彼岸過迄 / 夏目漱石 再読 | カーツの歴史散策&御朱印作庭  庭は眺めるものではなく、       出てみるものなのだ、、

カーツの歴史散策&御朱印作庭  庭は眺めるものではなく、       出てみるものなのだ、、

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電光影裏斬春風

知っているようで知らない歴史の裏側をそっと、

御朱印帳をたずさえぶらり、ふらり、、つれづれに、、、

日々徒然に

ん?探偵小説??主人公???


そもそも市蔵は何故周りのものとの間にわだかまりを感じてしまうのか?
初めて読んだとき、この小説は読みようによってはミステリィ小説だと思ったんだなぁ、

それは今でも変わらない

というか、
どんな小説だって何故?と感じる部分があればミステリィ小説の範疇なんだけどね、、



さてさて


「猫」 と 「坊ちゃん」 は読んだことがない

漱石の葬儀の大導師を務めたのは北鎌倉は円覚寺さんの釈宗演老師で、そういう意味からも禅的というか佛教的というか、そういう観点で「こころ」 を読み返してみると、また別の味わいがあって面白かった

いい意味で、意外に "普通" の小説だなと、とても読みやすかった


父母未生以前の本来の面目とは?

という公案を老師に出されたというのはよく知られているところだけれど、そうかぁ... エゴイズムの追求 とはよく云われるが、読みようによってはその 面目 の追求だったと云えなくはないか?とも思ったり


 それでいて、未だにこの通り解脱が出来ないのは、
 全く無学即ち学がないからです。尤も教育があっちゃ、
 こう無暗矢鱈と変化する訳にも行かないようなもんかも知れませんよ。
p27

ここらへんは禅的でもあるね

円覚寺さんの御開山を 無学祖元 といい、その意味する 無学 とは学が無いということではなく、もう学ぶものの無いほどに学んだ、ということらしい

さらに思うに、その学んだ末の、あぁなるほど何も学ばなくともよかったのだ、、という境地、悟りのような世界を、暗に意味しているのかもしれないなぁ、、

兎角に 教育 があるが故に自由自在の変化が抑制されてしまっているとするならば、やはり、それはそれ、”本末” 転倒なんだろう (お寺さんだけに💦)


 敬太郎はとうとうこの禅坊主の寝言に似たものを、
 手拭いに包んだ懐炉の如く懐中させられて表へ出た。
p97


 敬太郎は始めて自分が危険なる探偵小説中に
 主要の役割を演ずる一個の主人公の様な心持がし出した。
p104


ん?探偵小説??
「彼岸過迄」 は、1912年の1月1日から4月29日まで 「朝日新聞」 に連載された漱石晩年の長編小説になるようだ、1912年とは明治45年のこと、「探偵」 というと江戸川乱歩の 「D坂の殺人」 (大正14年 (1925年) ) 辺りが使い始めた言葉かなぁと思っていたのだけれど、、
「探偵」 という言葉が使われ始めたのは明治維新以降のようで、また、A.C.ドイルの 「唇のねじれた男」 が初めて日本に紹介されたのは明治27年 (1894年) で、次いで 「海軍条約文書事件」 が 徳富蘆花 によって明治31年 (1898年) に紹介されているようだ (ほ~)

そもそも、
A.C.ドイルが 「緋色の習作」 を発表したのは1887年 (明治20年) で、その時、漱石は二十歳になったばかり、その13年後の明治33年 (1900年) に漱石はその本場英国に渡航することとなる

ということは、、
「探偵小説」 という言葉はもうすでに浮世には定着していたんだろうねぇ、ちなみに 「主人公」 の方は 無門関十二則 にすでに禅語として


 僕は今まで気が付かずに彼女を愛していたのかも知れなかった。
 或は彼女が気が付かないうちに僕を愛していたのかも知れなかった。
 ──僕は自分という正体が、・・・・・・ 
p247


 一口に云うと、千代子は恐ろしい事を知らない女なのである。
 そうして僕は恐ろしい事だけ知った男なのである。
p252


 元来叔父は余り海辺を好まない性質なので、
 一家のものは毎年軽井沢の別荘へ行くのを例にしていたのだが、
 その年は是非海水浴がしたいと云う娘達の希望を容れて、
 材木座にある、或人の邸宅を借り入れたのである。
p257


その邸宅は山陰の涼しい崖の上にあるようだから・・・・・・ 今だったら シンゴジラ〜✨だ (鎌倉上陸がよく見えたはず)


 僕も男だからこれから先いつどんな女を的に激烈な恋に陥らないとも限らない。
 然し僕は断言する。
 若しその恋と同じ度合の激烈な競争を敢てしなければ思う人が手に入らないなら、
 僕はどんな苦痛と犠牲を忍んでも、超然と手を懐ろにして恋人を見棄ててしまう積でいる。
p286


初めて読んだのは高校の時、ここのところは今でもよく覚えている


 こんな詰らない話を一々書く面倒を厭わなくなったのも、
 つまりは考えずに観るからではないでしょうか。
p362


ほぉこんなことが書かれてたんだぁ、、観音とは、音を観ると書く、、


と、徒然に、、


彼岸過迄 / 夏目漱石 再読



自由を自由に生きる千代子、自由を束縛からの解放ととらえ、逆に束縛に束縛される市蔵、、
この設定を西洋化の流れへの思いと読めば、高木の役割もより鮮明に感じられ
中途まではなんというストーリィも見えないのに、漱石の言葉のリズムに心地もよく
もとより男女のやり取りと断ずるなら、単に莫迦莫迦しいほどのもどかしさなのだけど
それはそれ、夏目漱石 というところでうまく乗せられてしまったよ



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