年末年始の村の行事について | 平準司@神戸メンタルサービス カウンセラー養成・個人カウンセリング・心理学の講演、執筆を行っています!

年末年始はなにかと忙しい。

 

サラリーマンのみなさんは、ボーナスをもらい、忘年会を楽しみ、そして、正月休みもあるわけだからして、年末年始はぜったい楽しいはずである。

 

しかしながら、大阪の零細企業の経営者としては、些少ながらも従業員にボーナスを支給しなければならない。

 

そのために、年末といえども社長の私は出稼ぎに次ぐ出稼ぎをこなし、ボーナス代を稼がねばならないのである。

 

さらに、村では消防団員でもあるので、年の瀬は年末警戒もしなければならないのである。

 

だからして、地方で仕事をしては、消防団の夜警のためにピストンでわが家に帰り、そしてまた出稼ぎに出るという暮らしぶりなのである。

 

ちなみに、消防団の夜警といえば、ほとんどの方が、「火のよーうじん!」と言いながら、拍子木をカチカチと打ち鳴らし、地域を練り歩くと思っていらっしゃることであろう。

 

それは、「町」での夜警のスタイルである。

 

私どものような村には家があまりない。練り歩くといったって、家から家の距離が平気で300m500mもある過疎の村では意味をなさないのである。

 

だからして、消防車に乗り、スピーカーで注意を促しながら村を巡回する。

 

実際のところ、家の中にいる人にはほぼ聞こえない。また、聞こえたとしても、クルマだからして、すぐに行ってしまうので、なにを言っているのか結局よくわからない。が、しかし、行事だからして、いちおうはやるのである。

 

消防団というのは、万が一、村で火事が起こったときに、消防署が駆けつけるよりも早く消火にあたるのが任務である。

 

ポンプを持って池のそばに走り込み、ホースをつないだりするので、本来は体力のある若手が必要であるのだが、御年57歳の私がいまだに現役の消防団員であるのは、ひとえに村に若手がほとんどいないがゆえである。

 

私が消防団員になったころ、先輩の消防団員は40歳ぐらいで退団されていた。まして、50歳以上の消防団員など一人もいらっしゃらなかった。

 

しかし、いまや、60歳になろうとも、私が退団できる見込みは皆無である。村の消防団は、チェックインはできても、チェックアウトができない煉獄のようなものなのである。

 

ほんとうは正月明けにも出初めがあるのであるが、これは仕事を理由にサボらせていただいている。

 

さらに、村の人を集めて新年会を開催したりする。恒例により、新年会はすき焼きと決まっているので、お肉や野菜の手配、酒の調達で新年から忙しい。

 

今年の新年会は17日にあったのだが、年明け早々、私は東京に出張に行っていた。そのため、6日の最終の新幹線でいったん神戸に戻り、7日の東京のヒーリングワークはみずがきトレーナーに任せ、そして、また東京にとんぼ返りをして、8日のヒーリングワークをこなしたわけである。

 

さらに、新年会の翌週には「とんど祭り」と呼ばれる行事がある。たくさんの竹をくくったところに火をくべ、お正月飾りや書き初めなんかを豪快に燃やす儀式である。残り火はそれぞれ家庭に持ち帰り、神棚のロウソクにつけ、無病息災を祈ったりする。

 

ほかにも私の住んでいる村には、昔からの伝統的な儀式がなにかと残っている。

 

たとえば、12月には冬まつりと言われる大祓がある。細かく切った麻と紙吹雪と紙の人型を使うのだが、人型に各人が体の悪い部分を映し、それを燃やすという本格的なものである。

 

伝統的な古い儀式が残っているのはとてもよいものであるが、それを準備し、段取りする側の人たちはとてもたいへんなのである。

 

少子高齢化の過疎の村ゆえ、それを実行すること自体がどんどん難しくなっており、いつまで続けていくことができるのかもわからない次第であります。