今は昔、40年ほど前のことであるが、ラジオの深夜放送が一世を風靡した時代があった。
そのころの中高生は、猫も杓子もラジオを聴きながら勉強していた。
しかも、われわれ関西人は、感度のきわめて高いラジオを入手して、関西圏の番組だけでなく、東京の深夜放送まで聴いていたのである。
そのラジオにはジャイロアンテナというものがついていて、弱い電波でも拾えるようになっていたのだが、このアンテナ、関東というよりも、ほとんど韓国や中国のラジオ局の電波ばかりを拾うのであった。
それでも、天候次第なのであるが、たまにものすごく感度良く東京のラジオ放送が聴けたのであった。
さて、当時の関西のラジオの深夜放送は、それぞれキャラクター・グッズのようなものを作っていて、おもしろい投稿をした視聴者にそれをプレゼントしていたのである。
キーホルダーであったり、バッグであったり、ステッカーであったりするのであるが、学生の間ではそれを持っているのはステータスであり、なかでもひときわ胸を張れるグッズが、バッグであった。
そして、私はそのころ、関西の主だった深夜番組の景品のほとんどを独り占めしていたのである。
深夜放送への投稿といえば、まず、曲のリクエストがあるであろう。番組の中でその曲がかかるとリクエストした人の名前を読んでもらえるのであるが、ほとんどの人はどんなにリクエストしても読んでもらえることはないのである。
読んでもらうためのコツがあるのである。
たとえば、かなり本格的かつ緻密なイラストなんかを描いていたりすると、ほとんどの場合、名前を読んでもらえる。私には絵心などないのであるが、色鉛筆を買ってきて、適当に模写したりして送ると、6割ぐらいの確率で名前が読んでもらえた。
といっても、曲のリクエストを読んでもらったぐらいでは、景品はもらえないのである。
深夜放送には曜日ごとにパーソナリティと呼ばれる人がおり、それは、お笑い芸人であったり、ちょっとしたアーティストであったりする。
当時、関西で圧倒的な人気を誇っていたのが、笑福亭鶴光、それから、あのアリスの谷村新司とバンバンのばんばひろふみであった。ちなみに、ばんばひろふみはヒット曲『真夏の出来事』で有名な平山みきの元ダンナである。
で、この二人とも、いわゆる下ネタのコーナーをもっていて、ちょっとエッチなジョークや小話で盛り上がっていたのである。
そして、私はこのコーナーの常連というか、ほぼカリスマであったのである。
そのコーナーでは、どんな投稿を紹介していたかと言うと‥‥。
たとえば、東北方面では、女性の局部のことを“あんび”というらしい。そこで、これをもじり、小話を作ったりするのである。
「東北方面の女子高生の修学旅行の一団の乗ったバスがバスジャックされました。女子高生の“安否”が気遣われます」‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥。
このようなコーナーに私はいろいろと投稿していたのである。
このブログでは書けない‥‥、いや、書いてはならぬような下品なネタを披露し、一世を風靡し、関西方面で絶大なる人気を博していた深夜放送の「ヤンタンバッグ」や「バチョンバッグ」を手に入れていた。
「ヤンタンキーホルダー」
や「ヤンタンステッカー」などは余るほどあり、クラスメイトに配るほどであったのである。
しかしながら、私はおもてむきは地元の田舎での私は、文部省推薦、もしくは厚生大臣賞を受賞してもいいぐらいの模範的な生徒でもあったのである。
その模範生が、深夜ともなると、鼻の下を伸ばしながら、コツコツと投稿ハガキを書いていたわけで、いわば二重人格少年だったのである。
そして、ラジオの影響力のことなどなにも考えず、下品なネタをバカバカ作り、しかも、初期は実名で投稿していたものだからして、あやうく近所の人たちにバレそうになったのである。
「どうも、平のジュンちゃんがラジオで有名になっているらしい」と噂になったのである。深夜放送など聴かないおじさんおばさんたちなので、なんで有名になっているかは知らないのであるが。
もちろん、うちの父親や母親も、まさかうちの息子がそんなに下品に育っているとは知らずにいたのである。
「これはヤバイ;」と思った私は、人生ではじめてペンネームを考案した。以来、ご近所にバレないようにと、そのペンネームで投稿しつづけたのである。
司 準平。(つかさ じゅんぺい)
本名を逆にしただけなのであるが、これを使うようになって
以来、心おきなく投稿できるようになったのである。