南大東紀行〈その4〉 | 平準司@神戸メンタルサービス カウンセラー養成・個人カウンセリング・心理学の講演、執筆を行っています!

いろいろなことがありながらも、私はすっかりこの島を気に入ってしまったのである。

 

感情は共鳴するというか、好意は返報するというか、なんと、来年も南大東に行くことになりそうなのである。

 

心理漫談家である私のことを気に入っていただけたのか、それとも、ただの漫談家だと誤解されたのか、そこは不明であるが、とにかく、また呼んでいただけることになったのである。

 

万障繰り合わせて、行く所存です

 

来年もきっと、神の啓示が降りるのであろう。

 

そんなこんなで23日の南大東島での仕事を終え、私は那覇行きの飛行機に乗り、沖縄に着いた。が、夕方の6時過ぎまで大阪・伊丹行きの飛行機がないのである。

 

そこで、ふたたびモノレールで市内まで出て、公設市場の2階で食事をし、そして、私の大好きな米子焼のシーサーを探し求めに出たのである。

 

米子焼のシーサーとは、石垣島のとあるエリアで作られるようになったユニークなアニメ調のシーサーのことである。

 

うちの事務所や各地のカウンセリングルームの玄関にもれなく置いてあるので、私どもの面談カウンセリングを受けられたことのあるお客様は、一度はお目にされたはずである。

 

そして、私が非常に気に入っているシーサーなので、沖縄に行くたびに新作を買い求めているのである。

 

今回、買い求めたものは、いぶかしそうな目で見る池尾くんを「業務命令だからね」と威嚇し、「名古屋のカウンセリングルームの玄関に置くように」と押しつけた。


さて、東京から那覇経由で南大東に行き、そして、また南大東から那覇まで異動してきた私の体はバキバキに凝っているのである。

 

だからして、私はマッサージ屋さんを求め、国際通りをウロウロしたのであるが、なんと、天下の国際通りにマッサージ屋さんはほとんどないのである。

 

何軒か看板は出ていたのであるが、1軒はどうも閉店しているようであり、もう1軒は電話しようがピンポンを押そうが出ないのである。

 

そして、国際踊りのいちばん端に、タイ古式のマッサージ店が一軒あったのである。が、通常のマッサージ店とはだいぶ様子が違うのである。

 

まず、タイの小物やスカーフなどが大量に置いてある。そして、マッサージ店には必ずあるマッサージ台がまったくない。店の奥にじゅうたんの敷かれた3畳ばかりのスペースがあり、どうやらそこで揉みほぐされるようなのである。そのすべては道路から丸見えである。

 

さらに、この私の巨体を揉みほぐしていただくべきマッサージのおねえさん‥‥、いや、おばさんといったほうが正確であろう‥‥、この人は150cmはあるだろうか?

 

「大丈夫なのか‥‥?」

 

不安をもちながらも、ここしかなかったのでお願いすることにしたのである。

 

足ツボ30分+全身45分のコースである。疲れもあって、施術中に爆睡した私は夢の中で空中浮遊をし、卍固めをかけられ、エビ反りにされていた。施術師の女性は、小柄ながら、パワフルなテクニシャンだったのである。

 

そして、十二分にほぐされた私は空港に向かったのである。sei

 

那覇空港といえば、20数年前、うちの父親が沖縄旅行中にホテルの階段から落下し、大ケガを負い、9カ月間も沖縄の病院に入院するということがあったので、その時期は私もほぼ毎週、この空港に来ていた。

 

そのころから比べると、那覇空港はものすごく大きくなり、きれいに改装されている。

 

かつて、沖縄にはみやげもの屋『タイラ』という、なんとも親密感の湧く名前の、昔ながらのみやげもの屋さんがあった。

 

いまはもうきれいになりすぎて店舗の名前も不明であるが、店に入るとついつい海ブドウや島ラッキョウ、サーターアンダギーなどを買ってしまうのである。

 

また、沖縄といえば泡盛。私の寝酒用の銘柄は『瑞泉』や『残波』で、重たくなるのであるがついつい買い込んでしまうのである。

 

しかしながら、自宅に帰ってレシートをチェックしてみると、うちの地元で買うのと値段はまったく変わらなかった。

 

もっというならば、近所のディスカウントの酒屋で買ったほうが安いぐらいなのであった‥‥。