コラムー台湾行きっ戻りっ 第3回 | 台湾観光のブログ

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歌、踊りが延々と続く 

プユマ族の村で迎える正月 

台東で見た歳末の風景

文、写真/松田良孝

 

「ナルワン」というお馴染みの掛け声が響いた。女たちのコーラスと男たちのソロが交互に途切れることなく続き、二重、三重の輪になった人たちは休むことなく踊り続ける。赤々と燃える松明は時折火の粉を散らした。ライトも付いているが、人々の声ばかりが激しくて、元旦の午前零時に向かう真夜中は余計に暗く感じられる。

 


 昨年の12月30日から今年の1月1日まで、台東に滞在し、プユマ族の人たちの伝統的な祭祀を見学した。台北芸術大学の趙綺芳副教授が調査に行くと聞き、便乗を申し出たのだ。趙副教授は数年に1度のペースでこの場所を調査に訪れているベテラン。そのおかげで、初心者では会場にたどり着けるのかさえ怪しいその伝統的な祭祀を取材することができた。

 


 12月31日のお昼前後に台東市にある南王部落に向かい、山で訓練を終えた「準青年」と呼ばれる若者たちが一人前の青年として受け入れられる儀式を見学。夜は男たちが南王部落内の家々を回っていく儀式にくっついて集落を歩いてみたが、どちらも歌、そして踊り、なのだ。伝統的な衣装の腰に付いた鈴が遠くに近くに鳴り響く。

 


 年が変わるころには台東県卑南郷の初鹿部落へ。そこで出会ったのが松明を囲んで踊る人々の姿である。「年祭」と呼ばれるこの祭祀は年が変わる瞬間へと盛り上がっていく。スピーカーから「あと1分。頑張れ」という声が上がり、続いて「30秒」のコール。カウントダウン。3、2、1。気の早い破裂音が一足先に新年を告げていた花火が本格的に上がり、このときばかりは人々は体の動きを止めて夜空を見上げた。ノリのいい曲もかかり、これで祭りは終わりかと思われたが、再び歌、そして踊り。

 


 「台湾は旧正月を重視する。新暦の年末年始は穏やかなもの」と思っていたが、完全な思い違いだった。12月30日から二晩泊まった台東市内もそうだ。本誌582号(2016年12月発行)でも取り上げている鉄道芸術村・鉄花村でイベントがあり、熱気球で知られる鹿野を有する台東らしく、熱気球をかたどった手作りの紙灯篭がずらり。明りに引き寄せられた人波が暮れの風景をつくっていた。

 


 初鹿から台東市内のホテルへ戻る道すがら、再び南王部落に立ち寄ると、家々を回る儀式はまだ続いていた。趙副教授が懇意にしているお宅に伺うと、民族衣装を着たままの若者たちが来客と一緒に過ごしており、伝統的な歌のアカペラをつぎつぎに繰り出していく。高粱酒や台湾ビールも出て、筆者たちの尻には根が生えてしまった。ホテルに戻ったのは午前4時近かった。






輪になって踊る初鹿部落の人々=2016年12月31日午後11時15分ごろ、台東県卑南郷で撮影




伝統的な衣装を身に付けたプユマ族の男性=2016年12月31日午後、台東市内の南王国民小学で撮影



熱気球をかたどった手作りの紙灯篭がずらりと並ぶ=2016年12月31日夜、台東市内の鉄道芸術村・鉄花村で撮影

 

 

松田良孝(まつだ よしたか)


 1969年、さいたま市生まれ。北海道大学農学部農業経済学科卒。八重山毎日新聞記者などを経て、現在はフリー。石垣島など沖縄県と台湾の関係を中心に取材を続ける。著書の『八重山の台湾人』(南山舎、2004年)は、2012年に『八重山的台湾人』として中国語訳され、行人文化実験室(台北)から出版。共著に『石垣島で台湾を歩く:もうひとつの沖縄ガイド』(沖縄タイムス社、2012年)。2014年には小説『インターフォン』で第40回新沖縄文学賞受賞。

 

 

 

※掲載情報は取材時のものであり、現在の情報とは異なる場合があります。