深緑の森-小さな箱庭- -3ページ目

深緑の森-小さな箱庭-

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時を告げるコールが止んだ。

求める答えが眠っているであろう場所に着いた直後、曖昧だった記憶が、より確かな記憶へと変化して雪崩の様に押し寄せてきた。忘れていたわけじゃない。忘れさせられていたんだ。表現が難しいが、そんな気がした。トゥージーは庭園の書斎に居た。題名も無く、作者の名前も無い。しかしやけに印象に残る本だった。どの辺りだったか。書斎の窓は部屋の奥の高い位置にあり、そこから斜め下へ向かって月の光が差し込んでいる。部屋に入った瞬間、聞き覚えのある音がした。
光焔、白く燃えている。あの本だ。こうも簡単に見付かるとは。勇み足で庭園まで来たものの、土産の一つも持たずに戻れば、何が飛んでくるか分かったものじゃない。

表紙に落書きのような絵が浮き出ている。こんなもの前は無かった。頭巾を深く被った子供。手には法螺貝を持っている。困った時に読むこと、と書いてある。悪趣味な奴。トゥージーは眉を顰めた。これが謎解きのヒントを記した本であり、あの燃え盛る壁が現れることで記憶の堰が切れ、この本のことを思い出すようになっているのだろう。

制作者は誰なのか。人の記憶に封をするなんてこと、普通の奴にできるわけがない。損傷も色褪せも無く、炎より一段階ほど色調の暗い灰白色の草紙は、傍目には不気味と言わざるを得ない。しかし今の彼にとって、この本こそが真に求めるものであり、仲間を助けるために必要なものだ。急がな。持った瞬間、腕まで火が回る様子が頭を過る。虞を気概で乗り越え、本を掴んだ。

彼らは困難から逃げるような人間ではない。沖津は二人にトゥージーの行く先を尋ねることをしなかった。二人が気にする素振りを見せなかったこともあるし、それに、謎解きに力を尽くす仲間を見捨てるとはどうしても思えなかったからだ。出会って一時間も経っていないが、彼らを糾合したあの男がどういう人間なのかを知っているからこそ、黙考するのも無意味と裁断を下すことができた。局長と自分達との間にあるものと相違なく強い信頼の二文字が、彼らの間にもある。

逃げるくらいなら敵と共倒れになる道を選ぶ者。決して大多数とは言えないが、そんな連中も居るのだということを沖津は知っていた。こいつらは俺達と同じだ。戦う相手が異なるだけ。疑いなど河に流せと言えるような仲間。沖津が憧れ、そして共に戦っている者達の姿が、眼前の二人に重なっていた。既に震えは止まっている。この状況を心身が受け入れ、適応したのだろう。

されど時の流れは止まらず。静かでも確実に、最後の瞬間が近付いていた。天井が大きく降りたのは二手目。最初の一手までは合っていた。三人はそれぞれ記号から想像した物語を布き、可否を採った。多数決など悠長なことをしている暇はない。他者の案が自分よりも優れていると思えばそちらにコインを賭ける。惑いも討論も長引けば窮地を呼び込む材料でしかなく、持論を展開することにも苦労が伴った。無駄な言葉を省き要点を伝える。意見が衝突しそうになる度にタコヨリが上手く纏め上げ、書き記した。そして15分後、目指すべき完成の図が描かれた。

「次で片を付けるわけじゃない。出来るだけ多くの情報を得る。この図が正解に近いのかどうかを確かめるんだ」 沖津の説を軸にした『商団を守護する騎士と巫女である農民の娘の物語』。男性と女性の絵が向かい合うように描かれていることから、左右の窪みまで使い一列にするという考えに至った。左から順に、スペード、ダイヤ、クローバー、ハート。スペードとハートが互いの身分を示し、ダイヤとクローバーが属する集団を意味する。タコヨリはこの配置にするための最短の移動回数を算出し、メモ用紙に記した。

「儂が駒を動かそう」 「お主らは記録と応援を宜しく頼む」 「冗談を言ってる場合か」 師匠はニッと笑うと、テーブルに置かれた地球儀に向き直った。「クローバーを右の窪みへ」 タコヨリの言葉で断片が移動する。ここからじゃな。「ダイヤを、右へ」 沖津は祈るように記録を続ける。大丈夫だ。合っている。「ハートを上に」 断片の動きは鈍らない。タコヨリは師匠の胆力の凄まじさを実感した。居直ったわけでもなく淡々と駒を進めている。電波といい師匠といい、呆れを通り越して尊敬に値するよ。「まったく」 「なんじゃ?」 「そのままハートを左の窪みへ」 一瞬の静寂の後、ハートの断片が赤く輝いた。

重要な意味を持つことは明らかであったが、足踏みをするわけにはいかなかった。この一手で終わらせることができるなら、それが最良の終幕。「師匠、次はハートを右に」 木材の軋む音が鳴り響いた。


炎色に染まる世界。火の渦のあげる唸り声に塗れ、三人の声が聞こえる。ランプは己の力を試したくなっていた。あの人間が教えてくれたのは指示に従うこと、そして、強敵にも臆することなく立ち向かうこと。この壁が放っている力は自分よりも強い。その事実がランプの内にある撃鉄を起こした。風穴を穿つ、否、消滅させる。衝動が狼煙を上げるのと時を同じくして、トゥージーが戻ってきた。

「これを皆に」 ランプに本を渡そうと腕を伸ばす。都合が好い。この時の感情を人の言葉で表すなら、獅子はそんなことを思っただろう。酔狂で彼らに付き合うつもりが、平地や荒地を共に走り抜けることを楽しいと感じるようになってしまった。食糧を求めることなど忘れ、辣腕を振るう。

師匠はトゥージーの土産を受け取るため、ランプのもとへ走った。本を向こう側へ投げ込むためには、どこか一部でも壁を破壊するしかない。師匠はランプの放つエーテルを見て、それが不可能ではないと確信した。ランプは壁を打ち消すつもりで一点に拳を叩き込む。引いて駄目なら、押してみろ。師匠は刀を抜くと、ランプの拳目掛けて突きを放った。

拳に刃が触れる直前、テンを起こす。青い靄が刀を覆い、刃物から斬る力を奪った。師匠が本を受け取る。
「急いで解読!」 一陣の風が空洞を流れ、赤壁の内側に息を吹き込んだ。






「SEASON'S CALL」






視線の先に妙なものがあった。

街の一画の風景を切り取り、額縁に収めずに貼り付けたらこうなるに違いない。切り取られた部分に暗闇が広がっているのを想像し、鮮明に浮かんだその光景に寒気を覚えた。数秒間、その絵画のようなものを凝視する。獅子が現れた。
後退りする余裕もなく、その荘厳とも言える風格に圧倒されていると、次々に対象の奇妙さに気付く。三本角、筋骨隆々の体躯、背に翼。琥珀色の瞳は己と人との間に佇む赤壁を睨み付けた。

その信じ難い生物の後方から、今度は男が現れた。「遅かったのう!」 沖津は師匠達の様子を見て、彼らが後発の二人だということを理解する。獅子は口の端を上げて隣の男の方を見ている。ライオンの傍に調教師が居るからといって、近付くことを怖がるなというのが無理な話だ。自分の身体が微かに震えているのが分かる。まだ恐れている。これはすべて現実。現実なんだ。

「さて、役者は揃った」 「トゥージー君よ、ランプにこの壁の内側へ来るように言ってくれ」
合流後、真っ先にすべきこと。何が起こっているのかを迅速に把握する。紅色に燃える天井。師匠達を囲うように立ち塞がる壁。手元の地球儀。初っ端から大一番やな。「君は時計の針が10分進むごとに儂らに教えるんじゃ。頼むぞ」
「了解!」 「天井の降り具合から考えて、リミットは3時間程だろう」

沖津は腕時計を見た。現在の時刻は午後6時26分。到着した時間は覚えていないが、少なくとも9時には終わりが訪れるということだ。熱の無い炎。燃え盛る音だけが耳に入ってくる。沖津は渾身の力で竦む両足に鞭を打ち、二人のもとへ向かった。何もせずに震えているより、謎解きに熱中する方がずっとマシだ。遊戯と使命を同時に全うする感覚。師匠は彼の覚悟を受け取った。

パズルの左右には彫り物のような絵が描かれている。左には腕を伸ばす男性、右には祈りを捧げる女性。
ヘーゼの騎士、コルヌイの巫女。騎士が男性、巫女が女性を指すと考えるのが妥当だろう。パズルの断片は4つ。中央に集まり、四角を作っている。上にある二つの断片の右隣と左隣に窪みがあり、動かすことができる。断片には三人がよく知る記号が描いてあった。

左上にダイヤ、右上にクローバー、左下にハート、右下にスペード。トランプに使われている四つの記号だ。正しい配置にしろということか。「迂闊に動かすな。何か仕掛けがあるかもしれない」 「しかし動かしてみないことには次の手を考えられんぞ」 タコヨリは肩を落とした。「慎重過ぎるのも良くない」 師匠はクローバーの断片を右の窪みへ移動させた。そしてクローバーのあった位置にスペードの断片を移動させる。

天井が大きく降りた。「……師匠」 「申し訳ない」
「目算だが一時間は早まったな」 トゥージーは残り時間を計算し直した。
「御手つきは後二度まで許されるということだ」

空気が重い。上を見るなと自分に言い聞かせながら、沖津は必死に頭を巡らせた。
突然、重い空気が軽くなった気がした。気のせいではなかった。先程現れた獅子が壁の内側へ歩いている。天井の動きが僅かだが緩やかになった。獅子が足を止め、腕を組むと、更に動きが遅くなる。

「時間に余裕があろうが、三度間違えればお仕舞いか」 タコヨリが呟く。獅子が足を止めたのは、それ以上進むことが出来ないからだろう。20分が経過した。残り時間は多く見積もっても二時間程度。一度間違えると大幅に天井が動くことを考えれば、悩む時間すら惜しい。店内に響き渡る金属音が焦りを増幅させる。
「正解の動かし方は決まっているんじゃないか?」 苦し紛れの思い付き。沖津の言葉は核心を衝いた。

タコヨリは記憶の糸を辿る。記号、騎士、巫女。「紙とペンを貸してくれ」
沖津はすぐさま持っていたメモ用紙を千切り、ペンと共にテーブルに置いた。
「この四つの絵柄はそれぞれ何かを記号化したものだ」
「スペードは剣、ダイヤは貨幣、クローバーは棍棒、ハートは聖杯」 ここで再び両端にある絵が目に入る。

手を伸ばす男と祈りを捧げる女性。「これは推測だが。パズルには題材となった物語があり、それに沿った配置にする必要があるんじゃないだろうか」 沖津と師匠が頷く。「ここに描かれている絵と人影が無関係とは考えられない」 人影の正体がヘーゼの騎士だとすれば、自ずと関連性のありそうな記号を推定できる。「関係ないとしたら、これを作った奴は相当な捻くれ者だな」 沖津が皮肉を込めて言う。三人は微かに笑った。沖津が更に情報を書き足す。記号が象徴するものは他にもある。スペードは騎士、ダイヤは商人、クローバーは農民、ハートは僧侶。

騎士が持つものといえば、剣。こういうのはあまり捻らずに考えた方が良い。記号の意味するものが一つではないとして。「在り来りと言われるかもしれんが」 師匠がここまで言うと、三人はほぼ同時に発言した。『この二人は恋人同士』

スペードが男側へ。ダイヤ、クローバー、ハートの断片はその右側に並ぶということになる。問題は位置関係をどうするか。

どっかで見た気がするんやけど。懐中時計と三人の姿を交互に見ながら、トゥージーは小さく呟いた。
仲間の必死に謎を解く姿が、彼が行動を起こす切っ掛けになった。
木製の肘掛け椅子の上で、持ち主が不在の時計は針を進める。






「儚く強く」






店内に入った瞬間、「それ」がどこにあるのかわかった。

沖津は依頼主を追行しながら、店内を繁々と眺める。美術品には詳しくないが、品揃えの良い印象を受けた。
依頼解決のために来たことをほんの一時忘れ、棚に飾る様にして置いてあるワイングラスを品定めする。部屋のインテリアにもできそうだ。突然、足が止まった。店の奥にあるテーブル。その上に。
「これか」 思わず息を呑んだ。しかし写真で見たものと配色が違う。「色がね、変わるんですよ」

地球儀。球体の大きさは30センチ程度。描かれている地図は見慣れないものだ。
言い忘れか。有り難くない新事実だ。この人の言動には最初から何か違和感があった。これを持ち込んだ人のことを問いただすと、お教えできませんと返ってくる。売却者に落ち度はなく、買い取ってしまった自分がすべて悪いと言い切るような、潔い人物と勝手に解釈してしまったが、本当にそうなのか?

…考えても仕方がない。ここまで来たんだ。どうにかしなくては。

謎を解ける者を呼べ。地球儀を支える台座には、発光する文字でそう書かれている。店主は辺りを見回した。黒い影だ。
絵の具を使って描いたような、はっきりとした黒。ここには沖津と店主の二人しか居ないはず。地球儀の放つ光が、店内の壁にもう一つの人影を映し出した。聞いていた通りだが、これは参るな。ガシャガシャという金属音。人の形をした影は身動きが取れない状態で、何かに手を伸ばすような仕草をしている。

日は落ち、気温も下がってきた。局長と共に専門外の仕事に携わってきたため、それなりに知識はある。沖津は冷たい汗を流した。文字の書かれていたプレートが、水晶が砕けるようにして取り払われる。参加条件を満たした、ということか。
明らかに自分の理解の外の現象であったが、最早、後戻りはできなくなっていた。

「マッチ一本火事のもとー」「うるさい早く出ろ」 バスターズ到着。

「火は小さくとも、燃え上がる時は一気。間一髪ってところだのう」 沖津は唖然としていた。
何の前触れもなく突然に人が現れた。「儂らはお主のよく知る二人の仲間じゃ」
「色々と言いたいことはあるだろうが、何もかも後回しにしてくれい」 よく知る二人、すぐに彼らの姿が思い浮かんだ。
「ここに来ることは誰にも知らせていない」 恐怖と、好奇心の入り混じった声。沖津は図らずも、彼らの領域に足を踏み入れた。

タコヨリは説明が面倒という表情を隠しもせず言い放った。
「これから起きることはすべて現実だ。私達は閉じ込められた。時間内にこのパズルを解かなければ、上の天井に押し潰されて、紙きれの様になるだろう」「まあ、そういうことじゃ」

「しかし凄いエネルギー量だのう」 師匠は朱色の天井を見ながら髭を触った。
「あれを防ぐのは無理かもしれん」
「後発の二人がもうすぐ到着する。時間差にして正解だったな」

落ち着き払っているように見える。あれが下に降りたら俺達は。沖津は店の入口に向かって走るが、天井と同じ、揺らめく炎の様な壁が行く手を阻んだ。

冗談じゃない。夢でもなんでもない。「後悔する暇はない。お主の知識が必要じゃ」
地球儀の台座に出現したパズルの上部に、発光する文字で何か書かれている。

ヘーゼの騎士 コルヌイの巫女

金属音を響かせる人影は、変わらず手を伸ばし続けている。






「Super Shooter」