黄金週間 後半 前説 | パーマン三号のブログ

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連休後半、いよいよ内八海をまわります。

楽しみ〜♪

前回忍野八海をまわった時、八海ではなく十海なのを知りました。

加わった二湖は、忍野八海にある売店が人口的にこしらえたものでした。

それも忍野八海のある場所のど真ん中に混じってあります。

実に「本物」っぽいので、何も予備知識がなければ、これがの忍野八海か、と見間違うでしょう。

確かに二湖だけ離れていないでもないですが…

死ぬまで誤解していたらそれはそれで「幸せ」もいうものがしれません。

そして実は

なんと

今回の内八海も十海あったのです!

https://youtu.be/eTx5DX_8nro?si=A_yEJhXS-O5yZpJk
懐かし


もう、いっそのこと

「日ユ同湖十海巡り」にしよう!

八大龍王は何処にいるんやぁ〜。

https://youtu.be/lvlb-X5Dtsk?si=-Kf6f-TTFCMWY8UC
カラオケあり〼

こちらのプラス二湖は、なにやら大人の事情のようで、諸説あり、お家騒動の類(たぐい)のようで、ある意味十湖全て「本物」です。

なので、十湖全てまわります。

そもそも「湖」なのに「海」って…。

https://youtu.be/VQkDvK6tO1w?si=UM7wsfeeX8WjCcng
今は闘病生活を送っているそうです。

https://youtu.be/KZUeV9O2ui4?si=gT5k5j5c2iqlPr9z
最近いよいよ復活ですね


実は、前半にまわった「九夢福獏神巡り」も途中から入れ替わった関係で、「十夢福獏神」でした。

まぁ、減るより増えたほうがお得だからいいけど。

また

今回の柱は、「内八海」ともうひとつは「窟」です。

窟は、洞窟、氷穴、胎内窟に水琴窟、色々なタイプの「窟」をまわりたいと思います。

でも「退屈」はありません。


ここで「窟」についての考察です。

「窟」は「穴」に「屈」が合わさったもので、「穴で屈む(かがむ)」ようなイメージですね。

これが定説です。

しかし

「屈」は元々「尾」と「出」の象形文字が組み合わさったものらしいです。

「尾」は「尻」から「毛」のようなものが出ている状態で、つまり「しっぽ(尻尾)」です。

これは「男性器」とも考えられます。

はじめに戻って「屈」はつまり

「屈」=「尾」+「出」は「男性器を出している状態」だと言うことになります。

そして「窟」は「穴」と「男性器を出している状態」だと言うことになります。

なんだコレ?

「穴」を「女性器」だとすれば、「屈」は「男性器」となり、まさに「窟」は「生命の根源」、「陰陽の完全体、合体」と言うことになります…よね。

https://youtu.be/4jSh58n2y1Q?si=0pPmOeFkblXei538

実際、今回訪れる「御胎内清宏園」、いわゆる「胎内窟」は、男性(父)と女性(母)に別れています。

そして「胎内窟」をくぐり抜けると、「生まれ変わる」とも言われています。

前回「御胎内清宏園」を訪れた時、洞窟が細くなっている場所、いわゆる「膣」の部分で無数のオーブを見たのは、「生まれてきた魂」だったのでしょう。

こうやって「もっともらしく」語っていますが…

私の体は「ワイン」でできている。

ではなく、

私の体は「ギャグ」でできています。

https://youtu.be/WS3_GjRnBiE?si=ZZxXEV1zYgIg171m


ところで

最近気になることを小耳に挟みました。

「鬼太郎の本当の主人公はネズミ男?」

初期の鬼太郎は、今のような「正義の味方」というよりももっと「ダーク」なイメージが強かったのです。

少年漫画雑誌に連載されるようになると、編集部の意向で「正義の味方」として描かれるようになりました。

それに不満を抱いた水木しげるさんは、「ダーク」な部分を「ネズミ男」として独立したキャラを作り上げました。

そもそも何故鬼太郎をダークなイメージで描いていたかというと、ご自身の戦争体験がそうさせたらしいのです。


国家が「ひとつ」になって戦争をするにはまず「思想統制」が必須で、疑問を挟んだり、違う意見は全て「反逆者」のレッテルを貼られます。

一兵卒だった水木しげるさんは、心に矛盾を感じながらも戦争をせざるを得ませんでした。

そして敗戦してみれば、日本は焼け野原、今まで教えてこられたことも全て「うそっぱち」

いかに「思想統制」が恐ろしいことか、それを漫画にするために、鬼太郎を「ダーク」な部分をもった「グレーなキャラ」にしたようです。


本当はネズミ男のように汚らしくて、ずる賢い、それが人間の本性かもしれません。

そんなネズミ男と付かず離れず、ネズミ男を成敗もせずに仲間でいる鬼太郎は、ある意味「滑稽」でもあります。

例えていえば、大◯選手が◯谷通訳を「知っていて」関係を続けるようなものです(たぶん)


また、同じような設定が「斉木楠雄のΨ難」にもあります。

人の心が読める主人公は、可愛い女の子の心の中は計算高い自己中な人間であることが、手に取るようにわかってしまうのです。

漫画では、見た目に騙され心まで可愛いと思ってしまう事の危険を警告しています。

先日も「頂き女子りりちゃん」に懲役9年の実刑判決がでました。

外見にだまされました、と漫画で笑ってすまないような事件がついに起きてしまっているのです。

これからはいっそのこと

美しいもの、可愛らしいものは悪、と教育しなければならない時代になったのかもしれしれません。


「多様性」と言いながら、「言論統制」をしているような現実のなか、「まともな事」「普通に思える事」こそが、もっと気をつけるべきことのように感じます。

高嶺の花がぺんぺん草だったり、ぺんぺん草がやはりぺんぺん草だったり、世の中は勘違いでできているんですね。

勘違いといえば…

カラオケオフ会でよく

「面白い歌を真面目に歌う」のが凄いと言われます。

自分的には

「本当のことを真面目に歌う人間」だと思っていますし、「うそっぱちを真面目に歌う人」のほうがよほど凄いと感じてしまうのですが…

おっと、初期の鬼太郎を考えたからか、ギャグからダークな面がムクムクと出てきたのでこのくらいにします。