私は過疎の村に住んでいる。
大都会以外の日本全国のほとんどが、うちのような事情であるのではないかと思う。
うちのような事情?
そう、うちのような事情なのである。
私は今年58歳になるのだが、うちの村では永遠の若手である。
村のみなさんとおつきあいをするようになって早30年。私の下に若い人がおらず、新たに入ってくる気配もなく、永遠のペーペー、使いっぱしりなのである。
この業界では多少は顔が売れていようが、社長だからとでかいカラダ‥‥いや、でかいツラをしていようが、村ではペーペーなのである。
私がペーペーであるということは、それ以外の人はそれはそれはもう、ものすごいご高齢である。が、みなさん、たいへんにお元気なのである。
そして、村にはいろいろな役職があり、年功序列で回っている。
高齢社会のうちの村ではなかなか私の順番は来なかったのであるが、このトシになっていきなり、いろいろな役職が回ってきたのである。
その一つが、農会の役員である。
うちのまわりには田んぼと畑と山しかない。
うちにも農地はあるが、村では三年寝太郎と呼ばれている私は農作業はしない。が、しないったって、ほったらかしにすると草ボウボウになるので、草刈りだけは小まめにしているのである。
そんな、草刈りしかしたことのない私が、日本の農業を担う農会の役員をさせられているわけである。
ご存じかもしれないが、いま、日本のお百姓さんは好き勝手にお米を作ってはいけない。減反政策に則り、本来、作れる量の半分ほどしか作ることが許されないのである(それほどお米の消費が低迷し、余っているからである)。
で、農会の役員は、ズルッコして多めにお米を作っている人はいないかとか、お米を作っていない田んぼは、必要なときはすぐにまた耕作が始められるように管理されているかを確認したりする。
さらに、補助金の申請作業や農業共済の申込みをサポートしたり、水路の確保について役所と話したりと、その他もろもろ、いろいろなことをやらされ‥‥させていただいているのである。
それにしても、最近の農業は凄まじい進化を遂げている。“最先端農業”といわれるのだが、まるで工場でモノづくりをするがごとく、農産物を管理・生産しているのである。
うちの近所にもその最先端農業を手がけている事業所があり、そこでは水耕栽培によるトマトづくりが行われている。
もともとは、耕作面積が小さく、日照時間が限られた北欧で考え出された方法なのだそうだ。ものすごく効率よくトマトが収穫できる。
通常、種は土に植えるものなのだが、この耕作法では砕いた玄武岩を敷いたシートに種を蒔き、そのシートの栄養管理をしてトマトを育てる。そして、ガラスの温室で栽培することで年中収穫可能となっているのである。
農会では、その工場を視察したりするのであるが、われわれが知っているトマトの生産工程とはまったく違うので、それはそれはもう、ビックリたまげたものである。
ただし、トマトの糖度はやはり直射日光によるものらしく、この耕作法は甘いトマトを作るのには向いていないという。が、平均的なトマトを安定供給するという大きなメリットが得られるそうなのである。
見学のあとは、村の集まりでは恒例となっている、昼からたらふく肉を食うという宴会が始まった。
今回も、午後からは仕事があるので宴会は遠慮しておきますという人が多く、結果、
「準ちゃん、若いからもっと食えるやろ!?」と、まるで高校生に向かって言うような言葉を58歳の最若手のオッサンが言われるわけだが、オッサン、胸焼けが止まりません‥‥。
試聴できます!ぜひ、聞いてみてくださいね
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