私は神戸市のいちばん北にある過疎の村に住んでいるのである。
どれぐらい過疎なのかというと、私の家のすぐ横にある川ではいまだに6月になるとホタルが飛ぶ。
家のまわりにはワラビやフキ、タケノコが群生しているが、そのようなものを採取したことはない。
みなさまからは「なんと、うらやましい環境で!」と言われるのであるが、われわれ村の者からいえば、それらはすべて雑草か竹なのである。
交通機関はというと、平日は一日にバスが3本来るが、土日祝は休みでなにも来ない。
一方、過疎の村というところには、昔からの‥‥いや、古来からの伝統行事が残っている。
若者はどんどん村を離れていくのであるが、年老いた人たちはそれら伝統行事をかたくなに守ろうとするのである。
行事は、祭から日常の行事、そして、お葬式までじつにさまざまで、町の人には信じられないぐらいたくさんあるのである。
それらの行事を守るために、村にはものすごく多くの役職もある。そして、かなりの頻度で“寄り合い”という名の会合が開かれるのであるが、ほとんどの場合が飲み会である。
今年、57歳になろうという私であるが、過疎の村ではまだまだ若手である。というか、若手のホープといってもさしつかえないほどである。
私はうちの親父が事故に遭って長期入院し、ほぼ寝たきりの生活になった30歳過ぎから村のつきあいに出るようになったのであるが、57歳になった今年も私の下にはだれもいない。
つまり、この村にあっては、私は20数年来のルーキーなのである。しかも、私の下にだれかが入ってくるという見込みもまったくない。
そして、これまで、私はなにかと理由をつけて、村の役職をスルリスルリと逃れてきた。が、ついにこのたび、順番で回ってくるある役に就かざるをえなくなったのである。
その役職のいちばん重要な仕事は、地域の葬儀委員長を務めるということである。
村には長寿のお年寄りのみなさんが非常にたくさん在住しておられる。たぶん、町の人々に比べ、私の村の人々の平均寿命はだいぶ長い。
若いころ、農業で体を鍛えるとともに、野菜などを中心にした健康的な食生活を続けてきたことが長寿を支えているのであろう、どの方もとても元気である。が、しかし、90歳を超えたお年寄りがいつ天に召されるか、それはわからないのである。
そして、万が一、どなたかが亡くなられたとしたならば、私は村での仕事のために、いついかなる場所におろうとも飛んで帰らねばならないのである。
だからして、この役職を務める今年からの2年間は、私どものワークショップや講座にもたえず代替講師の準備をしておかなければならないわけである。
そんなにしょっちゅうというわけではないと思う。が、あったら最後、私は駆けつけ、葬儀の段取りをしなければならないのである。
‥‥という事情でありますからして、みなさん、講座やワークのさなか、急に平が姿を消すことがあったとしても、それは失踪したわけでも、引きこもったわけでもないということをお察しいただきたいのであります。
このお正月はうちの家の近所を散歩していても、村のおじいちゃんやおばあちゃんから声をかけられたのである。
「準ちゃん、いよいよのときは、よろしく頼むでぇ~」
「まかしといてください! いつでもどうぞ!」
明るく爽やかに答える私であるので、まわりからの期待もますます大きくなるばかりなのである。
老人会に入っているうちの母親によると、会合に行くと、「どうせ死ぬなら、準ちゃんのときに死にたいな」などと声をかけられることも多いらしいのである。
うれしいような、困るような‥‥。ちょっとフクザツな今日このごろなのである。
葬儀の段取り以外にも、村の草刈りのとりまとめや、お祭りなどの行事の運営もしなくてはならないので、どうしても私どもの土日のセミナーと重なることが多くなる。
この2年間はみなさんと出会える機会が、多少、減るかもしれませんが、なにとぞご容赦いただきたいのであります。
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