信貴山朝護孫子寺3 (毘沙門天) [奈良県] | カーツの歴史散策&御朱印作庭  庭は眺めるものではなく、       出てみるものなのだ、、

カーツの歴史散策&御朱印作庭  庭は眺めるものではなく、       出てみるものなのだ、、

------------------------------

電光影裏斬春風

知っているようで知らない歴史の裏側をそっと、

御朱印帳をたずさえぶらり、ふらり、、つれづれに、、、

日々徒然に

この日は寅の日、とするとお次は12日後だから、、え?おっと💦ウル寅マン公開日じゃん💦💦そこまで狙ってたの?

 

 

と思ったこの月初め、、

 

 

閑話休題

 

 

続 帰省の道すがら (その2)

 

 

信貴山朝護孫子寺

 

image
image

 

 

御朱印

寅の日の毘沙門天様巡り

 

三冊目の毘沙門天様巡りを寅年限定?の御朱印帳で

何種類かオリジナルの御朱印帳が用意されていたけれど、なかでも御詠歌の書かれているこのタイプ (色違いあり) で巡りたいな と

 

 

信貴山朝護孫子寺

信貴山真言宗総本山

奈良県生駒郡

 

image

image

image

image

 

 

お参りを終え、さてどうしようかとグーグル先生にルートを調べていただくと、、奥の院 は十二分に歩ける距離だった✨

 

というわけで、もう一ケ寺だけお参りを ε=👟

 

 

追記

 

鬼門封じのご利益があるともされる毘沙門天様

 

その 鬼門封じ についてはもちろん諸説はあるけれど、そのひとつに中国最古の地理書とされる「山海経」にある説話がもとになっている という説があるようだ

 

 

その昔、中国の東方に度朔山 (とさくざん) という山があった、その山上には三千里にもおよぶ桃の木々が枝を張りめぐらし、その中でも北東の隅の枝は門のような形で、様々な 鬼 が出入りをしていた

 

そのため、その 門 では、鬼の検閲を行っており、悪鬼がきたときには葦で縛り上げ、虎に食わせていた というのだ

 

このことから、

 

北東の方位を 鬼門 と呼ぶようになった

 

 

ほ〜、鬼、桃の木に加えて虎までも絡んでくる話なんだねぇ、なるほど、なるほど、、 _φ(..)