鬼怒川、宇都宮の旅 ① | パーマン三号のブログ

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「鬼は内、福は外」

川崎、千蔵院は「厄神鬼王(やくじんきおう)」という鬼さんが御本尊のお寺さんです。

そこではこのように言うのだそうです。

鬼子母神と同じように鬼さんを改心させて、良い鬼さんにするお寺さんだそうです。

何度か参拝にいきましたが、非公開のご祈祷は毎日行われているようで、偶然一度だけ見たことがあります。

鬼さんでもここの御本尊やナマハゲさまのような神さまに近い存在、そして角大師のような外見ではわからない鬼さんまで様々です。

今の御時世、どちらかが「絶対的な悪」とか「絶対的な善」と決められない世の中で、この鬼子母神のような物語や角大師のような物語が脚光を浴びているように思えます。


こぶとり爺さんの中の鬼さんも踊りの下手なお爺さんに瘤をつけますが、決して悪い鬼さんではありません。

こぶとり爺さんはいったいどんな教訓を教えようとしているのでしょうか。

諸説ありますが

踊りの上手いお爺さんにもう一度来て欲しいために、お爺さんに鬼さんが

「お前の一番大切なものは?」

と問うと

「目や鼻ならば取ってもいいが、こぶだけは自分にとって大切なものであって、それだけは取らないでほしい」

といったので

「ならば、とりあえず今度会うまで瘤を預かる」

と言って瘤をとったのです。

ここでは「大切なもの」がテーマで、お爺さんが「瘤が一番大切」と言って鬼さんを騙ましています。

普通ならば人間が鬼さんに騙されるはずなのに…

このお爺さんは「正直爺さん」ではなく「嘘つき爺さん(知恵ある爺さん)」で、鬼さんは少しも悪くありません。

次に

「正直爺さん」ではなく「陽気な爺さん」というキャラもありました。

その場合は瘤を同じく「かた」として預かる、というものでしたが、こちらは「大切なものはなんだ」との鬼さんの問いはなく、ただ預かることにする、と言うものです。

騙す、騙される、正直、嘘つき、などの言葉は出てきません。

このお話では、鬼さんの世界からしたら、「かた」として取るくらい瘤はとても大切なもの、と言うのは面白いです。

その後、隣の「陰気な爺さん」が来て下手な踊りを踊って、瘤をつけられて終わります。

ここでも鬼さんは「大切な瘤」を返しただけで、悪い鬼さんではありません。

説話的には、お爺さん側から「正直」対「噓つき」ではなく、「陽気」対「陰気」のお話となります。


倫理的な良し悪しならば、「正直」対「嘘つき」のほうがすっきりしていますが、「陽気」と「陰気」では、陰気なことは悪いことなのか?と言う疑問が残ります。

二つのお話では、何を教訓としているのかよくわかりませんでした。

しかしどちらにしても鬼さんは悪い鬼さんではありませんでした。


こぶとり爺さんの話は、鎌倉時代の説話集『宇治拾遺物語』に「鬼に瘤取らるる事」というタイトルで収録されています。

このような説話集では、物語の最後に作者の目線から見た教訓のようなひと言が挿入されることが多いのですが、本作の場合は「ものうらやみはせまじきことなりとか」という言葉で結ばれています。

現代語訳をすると、「人のことを羨んではいけないよ」ということになります。

また、今生きている世界と違う世界(鬼さんの世界)は、違う価値観なのだ、と言うことも述べていると思います。

違う世界では美しいとか醜いとか、正直とか嘘つきとかの価値観は違ってしまっているかもしれません。

だからこちら側からの解釈ではわからないこともある、と言うことかもしれません。

本日の横田南嶺老師の法話にも同じようなことをおっしゃられていました。
https://youtu.be/iv6ReAvkmxo?si=1Paz_kzQJjs8m0Iq


ところで

この世では何かというと勝ち負けを競い、「競争原理」が働いています。

しかし、違う世界の価値観では

競争から生まれてくる、「羨んだり」「恨んだり」「悔しがったり」のような心を持っていると、成仏できないそうです。

上に上がる時には、人間は「喜怒哀楽」の4つの感情のみ許されていて、その他の感情は持って行けないのだそうです。

持って上に上がれないとすれば、この世にとどまり幽霊となるしかありません。


ただし「怒り」の感情は持っていてもよいことになります。

だから

怒っている神樣も、鬼さんも怒っていいのです。


脈絡のない話でしたが結局、ここから本題

今回訪れる場所の「鬼怒川」には「鬼」と「怒」が入っています。

鬼さんが怒ってる川なんていかにも恐ろしい川のように思えますが、元々は鬼怒川のあたりは「毛野国(けぬのくに)」と呼ばれていたので、「鬼怒川」を「毛野川(けのがわ)」と呼んでいたらしいです。

また「絹川」や「衣川」とも書かれています。

現在の「鬼怒川」になったのは、洪水になると、普段は静かに流れる川が、激しい流れと岩の転がってぶつかる音などから、「鬼が怒っているようだ」ということからついた名前であるとも言われています。

いかにも日本人的な語録合わせで、鬼怒川は、実は鬼さんとは全く関係なかったのです。

でも、時を経て今ではその鬼さんが観光の目玉になりました。

それが

「七福神巡り」ならぬ「七福邪鬼巡り」です。

鬼怒川では「福」も「鬼」も「内」です。

しかし…

近くの宇都宮には「百目鬼」伝説があります。

こちらも元々は「妖怪」でしたが、改心して「わるさをしなくなった」そうです。

積極的に人間を助けてくれるようになったかどうかは、わかりませんが。

今回は「百目鬼」にちなんだお寺さんも回ってみたいと思っています。

また

「鬼怒川」にはちょっと怖い伝説もあります。

それは落語にもなった「累ヶ淵」と「おきゃらちゃん」のお話です。

ということで

昔の心霊スポットへも行きたいと思ってます(今の心霊スポットは怖いから)

先ほどの「この世に残ってしまった霊魂」はいづれ消えてしまうそうです。

その時間はおおよそ400年といわれていて、落ち武者の目撃例も激減しているそうです。


4:00
出発

7:35
【五龍王神社】へ到着
ここは「龍王狭」と言われている場所にあります。







神社は岩の上にあり、社殿裏には滝が凄い音を轟かせていました。

近くのお店の人に尋ねると、今はかなり水量があるとのこと、迫力満点でした。

元々の神社は山の上にあったそうです。





言い伝えによれば

昔、鶏頂山の弁天沼のほとりの祠に、一体の龍神像が祀られておりました。

ところが、享保8年の五十里(いかり)大洪水の後、龍神像が弁天沼を離れ、近隣の村人の家々を転々とすることとなります。

やがて村人が再び龍神像を弁天沼に祀ろうとしたところ、突然龍神が降臨し、「吾を弁天沼に祀らず野沢川集落に祀るべし」というご神託を村人に示しました。

村人はご神託に示された通り、鬼怒川を見下ろす渓谷の上に五龍王神社を立て、龍神像を祀りました。

五龍王神社が建つ岸壁は火山岩が鬼怒川の流れに浸食され、龍が空に昇る姿のような渓谷美が続く場所でした。

この場所こそが、後に鬼怒川屈指の名勝となる「龍王峡」です(SNSより)







五龍王神社へはしばらく階段を下りますが、段差が少ないので距離からしたら登り降りは楽でした。