安倍文殊院 [奈良県] | カーツの歴史散策&御朱印作庭  庭は眺めるものではなく、       出てみるものなのだ、、

カーツの歴史散策&御朱印作庭  庭は眺めるものではなく、       出てみるものなのだ、、

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電光影裏斬春風

知っているようで知らない歴史の裏側をそっと、

御朱印帳をたずさえぶらり、ふらり、、つれづれに、、、

日々徒然に

【プロローグ1】
 弁才天は古代インドの女神 サラスヴァティー の漢訳である。
 サラスヴァティー は学問芸術の女神であるが、もとをただせば河川の神であった。

 「奔湍 (ほんたん) と滋養とをもって、この サラスヴァティー は流れいでたり・・・・・・。


最初から六まいりめまでは、家族、親族、親戚へ、そして、その浮御堂七まいりめの最後は、そのほとんどの方に直接は会ったことはないけれど、SNSでつながっているというのも何かのご縁縁とおもい、そのみなさんの こころ安かれ と祈りながら...

七まいり


安倍一族を祀る金閣浮御堂 (別名阿倍仲麻呂堂) 拝観の際に 「七まいり納め札」 という七枚綴りからなる金色の札を渡された
一回りするごとにお堂正面にその札を納めるようだ、それが計七回、つまりは七まいりとなり、人の一生で受けるといわれる七種の災難除けになるという

この日は 巳の日、その浮御堂にお祀りされている弁天様にお参りを

浮御堂、別名仲麻呂堂



安倍文殊院

山門










天の原 ふりさけ見れば春日なる 三笠の山に いでし月かも
安倍仲麻呂



その詩碑は平成二十二年一月書家榊莫山により揮毫

寺号標も莫山先生だなぁどういう御縁なのかな?



また、

その歌碑の横に立つ 第九十代内閣総理大臣 安倍晋三名義の石塔 「祈世界平和」 は、第一次安倍内閣時に立てたものだねぇ、その後すぐに退陣するのだけれど、まだまだ、初心忘るべからず?な頃だろうか

安倍晋三第一次内閣時の献燈



つくづく、

政治屋やその母体である政治団体には 老獪 という言葉では片付けてはいけない侵すべからざる領域があるはずなんだけどなぁ ┐(´o`)┌ と眺めながらしみじみと、、


そして、

ここはその山号の通り、安倍晴明所縁でもある


晴明は、ここ文殊院さんで陰陽道の修行をしたとも伝わるとか、だから境内には安倍晴明堂が建立され、また、だからなんだねぇ 葛の葉稲荷 が勧請されていた

ん?そっかぁ... ✨

京都晴明神社の御朱印帳で始めた 御朱印 百鬼夜行シリーズ は、それぞれの物語に所縁の寺社を順々に巡るはずだったのだけれど (雑司が谷鬼子母神よりはじめたのはそのため) 、、少々行き詰まってはいたんだよなぁ、、、 (*1)


安倍晴明堂






御朱印
大和七福八宝めぐり 弁財天



安倍山崇敬寺文殊院 (安倍文殊院)
華厳宗別格本山
孝徳天皇の勅願により大化改新の折りに左大臣となった安倍倉梯麻呂 (あべのくらはしまろ) が安倍一族の氏寺として建立したのが始まりのようだ
この時の内臣が中臣鎌子 (後の藤原鎌足) になる
日本三文殊第一霊場 (*2)
*2:他に京都天橋立の切戸文殊、奥州山形の亀岡文殊
奈良県桜井市阿部645

*1:
中にはどうにも適当な寺社を決められない場合もあり ( 「魍魎」 と絡む寺社って??とかね) 、そんな時は、そうだなぁ京都以外の晴明神社の御朱印をいただこうか?と考えてはいたのだけれど、、でもそれだけじゃあ一冊を終えられなさそうで、さて どうしたものかなと気を揉んでいた

でも、

その手があったか~✨

と、この日、晴明所縁のお寺さんの御朱印をシリーズに加えればよいではないかと思い付いた、そう、さしずめ、ここ阿倍文殊院さんこそ正にそれにふさわしいお寺さんではないかと

そしてこの時、再訪することを、決めた


浮御堂@葛の葉稲荷より見下ろす


境内



寺号標、五芒星も見えるね






【エピローグ1】
 諸川の中にただ独り、サラスヴァティー はきわだち勝れり、山々より海へ清く流れつつ、
 広大なる "世界の富を知りて " 、ナフスの族 (うから=人類) にダリタと乳とをいだしきたれり。

 リグ・ヴェーダ、インド最古の文献
 辻直四郎博士訳より


安倍文殊院さんをあとにし、橿原神宮神武天皇墓陵を巡り、そして、、巳の日 の弁天様巡りは、天河大辨財天社篇へと、


つづく、、、


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