石碑「志度従事記念標記」 | たいや旅館・おやじだより

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 四国88ケ所第86番札所「志度寺」の門前町にある小さな旅館「たいや(鯛屋)」のおやじであります。
 うどんだけじゃない「さぬき」を、趣味の写真を通して発信していきたいと考えております。どうかお気軽にお立ち寄りください。
 

 志度の市街地や周辺部を歩いていると、時折、石碑なるものに遭遇します。

 郷土の先人達が、何らかの想いをこめて建立したであろう石碑も、難解な文字であったり、長年風雨に曝され物理的に汚損されていたりで、どういうものなのか判らないことがしばしばあります。

 内容が判ると良いなと思っていた矢先、おやじ(おやじのおやじです。)の本棚に「志度のいしぶみ」と題する岡村信男さんの著書を発見しました。おやじが出会う石碑の大半は、ここにその説明が有りそうです。

 そこで、おやじは岡村信男さんの著書を参照しつつ、写真を添えていきたいと思います。

 新たに著書の表記に従い「いしぶみ」というテーマを追加することに致します。


多和神社への石段

今回の「いしぶみ」はここの近くにあります。

たいや旅館・おやじだより-多和神社石段



石段の登り口にある浄土宗「東林寺」の山門

件の石碑(いしぶみ)は山門の右側です。


たいや旅館・おやじだより-東林寺山門



左側の石柱がいしぶみですが、右側のきのこは何なんでしょう。


たいや旅館・おやじだより-記念塔といしぶみ



 これ、実は記念塔でして、いしぶみの内容に関わるものです。

 平らな石の円盤の上には、以前、2m程の砲弾(模型)が載せられていたと岡村信男さんは記されています。いしぶみが建てられた明治39年ころ、志度町金屋地区では鋳物の製造が行われており、当時の鋳物工が製作したようです。この砲弾は、第二次世界大戦後、進駐軍による撤去要請を受けて処分されたと言う事です。


木陰にあるため気付かずにいる人も多いかと思います。


たいや旅館・おやじだより-記念塔



いしぶみ「志度従事記念標記」


この記念碑は、日露戦争が終結した翌年十月志度町が建立したものである。

 碑文によると

「この戦争に志度から出征したものが百五十九人、殉職者は将校以下十九人、勲三等旭日章一人、功五級金鵄勲章三人、功七級金鵄勲章八人、勲七等桐葉章十五人、勲七等瑞宝章三人、勲八等桐葉章八十二人、勲八等瑞宝章十人、それぞれ受賞の栄に浴した」


と記されているそうです。

とても読みにくい。


たいや旅館・おやじだより-いしぶみ