳で病に倒れ亡くなります。そのいまわの際で残した「自分の死後、社を立ててほしい。そこで私は耳の病の人たちを助けますから」との遺言に従い建立されたのが、この耳守神社だそうです。

時は流れ現代になっても「耳が良く通る」ようにと、各地から人が訪れ、竹筒を奉納するそうです。

町外れにもかかわらず、自分が参拝したあとすぐに他の人が訪れてきました。

とても偶然とか、通りがかりとかで寄れるような神社ではなく、見過てしまうほど小さな神社です。

よほど御神徳があるのだと思います。











【長福寺】
お寺さん自体は廃寺になっていますが、ここの椎の木が霊木です。

周りは田畑ばかりのこの場所だけ、特別神聖な感じです。

でも、これほど長生きして、まわりはどんどん変わっていって、知り合いもいなくなり、寂しくないのでしょうか。

浦島太郎のような霊木でした。










【男神神社】
そんな想像をしてしまいましたが、単なる鹿島神社でした。

【牛渡鹿島神社】
こちらは毎年5月5日に牛渡鹿島神社で開催される奇祭がたります。

奇祭、へいさんぼう(平三坊)は生殖信仰に基づく五穀豊穣を願う御田植神事である。

平三坊は籠の中に入っていた大きな男根を取り出し、股間にそれをあてがい練り歩き出す。

子供の日にやる所が意味があるのでしょう。

子供の日とは、子供をつくる日だからです。

神社としては森の中にあってとても落ち着く神社でした。







【牛渡牛塚古墳】
常陸国府に下向途中、この地で亡くなった勅使を慕って泳いできた牛が力つきてこの地で亡くなり、土地の人々がこれに感動して塚をつくり牛塚と名付けたという伝説があります。

五世紀に築いたものと推定されています。

【崎浜牡蠣化石床・横穴古墳群】
出島半島南岸の崎浜・川尻地区では、約7千~6千年前の縄文海進時に形成された侵食崖がよく発達する。

この崖には、約13万~12万年前の古東京湾形成時のカキ化石床が露出する。

牡蠣の化石がすごい数あった。







【水神社】

「鳥居が海側にあって社は陸にあります。鳥居は朽ちてますが何とか立ってる感じです」

とコメントがありました。

霞ヶ浦にはいくつも水神社がありますが、海をバックに鳥居が撮れたらとれたらと思ったのですが、今は既に鳥居はなく、お社もわかりません。







【神龍寺】
・境内にある如意輪観音像は胸に十字の浮彫りがあり、通称、マリア観音と呼ばれています。

観音様は見つかりましたが、どうやら違うようなので社務所の方に聞いたら、なかなかわかりにくい場所にありました。

何故そんなわかりにくい場所にあるのか聞きましたが、はっきりとした答えはいただけませんでした。

キリシタンなるが故に隠れて信仰しなければならなかった名残なのでしょうか。

【大杉神社】
古風な感じの神社をイメージしていったら、台湾の神社みたいに極彩色の神社でした。

実は目的はここてはなく、隣の【安穏寺】だったのどですが、大杉神社とうってかわってひとっこひとりいません。

境内を歩いて行けるというのに。

そして寺務所もわかりませんでした。

でもいいのです、このお寺さんの飛び地が目的なのですから。











【大杉神社、安穏寺供養塔】
実は「外八海」のなかに霞ヶ浦かあり、その龍神がこの供養塔だと言われているのです。

そこは【阿波水辺公園】の中にあります。

この公園も上からみると、天狗の横顔になるように作られています。

いよいよ霞ヶ浦の龍神様二お目見えです。

龍神の名前は「要之龍神」外八海の八番霊場です。

大木の根元に龍神様はいました。







三泊の長旅の最後にお会いできたことは感激です。

そしてこの後のゴールデンウィークの後半には「内八海」を回るので、そのことも告げて帰りました。


長々とお読みいただきありがとうございました。

《訪問先》

一日目
【村檜神社】むらひ

★九福夢獏神巡り★
【家中鷲宮神社】
【薬師八幡】
【白鷺神社】
【大前神社】(おおさき)
【益子鹿島神社】新
【下野星宮神社】
【磐裂根裂神社】(いわさくねさく)
【蒲生神社】
【栃木県護国神社】
【岩戸別神社】旧

二日目
【鷲子山上神社】
【袋田の滝】
【御前岩】

★八溝七福神巡り★
【毘沙門天 三光寺(さんこうじ)】
【布袋尊 不動院(ふどういん)】
【恵比須 明王寺(みょうおうじ)】
【寿老尊 威徳院(いとくいん)】
【大黒天 法輪寺(ほうりんじ)光丸山】
【弁財天 光照寺(こうしょうじ)】
【福禄寿 乾徳寺(けんとくじ)】

★日立五社
【御岩神社】
【大甕神社】(おおみか)
【泉神社】
【酒列磯前神社】
【大洗磯前神社】

三日目
【六地蔵寺】
【常陸第三宮 吉田神社】
【カッパ死骸漂流の地】
【手接神社】
【耳守神社】
【与沢の経塚】
【出島の椎】
【男神神社】
【牛渡鹿島神社】
【牛渡牛渡古墳】
【崎浜牡蠣化石床・横穴古墳群】
【水神社】
【神龍寺】
【須賀神社】
【龍華山安隠寺】
【大杉神社(あんばさま)】
【阿波水辺公園】
【大杉神社供養(弁天、龍像)】

            以上