ふるさと鳥取も城下町で今もお濠が残る、今住む桑名もそうだ、
そしてここ会津若松もそうだった
面白いことに、いづれの地も幕府側、徳川家筋
会津若松にはトータルで二年半ほど住んだかな...
その間に色々と歩きまわったから鎌倉同様地理にはずいぶんと詳しくなったね
京都見廻組隊長佐々木只三郎の墓所は会津武家屋敷に、、
おっと、会津に墓所があったのか、、、そっか会津藩士だったんだよなぁ...
とか
奥保鞏 (*1) (°_°)?「坂の上の雲」 には縁がなくどういう話かは知らないけれど、、
戊辰戦争では西軍だったらしいその登場人物の書になる忠魂碑が何故お堀の前に?
*1:奥保鞏(1847.1.5/弘化3年11月19日-1930.7.19/昭和5年)
とか
最後の三ヶ月は阿彌陀寺さんから歩いて数分のところで、
新撰組三番隊組長になる斎藤一のお墓参りはほぼ毎日欠かさず、、
とか
そんな 会津若松編 を少しづつ、蔵出ししていこう ◎
会津鶴ヶ城
明日の夜は 何国 (いづく) の誰か ながむらん なれし御城に 残す月かげ
その御城を、いろいろな位置で、時間で、眺めてみる
春高楼の花の宴 巡る盃影さして 千代の松が枝分け出でし 昔の光今いづこ、、、
「荒城の月」 は 仙台城 と 鶴ヶ城 がモデルのようで 鶴ヶ城 にはその記念碑も
その 「荒城の月」 は、、
今は音楽の教科書には載ってないんだったか (°_°)?
削られて流行りもののJ-POPが代わりに載ったんだったか (°_°)??
文科省さんは何を考えてらっしゃるんだか (°_°)???
お濠より
飯盛山より
城内
お堀の手前
鶴ケ城から少し歩くと、、、
明日の夜は 何国 (いづく) の誰か ながむらん なれし御城に 残す月かげ 新島八重
ここで注目したいのは 丸に三つ引き紋 かなぁ... その話は 会津若松編 で、そのうちに、、
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会津鶴ヶ城1 (幕末明治期ゆかりの神社巡り④[番外])
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