【プロローグ2】
またかの名高き、恵み深き サラスヴァティー は、この祭祀において、
快く享けてわれらに耳傾けんことを・・・・・・。彼女は " 富を伴侶とし " 、
〔あらゆる〕友 (他の河川) に勝る。
これらの〔供物〕を、汝ら (詩人の庇護者) よりの〔ものとして〕頂礼もて捧げ、
── サラスヴァティー よ、〔この〕讃頌 (さんじゅ) を嘉 (よみ) せよ・・・・・・。
牛ならぬバスにゆられて何とやら、、移動にローカルバスを使うのは久しぶり✨
円覚寺さんゆかりの那須の雲巌寺さんにお参りした時以来かなぁ、、なんだか旅をしている気分にひたれるね ヽ( ´θ`)ノ
橿原神宮、神武天皇墓綾とお参りした後は、近鉄吉野線に乗り換えて桜で有名な吉野方面へ、そして、最寄りの下市口で降りて、さらにローカルバスへと乗り継いだ
俗に 三大弁天 といわれるのは、宮島、竹生島、そして、江の島にお祀りされた弁天様を指すのが一般的だけれど、五大弁天 といえば宮城の 金華山黄金山神社 と、こちらになるようだ
天河大辨財天社
五大弁天の全てをお参りすることは無理としても、琵琶湖の 竹生島 とここ吉野の 天川 にはなんとかお参りしたいなとこの日
皇太子殿下弥山奥宮行啓記念
境内
拝殿
例祭
能面研究家の中村保雄氏の歌碑
雲跳り 水鼓をうてり 天の川
宮さだまりて 龍神昇る
保雄
そもそも 能 とは、豊作を願う自然の神への祈りとして、音の世界から生まれたものだとか
そっかぁ、だから、弁天様 とつながるわけだね✨
また、
その能の第一人者たる 世阿弥 は、苦境の時代に能の再興を願い、嫡男十郎元雅をここ 天河弁天 に詣らせたという歴史もあるようだ
ん?世阿弥??
ちなみに 世阿弥 といえば、押井守さんのファンとしてはこれだね
生死去来 せいしのきょらいするは
棚頭傀儡 ほうとうのかいらいたり
一線断時 いっせんのたゆるとき
落落磊磊 らくらくらいらい
花鏡 / 世阿弥
まるで生きているかのような
棚の上の操り人形であっても、
ひとたびその操りの糸を断じてみれば
落ちるに落ち、崩れるに崩れ、、
意訳 by カーツ
御朱印
巳の日の御縁日に
御朱印帳
オリジナル御朱印帳も用意されていた、弁天様らしいデザインだなぁ
天河大辨財天社
主祭神は、市杵島姫命 (いちきしまひめのみこと)、神仏習合の時代より御本尊として弁天様をお祀りされていたようだ
役行者が大峯を開山する際に、祈りによって最初に現れた弁天様を弥山にお祀りしたのが始まりだという
奈良県吉野郡天川村坪内107
境内には角川春樹氏の句碑も、能にも興味がある方なんだね
さて、
今のところ残すは 竹生島、今年の内になんとか計画を立てたいなぁ、、、
【エピローグ2】
ヴァシシュタ (本篇の詩人) はここに汝のため、サラスヴァティー よ、
天則 (讃歌) の両扉を開けり、恵み深き〔神〕よ。うるわしき〔神〕よ。
── 讃美者に増し与えよ、勝利の賞を授けよ。
── 汝ら神々は常に祝福もてわれらを、守れ。」
リグ・ヴェーダ、インド最古の文献
辻直四郎博士訳より
うーむ、確かに、、
プロローグ1、および、2の文中にある 「広大なる世界の富を知りて」 、あるいはまた、「富を伴侶とし」 を見るにつけ、そもそも サラスヴァティー には 富の神 の要素があったようだねぇ
だから、
中国や日本で 「弁財天」 と書かれたことは、まんざら 単なるあて字 とはいいきれないという解釈には納得だなぁ
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