東叡山寛永寺清水観音堂 (江戸三十三観音霊場6) [東京都] | カーツの歴史散策&御朱印作庭  庭は眺めるものではなく、       出てみるものなのだ、、

カーツの歴史散策&御朱印作庭  庭は眺めるものではなく、       出てみるものなのだ、、

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電光影裏斬春風

知っているようで知らない歴史の裏側をそっと、

御朱印帳をたずさえぶらり、ふらり、、つれづれに、、、

日々徒然に

春、ここで夜桜をみるのが好きでした (・ω・)ノ


東叡山寛永寺清水観音堂




建立は寛永寺本堂よりも早く、また、京都清水寺 (北法相宗総本山) を模したとうかがった

寛永寺 (天台宗大本山) 御開山の天海大僧正は家光公とともに清水寺の改修費用も出してるようで、


ん?

天台宗なのに宗派の違う北法相宗に?


と、不思議に思い、うかがってみると、


京 (関西) の功徳をここ江戸でも という天海大僧正の構想らしいと貴重なお話を拝聴


( ̄人 ̄)


模したといえば、、


すぐ前の不忍池辨天堂は琵琶湖竹生島の見立て

そしてお堂の前には、、




鉄舟居士最晩年の揮毫、台座の揮毫も鉄舟居士だねぇ



上野大佛は京都は方広寺の大佛 (現存せず... ) を模したもののようで

山号にある通り、東の比叡山らしくそのお堂は比叡山や比叡山周辺のお寺などを模したお堂が多いようだ


清水観音堂の御本尊のいわれについては、授与所に申し出ればその由緒書きをいただけるけど、少しだけ、、

堂内額にある絵は、平盛久が鎌倉は由比が浜で首を斬られる直前の場面のようで、危うく打ち首になるところ千手観音の奇瑞で助かったという平家物語にある故事にならったものだとか

さらにさらに、

そもそも祀られている御本尊である千手観音は、平盛久の護持仏で、壇ノ浦の合戦後、盛久が身を隠していた清水寺に脇尊として奉納していたものだとか、ほ〜


上野公園一帯を散策

高村光雲



かつての根本中堂があった場所は、今は昔、今は昔、、



御朱印
江戸三十三観音霊場第六番札所

重印


三巡目



こちらでは次の御朱印も書いていただける

上野大佛 釈迦如来


パゴダ薬師堂 薬師如来


いづれも最近は押印が増えたみたいだねぇ御縁があれば次にお参りした際に


オリジナルの御朱印帳には三つ葉葵の寺紋あり



他にも何種かあり


東叡山寛永寺清水観音堂
天台宗
江戸三十三観音霊場第六番札所
東京都台東区上野公園1-29




ちなみに、、

堂内 「千手観世音」 の扁額は、海軍大将東郷平八郎書、でもねぇ、いくら水辺のお堂だからといって、西郷どん はいいとしても薩摩藩士の揮毫を上野戦争の激戦地であるこの場所で?、、とはちと納得がいかないような??


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