黄金週間 前半 二日目 | パーマン三号のブログ

パーマン三号のブログ

ブログの説明を入力します。




黄金週間二日目

本日初っ端は「八溝七福神巡り」です。

《八溝七福神》について

【毘沙門天 三光寺】
【布袋尊 不動院】
【恵比須 明王寺】
【寿老尊 威徳院】
【大黒天 法輪寺 光丸山】
【弁財天 光照寺】
【福禄寿 乾徳寺】

車中泊は、家よりぐっすり眠れました。

本日は朝の6時に最初の三光寺さんへ参拝です。

【三光寺】
お寺さんもいえど、門がなくお墓もありません。







ここ那須の歴史は

『現在の那須町には黒羽藩領、参勤交代を行う旗本「交代寄合」だった芦野氏の支配地、幕府の直轄地(天領)が存在した。1889年の町村制施行により、芦野町、伊王野村、那須村が誕生した』

「交代寄合」とは参勤交代を行う義務のある石高以下でも参勤交代をした地域をいいます。

そしてここ「三光寺」さんも幕府直轄のお寺として待遇され、檀家を持たないお寺さんとのことでした(ご住職談)

朝の6時に着いて一通り参拝した後、たまたまご住職とはち合わせして、その後一時間ほどお話を伺いました。

「私で64代目ですが、今となってはお寺を維持するための檀家さんがいないので、引き継ぐものがいないのです」

と話していました。

数々の国や県の価値ある文化遺産を所有しながらも、お寺さんの厳しい現実を聞かされました。

「最近あった那須の事件はすぐそこだよ」

………そう言われても。

三光寺さんの御本尊は「歓喜天」、そしてここは、「浅草の待乳山聖天」、「奈良の生駒聖天」、そして三つめがこの三光寺で「日本三大聖天」と言われています(諸説あり)

大根を交差した寺紋でした。

そしてはじめて七福神巡りの「納経」なる御札をいただきました。





この「納経」があるのは、ここと一番最後のお寺さんだけと言うことです。

参拝した回数によって御札の色が別れていて、はじめの3回は「白」です。

「納経」とは参拝したお寺さんに参拝した証として納める御札です。

また

浅草の待乳山聖天は江戸時代「娘の拝む神でなし」と言われていました。

それは寺紋の大根は実は男根の象徴で、御本尊の歓喜天は男女の神様が抱き合ったお姿だからです。

待乳山聖天が遊郭の入口にあったせいもあるのかもしれませんが、ここ三光寺さんもさぞや凄いお宝があるのでは?

と思っていましたが、ご住職はいたって真面目な方で、秘仏のことは一切聞けませんでした。

ただ

縁日が旧暦正月と7月の20日にあります(現在は2月20日と8月19日)

俗に「べべ聖天」とも伝えられ、男女の出会いの場として、縁日は近郷近在からの参拝者で賑わったそうです。

歓喜天を祀るお寺さんのお祭りならではのことだったのでしょう、今のようにSNSがなかった時代のお話です。


三大聖天の諸説あるなかに「妻沼聖天山」を入れることがありますが、妻沼聖天の秘仏は普段は拝見できませんが、不定期に「ご開帳」はされているようです。

もしやこちらは…と思ってはいますが、過去のご開帳をしらべたら、最後のご開帳が平成31年(2019年)でその前は平成8年なので、この間隔だと、ご開帳されたとしてもたぶん目にすることはないでしょう。

三光寺の天井画は一見の価値ありですし、ご住職の楽しい世間話は一聴の価値ありです。

七福神の色紙と朱印、納経札と御守りをいただきました。

【不動院】
このお寺さんのうらには、縄文時代中期の遺跡(不動院裏遺跡)があり、深鉢など多数の土器が出土しているそうです。

さっそく本堂裏に回り込みましたが、一面の畑、田んぼ…それらしき看板もありません。

ご住職に伺うと

「毎回田畑を耕すとき、土器の破片が出てくるから、見つけたら持って帰っていいよ」

と言われました。









土器が出土しても今でも普通に田畑として作物を植え、刈り取っているそうです。

そんなこともあるんだなぁ〜、と思いながら、ちょうど田植え前の土を掘り返した畑を探索にいきました。

とはいえ、流石に中まで足を踏み入れることはためらいしました。

グルリと田畑を回っていると、これから仕事にかかるのかひとりの「姐さん」に会いました。

https://youtu.be/KHYoXELKElc?si=SUlRWOtrbBbjjODD
です

色々話していると、なんとここの畑の持ち主ではないですか!

勝手に入って探していいなんて、ご住職のくちぶりからてっきり寺の所有地だと思っていました。

姐さんから、田畑の作り方や国の補助金のこと、家族のことなどしばらく話して別れました。

栃木県の人は本当におおらかで人懐っこい人たちだと感じました。

色紙に朱印と納経札を納めさせていただきました。

【明王寺】
ここまでて時間はすでに8時30分をまわり、そろそろ各寺の社務所も開く時間となりました。

寺門の前には小僧さんの石像がお出迎え、台座に彫られていた言葉







「人が生を受けるは難く、やがて死すべきものの、今ある命はありがたし」(法句経)

https://youtu.be/u0BzYErDC-Q?si=OWjcWnULT04Az_-6

これからも体と心が丈夫なうちは、寺社活続けて行きたいと改めて思いました。

本堂のなかにある屏風と衝立てに、立派な龍神が描かれていました。

色紙に朱印と納経札を納めさせていただきました。

【寿老尊 威徳院】
本堂はつい最近出来たばかりの眩しい木目をしていました。

その前に「傘堂」がありました。





「傘堂」とは傘のような形をしているからそう呼ばれています。

「前立ち本尊」の虚空菩薩様かと思って近づいたら、観音様が祀られていました。

この観音様は「夢達観音」と言うそうです。

悪夢を良い夢に変えてくれる力があると信者たちに信じられていたため、このような呼び名がついていて、法隆寺にも同じ観音様があるそうです。

前日まわった「九夢福獏神」が、こちらでは観音様としてお出迎え下さったのだと理解しました。

色紙に朱印と納経札を納めさせていただきました。

【法輪寺 光丸山】
ここは日本一の天狗の面が有ります。





また神仏混淆の流れが色濃く残り、鳥居がある全国でも珍しい寺院です、とのことでしたが、鳥居が見つかりませんでした。

後で調べたら、横の川に鳥居が流れに沿って立っていました。

つまり川が参道になっているので、人が通るのではなく、神様の通り道なのです。

境内奥の「勅額門」をくぐるとそこには幽玄な庭園が広がり西行桜が見られます。

自分がいった時には既に散ってしまっていましたが、その盛りを想像して見るのも一興でした。

人が想像する美しさ以上の美しいものはないのですから。





荒々しい天狗様からこの西行桜へのコースは、まるで一生か一年の四季を巡るような感覚になりました。

https://youtu.be/x1peLrJoOJc?si=Oo6ffCeBJlDsgb8d

色紙に朱印と納経札を納めさせていただきました。

【光照寺】
ボケ封じ観音様や手水舎の立ち龍神は見ごたえありました。







弁天堂には3体の弁天様と蛇石が奉納されていました。

色紙に朱印と納経札を納めさせていただきました。

【乾徳寺】
七福神最後のお寺さんになります。

駐車場に車を停めると、まわりにズラリと観音像があります。









なかでも打ち出の小槌を持った観音様はめずらしく、いかにも金運アップしてくれそうでした。



福禄寿の像が早速出迎えてくれましたが、よく寿老尊と間違ってしまいそうですが、前回書いた歌川芳勝の「神使」に書いたように、福禄寿は鶴、寿老尊は鹿がついています。

今回は長い首をした鶴さんが側にいました。



色紙に朱印と納経札を納めさせていただきました。

ここからは色々とまわります。

【奇石 御前岩】
この後「御岩神社」へ廻りますが、その「前に」御前岩を回りました。

祀られているのは「岩姫大明神」です。

駐車場を回り込んだ場所に「御神体」があるそうですが、竹やぶがあり視界を遮っています。

この竹やぶには名前があって、その名も「腰巻き竹やぶ」?





奇石信仰はたくさんありますが、ここは三光寺と同じく「娘の拝む神でなし」なのです。

お見事としか言えない女神のお岩でした。

自然って不思議です。





【鷲小山神社】
御前岩より30分ほど車を走らせた山の中にある神社です。

駐車場からすぐ参道となり、脇には「フクロウ」の石像がたくさんあります。

「フクロウ」は「不苦労」と言われます。

不苦労の福があります。









極めつけは超巨大な金のフクロウの像で、御神木の上にありました。





境内は茨城県と栃木県の県境があります。

つまり

「不苦労」は気の持ちよう、気が変われば「福」になる、という意味でしょうか。

同じ「キ」でも「城」から「木」に変わりますw

また今年の辰年のゴールデンウィークは「阿吽の大龍御開帳」を行いますが、明後日からということで見ることができませんでした。

境内の奥には奥の院があり、山門の正面には随身像が裏面には仁王像があり、廃仏毀釈の時に一旦仁王像は取り外されたそうですが、輸送中の事故が重なり、祟ではないか、ということで戻されたいわくつきの仁王像です。

昔の人は賢かったんですね。

御神木が見事でした。

【袋田の滝】
日本三名瀑のひとつに数えられる「袋田の滝」は、高さ120m・幅73mの大きさを誇ります。



滝の流れが大岩壁を四段に落下することから、別名「四度の滝」とも呼ばれ、その昔、西行法師がこの地を訪れた際、「四季に一度ずつ来てみなければ真の風趣味わえない」と絶賛したことからとも伝えられています。

確かに大きい滝でしたが、水量がいまいちで、前回訪れた龍王峡の滝のほうが間近で見れたこともあって迫力がありました。

今回はエレベーターで滝の上に行きます。





滝のへ向うエレベーター脇に「四度滝不動尊」が祀られています。

昔はすぐ滝の横の直角の崖にある祠に祀られていたそうですが、20年前にこちらへ移したそうです。

つまり20年前には滝のすぐ脇まで行けたということです。

海外の人がたくさん来ていました。

【御岩神社】
今回、どうしても訪れたかった神社です。

縄文晩期の祭祀遺跡の発掘や、日本最古の書の1つ「常陸國風土記」(721年)に「浄らかな山かびれの高峰(御岩山の古称)に天つ神鎮まる」とされる事から、古代より信仰の聖地であった事が窺えます。

御祭神は国之常立神 大国主神 伊邪那岐神 伊邪那美神 大山祗神 ほか20柱御岩山総祭神188柱を祀り、中世には山岳信仰とともに神仏混淆の霊場です。

明治維新によって神仏分離が実行され神社として純粋な形を保つため、大日堂、観音堂、念仏堂、大仁王門など取払われたが、境内の遺跡、祭りの内容などは今日でも他の神社と違った昔の名残を伝えている。

とても「仏教色」が強く、珍しい後生車(菩提車)もあります。











説明には

「中の車を上へまわすと現生の願い、下にまわすと後生の願いが叶うと伝えられています」

とあります。

また神社にもかかわらず、仁王像や阿弥陀堂などもありました。

また

御岩神社の裏手、社殿に向かって左奥、表参道へ入るあたりに、ひっそり八大龍王神の剣がそびえていて、うっかり見逃しがちですが、とてつもなくパワーありそうです。

本殿うらには神山・かびれ山(御岩山)があり、往復1時間かかるそうですが、入山時間は15時までなので登る際は気をつけてください。

そして何と言ってもこの御岩神社は、宇宙船から夜でも光って見えるそうです。

最後に気づいたことは、この御岩神社を訪れた最初からずっと、鳥やカエルの声が一切聞こえないことです。

やはり特別神聖な場所なのだと感じました。











【泉神社】
泉が森の中にある龍の住む神社、そんな印象をうける神社です。

実際に透き通った水が淡いブルーの池のそこから今でもかなりの量、湧いています。





水源は泉が森の山だということらしいですが、なんとも神秘的です。

言い伝えによると

雨乞いの祭をしたところ、天から人間の頭ほどの水晶玉が降ってきて、落ちた場所から泉が出た

そうです。

近くには、泉龍木(せんりゅうぼく)と言われる龍の形をした枯木があります。

見る角度によって表情がかわり、まるで生きているようでした。







【大甕神社】(おおみか)
既に17時をまわりましたが、まだ明るいのでいけます。







・主祭神 - 建葉槌命(たけはづちのみこと)
・地主神 - 甕星香々背男(みかぼしかがせお)
・星と龍を祀る
・マツコのテレビで紹介
・笑う龍

本殿にある「笑う龍」は角度によるそうで、何度も何度も時間を忘れて試したのですが、納得のいくまでは行きませんでした。

【酒列磯前神社】
・御祭神:少彦名命 配祀神:大名持命

・酒列磯前神社、その歴史は古く平安時代からと云われています。
病気平癒、健康長寿、醸造発展温泉の神に深く関わっており古来より地元のみなさまに愛されてまいりました。

・高額当選された方が当神社に縁起の良い亀石象を奉納されました。神社にお参りして、亀石象に触ると御利益があると評判になり、 大安日には大にぎわいになっています。当選を祈念いたします。

宝くじを買う予定はありませんが、とりあえず亀さんに触ってきました。

境内で猫ちゃん発見!

もうあと一社、頑張ろう!





【大洗磯前神社】
既に時刻は18時に近く、軽く参拝を済ませて車に戻って来た時はかなり暗かったです。

このまま車中泊しょうか、と思いましたが、その時「腹の虫の知らせ」で朝バナナを食べただけだったのを思いだし、近くのスーパーで買い物をして道の駅へいきました。

ここの神社は「神が降り立った岩」が海にあるので、明日の朝に岩の鳥居から朝日があがるのを見にまた戻ってきます。

以上、御岩神社から五つの神社はとびきり素晴らしい神社なので、「日立必拝五社」と呼ばせていただきます。

ちなみに、ゴールデンウィークなので道の駅の車中泊の車が混雑するかもしれないと思ったら、ガラガラでした。

家族旅行ならば、やはりホテルでしょうから。

おやすみなさい